社外モニターを終えて

今年の4月から9月末までの半年間、地方局の社外モニターをしていました。社外モニターとは、契約したテレビ局の番組を週に2本視聴し、その番組の良かった点と改善点を毎週400字程度で提出するという仕事です。

挑戦したきっかけ

私が契約したテレビ局が社外モニターを募集していたのは2月のことでした。当時の私はテレビ局への就活に燃えていました。その世界の華やかさとエンタメ性にワクワクしていました。その中で、テレビ局への熱意を可視化できる経験を探していました。就活の武器として社外モニターに応募しました。

憧れの正体

私自身、就活のスタートにはかなり遅れを取っていました。自己分析も業界研究も、選考対策も全く本腰を入れずに就活解禁の3月を迎えていました。「さて、テレビ局の他にはどこの選考にエントリーしようか」という時にやっと気がつきました。「テレビ局しか知らないだけだ」と。私のテレビ局に抱いていた憧れは相対的な憧れではなかったのです。Sumikaの曲で「たくさんの選択肢から比べてほしい。その方が最後まで寄り添い遂げられる」という歌詞がありますが、まさに私に欠けていた視点でした。一途の意味を履き違えていたのです。

私はテレビ局に入社することが夢ではなかったと気がつきました。私の夢は1人でも多くの人の笑顔を見ることでした。「テレビ」という媒体を通して「話題」を発信することではなかったのです。どうしても、直接笑顔が見たかった。そしてテレビ局就活からフェードアウトしました。それに気がついたのは、すでに社外モニターに応募した後のことでした。時を同じくして、社外モニターに採用されました。

義務化される「好き」

動機が「就活への武装」であっただけに、採用の連絡は複雑でした。しかし、一瞬でも憧れた「テレビ」という世界に関わり、お金をいただく経験は何とも幸運なことだと心を入れ替えました。もともとテレビを見ることは大好きだったので、テレビを見てお金をいただけることは正直楽な仕事だと考えていました。

しかし、就任してから2ヶ月ほど過ぎたあたりで2点の壁にぶつかりました。1点目は番組を録画するために1週間以上、家を留守にすることができないという点です。大学生活最後の夏休みで、たっぷり実家に帰る気満々だった私にとって思いがけない障壁でした。2点目はさほど興味がない番組でも1時間はじっくり視聴しなければならないことでした。好きな情報に囲まれて生きることが可能になった現代において、好きでないものに割く時間はとても苦しいものでした。これらの障壁は、任期を終えるまで払拭されることはなく、次第に400字のクオリティが下がっていることを自分で知っていました。それでも頂ける謝礼金やテレビ局からのメッセージは毎回変わらず、どこか後ろめたさを感じました。任期が終わった時によぎったのは達成感ではなく解放感でした。

半年間のまとめ

せっかくこのようなもどかしい半年を過ごしたので、自分の中で生き続ける経験に変換していきます。私がどのように関わってほしかったかを考えてみます。何よりも強く感じることは人に依頼をするときは毎回「人間味のあるリアクション」を返すことだと考えます。機械的なお礼ではなく、どこに独自性を感じ、感謝しているのかを伝えることで「次」への活力が生まれ、クオリティの維持に繋がるのではないかと考えます。いかに「ヒト」として認められるか、承認されているかを自覚させることが高いパフォーマンスを発揮させ続けるための工夫ではないかと考えました。

現在私は学生主体のキャリア支援団体でチームリーダーをしています。私の担当になった就活生・チームのメンバーのモチベーションを燃やし続けるためのヒントとして社外モニターの経験を活かしていきたいです。

半年間ありがとうございました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?