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生きているだけじゃない。支援が必要です。

生きてるだけのわが子
それでいいと思っていた私。
鼻のチューブさえなければ健康に走り回っている子どもたちと同じに見える。


そう思っていたのはリオナがまだ1才になる前。この子に何かできるはずもなく、意思もなければ気持ちもない。伝えたいこともなければこちらのことにも何も感じてはいない。

けどそれは完全に私の優生思想がそうさせていた。
2人に1人が癌になると言われている時代、発達していく医療に助けられる私たちは、いつ障害者になってもおかしくない。なのに私は我が子が重度障害児になるまでそんなこと気にもかけずに生きてきて、そんな自由に生きてきた私はバチがあたったのだと思った。
けど、今なら言える。それは神様のイタズラでもなければ罰でもない。誰にでも起こり得る、我が子が障害児、家族が障害者に。もしかしたら我が身に。
そんな時代に重度の障害児(者)に与えられる教育や社会参加の場は「わかっていない」ことを前提として扱われている。
そして家族たちは生かすも殺すも家族たちの責任で、何時の時も家族がどうにかしなければいけないと思っている。

そんな状況であった私も、絶望の中に生きるしかないと覚悟したのだけど、目の前の重度障害児リオナは日に日にかわいくなるし、家事も手につかないぐらい溺愛状態に。


どうやったらこの子が社会に認められ、人権を無視されることなく生きていけるのだろう。
かかわる人間はリオナが本当はどう感じているのか知ってか知らずかリオナのアフレコをし、かかわる人によってキャラが変えられる。

人形じゃないんやけど。
それをしていいのはきっと親だけだ。

でも一生私が「リオナはわかってるんです!ほら、今こんなん言ってます!」とは言っていられない。

どうするんだリオナ。

と、そんな時に出会ったこの方たち。


なんて愉快なんだ。

出会った時は素直に嬉しかった。
なぜなら当事者家族以外で重度障害児(者)のために、コミュニケーションツールとしてスイッチや視線入力を使って、周囲への意思表示をすることで「わかっていない人」と認識させないことを実現している。

目の前の重度障害児の勝手なアフレコをすることもなく、障害の特性を生かしてその人の「できる」を見つける追求をしている。



重度障害児を育てる母として、こんな先生方がいることは嬉しくて嬉しくて、救われたのはもちろん、リオナの将来に悲観することもなくなった。

そんな先生方を関西に呼ぶのは今回で2回目。


このイベントを無料でするという無茶ぶりです。
(満席になりました。第二部にフリー入場も締め切りました。)
入場料を取らない理由はシンプル。
多くの人に知ってもらい体験してもらいたいから。 
有料だからやめておこうという家族や支援者の判断で、目の前の重度障害児(者)が見殺しになってほしくない。


島根、福岡、広島…と遠方から来てくれる先生方。

交通費だけでもすごいです。

はい。寄付がなければ私、藤井の自腹になります。
余裕なんて全くないけど、一人でも多くの重度障害児(者)に届いてほしい。
そんな思いで開催です。

長くなりましたが

ご支援お願いいたします。

https://polca.jp/projects/uSgDGD7HcOn?fbclid=IwAR2Ag8BqgY5wTOHQfXM7S3BYqaZOB3GAP-EgKw_CKJz7n5c_TgGtXfEe9Js

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