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私がプロを目指して起こした行動その2

中学時代そこそこの経歴を残した僕は、練習参加で合格を貰ったのも入れて5〜6チームの高校から声をかけて頂きました。
そこで、選んだ高校が東海大学附属相模高等学校でした。
野球、柔道が有名なスポーツ高校ですね。
サッカー部は監督が変わり、人工芝が出来て2、3年目の年に入学しました。
入学前には「プロにしてあげるから来なさい」と言われ、それを信じて入学しました。
序盤こそは脚の速さを活かしたプレースタイルが脅威になっていましたが、入学して2ヶ月の足首の捻挫で高校3年間が描いてたものと違くなってしまったと今思えば後悔があります。
まず、天狗になっていました。
監督からは可愛がられ、試合には確実にベンチには入れる。この状態が怪我明けでも続きました。
自分の中では焦りよりどうせなんとかなる精神が強かったです。
結果、ポジションは奪われ、歳下より序列は落ち、滑らかな降下線をたどっていきました。
自分への驕りもありましたが、小学生の時はペルー人のパッションサッカー、中学生はスピード任せのプレースタイル、高校ではポゼッションサッカーなのに止める蹴る、ワンタッチパス、ポジショニング、全部が平均点を下回っている選手だと気付いたのが高校3年の夏頃でした。
気付いた時は夏休みだったので、部活が終わったら夜遅くまで近くの公園で止める蹴る、ワンタッチパスの練習をひたすらやっていたのを今でも覚えています。この頃から学校にあった坂道ダッシュも毎日やって、ただひたすら上手くなる為に、プロになる為にだけを思ってプレーしました。
結果選手権県予選で脳震盪を起こし、記憶が無いまま引退し、勿論プロから声もかかること無く高校サッカーは呆気なく幕を閉じました。

次回、人生のターニングポイント、スペイン編🇪🇸
ここから今の自分が出来たと言っても過言では無いとっても濃い1ヶ月をスペインで過ごします🇪🇸

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