陰陽_

心の支えを感じた体験


人間は一人では生きていけない。
人は自然と支えあっている。

…こんな言葉をくれたり聞いたりしていて、私は”こういうことか”と言葉の意味を理解したことは今までありませんでした。
そしてただのキレイ文句だろうと心の中では罵っていました。
言うのは簡単じゃないかと。

そんなひねくれた性格ですが、今年に入ってからそういう体験をしたのでこれは書いておきたいと思いました。


私は高校一年の時に父親を癌で亡くしています。
その時から何かジワジワと欠けたような感覚と、人生の時間が止まったかのような悲観に支配されるような感じでした。

恐らく母親はそれ以上につらかったと思います。
その上で自分をここまで育ててくれたのだから、わかっていても表には悲しみを出さずに…強いなと。

そして高校生活では今でも関係が続くくらいの仲間ができたので私自身はそれが支えになっていたり。
大学では父の背中を目指して同じ職に就こうと思いはしたけれども、両親の実家や親戚のことを考えると、砂時計のように同じ時間はないと焦りを感じ始めてから大きく変わりました。

時間が限られているのは事実、その分焦ってしまい、ツールとなるお金を稼ぐには投資の知識が必要だと思い色々試してみるも”自分ルール”というものに従うことができないほど余裕がなくなる。

そして独立はしてみても当時は相談できる相手がいなかったので、抱え込みながらも自分で試行錯誤していくしかない。
軌道に乗ったというわけでもなく、アルバイトも並行しているフリーターという立場から他の同年代は順調に稼いでいることからの劣等感。

そしてまた失敗をいかしつつも投資への道を進んでいく。
これを何度か繰り返しながらの生活だったので、決して満たされるような感覚はほとんどありませんでした。

そうなってくると、すぐに結果を求めやすくなってしまうのかなと思っています。
自分の癲癇から派生したパニック障害のこともあり、精神的にも削られていくような感覚へシフトチェンジ。

余裕資金を越えた金額を投資に費やしたことがありました。もうこの時点でギャンブルですね。案の定その資金は溶けました。その時は自暴自棄になり死をよぎる思考に支配されながらも、相談はできず。
そんな負のオーラを纏っていたら実家住まいなので母も感じ取り気を病んでいました。

一番迷惑をかけているので、相談できない…という親にとっても困る壁を思い切って蹴り飛ばし話してみました。「クレジット・携帯料金が払えなくなった」と。

もう私は涙がとまりませんでした。

情けない。

それを承知でなおも、お金の相談をしてみたんです。
内心「最低限の支援」を心掛けて。

”払えなくなった分”と”再投資用”の資金援助を相談したんです。

後者は自分でも二の前を踏むと分かっていて。
でも、実際は援助してもらっていません。
自分の中で予防線をはっていれば立ち直ることができる。
そう感じました。

全部吐き出すことの大切さを実感しましたね。
もしかしたら、この勇気が自分を立ち直らせる最適な方法なのかなぁ…


そして、もうひとつ。

きっかけはどうであれ、自分と似たような性格・共通点がある人が大抵友達にいませんか?ちなみに私はそうです。

ここ最近になって、「独立をしたい」と考える仲間が増えました。
そして一部ではやりたいことが定まっている人もいます。
私の失敗談も参考にしてくれているし、さらには考えがしっかりしてきているのでとても期待が高まります。というよりは、同じ道を歩むであろう人ができたことで共通点が増える。いずれはお互いが目指すことで色々話すことができるようになった。そのことの嬉しさの方が大きいです。

また、あまり頻繁に会うことはなくても、私の考えを受け入れて、一緒に応援してくれる人間が増えたこともなにより。
私の人生の中で作られた「いつものメンバー」へ無理な提案をしてみたんです。それはお互いにリスキーなこと。なのに全員が私を信頼してくれてそのリスクを買ってくれたこと。

これがどんなに支えになることか。友達とはいえ赤の他人から”お前だから信頼してるんだよ”と。そしてもし失敗してもそれはそれで仕方がないと受け入れ態勢をつくってくれている。これは本当に感謝。

身内に頼る勇気は活力を補うため。
友達に頼る勇気は努力をつくるため。


言葉にするとこんなイメージになるのでしょうか。


そして最後に…今年2019年に入って安心感を得た体験。
きっかけは2018年末。

ある仲間から食事の誘いがあった。
仕事環境で同い年と食事にいくような感じ。
その人の第一印象はとても陰のオーラが感じられた。
だけど矛盾をしているような柔らかい笑顔。
矛盾とは人を惹きつける力があるのかと。。。


まぁできるならあまり関わりたくないと思ってしまうイメージ。
そんな人と他の仲間も含めながら食事にいく。
その時はタメだから共通の話題があって話しやすいなぁ…だけど、また食事にいきたいとは言い難い印象が残ったまま。そこから数日なぜかメッセージのやり取りが急激に増えた。

その数日でどんな人間なのか、どんな感性なのか、どんな過去を背負っているのか、お互い探り合いながら…
そしてある時に、二人で初詣へ行くことになった。
この時までにはすでに何か期待を持ちながらも、お互いの過去の経験上、臆病になっていて、自ら壁をつくり本音は言葉にせずとも距離が縮まっている感覚があった。
ふと時間を機にすれば、この数時間で安心できる相手になっていた。

なにせ初めての感覚だったのでこれが普通なのかは分からない。
なにがきっかけで、何が引き金で心の隙間が埋められるような感覚になったんだろう…

共通点が多く、性格も似通っている、見栄を張らなくて良いと思える。それに同じ不安も持ち合わせている。同じ感情を知っている…?

ただ、一緒に乗り越える勇気と自信がない。崩れた時に支え切れるか。
目線は同じなんだろうか。
同じタイミングで魅かれたというか、気を許した感じ。


こんなスピードで進展するのは驚きでした。
パートナーを持つということで精神的に支えができた気がします。


心の開示で精神的な支えがある

そんな感じがしました。

家族・友達・大切な人のために前を向く自信を持たされた気がします。
このきっかけが一度に訪れたのでとても私は嬉しかったし、ここが機転なんだなと思いました。

陰陽のオーラがあるように、バランスの取れた気の維持が必要なんだろうなとも考えました。
陽は未来、陰は過去、それがうまく混ざり合って練れれば今を生きる意味になるんだなと。

何かを失った者は過去にすがりたがる、過去に囚われてしまっては進む力が足りない。何かを得るために未来を見据えても、今を視なければ進めない。

自分で道を切り開くって、今を生きることなんだろうか。
「今を大事にしなさい」
っていうのはこういうことなのかな…


まだ答えは探しているけど、生きる意味は見つけた。



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