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春ねむりと修羅

先日(2023年1月10日)、春ねむりのバースデイライブをストリーミングで見た。春ねむりを知ったのは4年ほど前、2018年のアルバム『春と修羅』のリリースに関する記事だったと思う。

具体的にどんな経緯でどんな記事を読んだのかまで覚えてはいないのだが、もしかしたら、宮沢賢治について語っている、この記事だったのかもしれない。

言わずもがなだが、『春と修羅』は、賢治が大正13年(1924年)に自費出版した生前唯一の詩集の題名でもある。


2018 年の『春と修羅』

件のライブは、春ねむりの28歳の誕生日のライブとのことだった〈*1;記事本文後に補足あり、以下同様〉。セットリストは、昨年リリースされた『春火燎原』からではなく『春と修羅』の収録曲を中心としたものだった。賢治が詩集『春と修羅』を出版したのも28歳になる年だったようだが、そのことと関係があったのかどうかは知らない。

春ねむりのやっている音楽は、ジャンルとしては一般にポエトリーラップと言われる。そして、彼女のつくるトラックは、ハードコアパンクと呼ばれる激しい(烈しい)ロックミュージックのフォーマットを使ったものが多い〈*2〉。

先日のストリーミングのライブは60分程度だっただろうか。ラストの曲は、同アルバムから「ロックンロールは死なない(バンド・バージョン)」だった。曲前のMCでは(おそらく年末の紅白歌合戦に出場した50~60代の複数の演者を念頭に)、
「上の世代の方が、ロックンロールを終わらせたがってる気配、すげえ感じるんですけど。」
と自らの怒りを表明し、その上で、
(自分は)やってっけど。ロック。」
と啖呵をきった。
そして、曲の終わりには、
「ロックンロールは死なないんだよ、くそが。」
と言い放った。これは、今だからこその春ねむりのステートメント(宣言)だったのだと、私は感じた。

私も春ねむりから怒りの矢を放たれた側の年代の一人ではあるのだが、あの紅白のステージの上の、彼女が念頭に置いたであろうミュージシャン達のアティテュードには正直なところロックもロールも感じることは出来ずに鼻白んでいた。彼女のように強い怒りまでを抱いたわけではなかったものの、その心情に共鳴するところは大きい。

このバースデイライブでの、ハードコアなトラック、激しい身体表現〈*3〉とスクリーム(叫び)は、この最後のステートメントのためにあったようにさえ思えた。

以前のインタビューで春ねむりは、
「この世はクソ」
「マジで怒ってるんだっていうのをわかってほしい」
と語っているのだが、彼女の表現の根底には「怒り」があり、それゆえのアルバム『春と修羅』であり、このスタイルは必然なのだということが、強く伝わるライブだった。


1924年の『春と修羅』

さて、もう一方の『春と修羅』を著した宮沢賢治は広く知られている詩人であり童話作家であるが、作品としてよく知られているのは、詩よりも童話の方だろうか。「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」などは、(たとえ読んだことが無くても)どのようなお話なのかを知っている方も多いだろう。

例外的に童話作品以上に知られているのは、「雨ニモマケズ〈*4〉」であろうが、あれは賢治の死後に発見された手帳に記されていた「メモ」であり、賢治が「詩」として書いたものなのかどうかは定かではない。(賢治の研究者の間でも、技巧的な意味ですぐれた詩とは見なされていないようだ)

さて、ここで一応明かしておくが、私は賢治の詩の熱心な読者ではない。近現代詩(中でも特に戦後詩)の領域で好きな詩人は幾人もいるのだが、「好きな詩人を5人選べ」と言われても賢治はそこから漏れる。「好きな詩を10編選べ」と言われても、賢治の詩はそこには入らない。

とはいえ、それは賢治の詩業を軽んじているわけではもちろんなく、単なる嗜好性の問題である。ロックミュージックのファンが「ビートルズよりもヴェルヴェット・アンダーグラウンドの方が好きだ」と言っているからといって、決してビートルズを軽んじているわけではないのと同じである。

ところで、日本の(広義の)ポップミュージックにおいて、何らかの形で賢治の作品へのオマージュを捧げる人は多い〈*5〉。例えば、峯田和伸(1977-)は、「銀河鉄道の夜」という楽曲を自らのバンドで演奏し続けている。(春ねむりにも賢治の「銀河鉄道の夜」へのオマージュを表したと思しき楽曲があるのだが、それについては後で触れる)

賢治は、詩人、童話作家、宗教家、科学者、今でいう社会活動家(あるいはアクティビスト)と、多面的な顔を持つ人物であったが、クラシック音楽の熱心な愛好家でもあった。自らチェロを演奏していたこと、数は少ないが自作曲を発表していることもよく知られている。しかし文学作品とのつながりにおいては、詩集『春と修羅』の創作の契機がベートーベンの「運命」を聴いたことだったらしいことの方に、おそらく大きな意味がある。

(略)この心象スケッチ 『春と修羅』は賢治がベートーヴェンの「運命」交響曲を聴いて、「繰り返し繰り返し我らを訪れる運命の表現の素晴らしさ。 おれも是非共こういうものを書かねばならない」と言いながら書き出したのである(宮沢清六『兄のトランク』)。弟はさらに「此のころ兄の書いた長い詩などは、作曲家が音譜でやるように言葉によってそれをやり、奥にひそむものを交響曲的に現わしたいと思ったのであろう。(略)」といっているのである。

『チェロと宮沢賢治  ゴーシュ余聞』横田庄一郎、岩波現代文庫 P.205

そうした背景があるからなのか、賢治の文学世界から「音楽」を聴きとる人は多い。ドイツ文学者の高橋英夫(1930-2019)は、著書の中で賢治の詩について触れ、「この詩は結局音楽なんだなという直観に何回も襲われ」たと書いている。少し長くなるが引用する。

(引用者注:たとえばシュルレアリスム詩のような意味の流れがつかめない詩ではなく) 言葉の流れに沿って意味内容が読み手の心に滑らかに入ってくるような詩でも、音楽を感ずることはありうる。私はなぜか以前から、宮沢賢治がそうなのではないかと心の中で思ってきた。 いまだにうまく説明ができないのだが、そう思っている。 その夥しい作品の中で特に有名な「春と修羅」からも、そんな感じをうけていた。
「春と修羅」一作に限らないが、賢治の詩では化学、地質学、生物学、ドイツ語などの概念や知識がいたる所で瞬間的に沸騰して言葉の中に滑りこむその隙間をくぐり抜けるようにして独自なイメージのむれ、たとえば電柱、並木、馬車、それに銀河、宇宙塵などが現れる。息をつく暇もないほど急速な展開が続く。 誰がみても情景が豊かであり、絵画的イメージに溢れ、言語的映像世界の拡がってゆく詩群だ。 ところがその絵画性、映像性が高まり、切迫してくるにつれて、沸騰したやかんの湯がこぼれ出すような具合に音楽が聞えはじめる気がする。ああ、この詩は結局音楽なんだな、そんな直観に襲われたことが何回もあった。
*太字強調は引用者による

『音楽が聞える - 詩人たちの楽興のとき』高橋英夫(筑摩書房)P.63

異なる位相にある「概念や知識」「絵画的なイメージ」「言語的な映像」が交錯し、詩行の間からこぼれだすように音楽が聞こえはじめる、と語る高橋の表現自体が充分に詩的であるが、このテクストを読んだうえで改めて賢治の詩を読むと、なるほどそういうことかと納得するところが大きい。

また、孫引きになるが、賢治を世に知らしめた詩人である草野心平(1903-1988)も、賢治の詩を「シムフォニー的である」としている。

日本には無数のヴァイオリン ソロがある。その中で「春と修羅」は少くともシムフォニー的である。 チェロとヴァイオリンと小太鼓とビール瓶に風を吹き入れるときのプウプウと何かキラッと光る音と太鼓と遠くに聞える針の啼き声。

『チェロと宮沢賢治  ゴーシュ余聞』横田庄一郎、岩波現代文庫 P.83

そして、日本の「現代詩の母」とも呼ばれる詩人永瀬清子(1906-1995)は、賢治を「詩を必ずリズムとして心に想起した人」と評している。

宮沢さんは詩を必ずやリズムとして心に想起した人であらうと思ふ。『春と修羅』をよんだ時おぼろげにそれを感じたが次第に色々の方面からの彼を知るにしたがって合すると、これは彼の特長の一つとして動かし得ないものとしてよいと思ふやうになつた。彼は、詩が紙に書かれない以前、まだもやくの星雲状態である時にすでにリズムある言葉で以て、物を観たり感じたりした人であるにちがひない

『チェロと宮沢賢治  ゴーシュ余聞』横田庄一郎(岩波現代文庫)P.83

もう一つ、これも孫引きになるのだが、詩人の菅谷規矩雄(1936-1989)は、賢治の詩のリズムを「十五音構成」「南無妙法蓮華経」「シンコペーション」にあるとしている。

宮沢賢治の詩の原理をなすリズムの根源をさぐりだすためのメルクマールを、わたしたちはつぎのようなところにもとめうるだろう――ひとつは言語のがわから、(略)①十五音構成 ②南無妙法蓮華経 ③シンコペーション(あるいは「異化」)

『宮澤賢治、ジャズに出会う』奥成達(白水社)P.77

賢治の詩が「音楽的である」ことについては、すでに多くの研究者や詩人が述べていることではあろうが、その中でも「春と修羅」という詩が「音楽」にとても近いということは、1924年と2018年の二つの『春と修羅』を語る際に、改めて強調しておいてもよいかもしれない。

ただし一応触れておくならば、春ねむりは、冒頭にリンクしたインタビュー中では、賢治の『春と修羅』を好む理由として、そこに表された「怒り」への共感を理由としてあげており、その詩の「音楽性・音響性」については、特に触れていない。

とはいえ彼女のようなタイプのミュージシャンが、賢治の詩の音韻的な魅力や言葉の音楽性・音響性に無自覚であることは考えにくく、(ひょっとすると無意識裡だっだとしても)それが、春ねむりを宮沢賢治に近づけた原因の一つであることは、おそらく間違ってはいないだろう。

春ねむり: 宮沢賢治の同名の詩集が好きなんですけど、なんでこんなに好きなのかなって考えたら、彼は浄土真宗の家に生まれて、18歳のときに法華経の書物を読んで感動して日蓮系の国柱会に改宗した人なんですよね。(略)でも、仏様になるってぶっちゃけ無理じゃないですか。人間はどうしても生臭いものだから。そこに葛藤した人生だったみたいで、「春と修羅」では「いかりのにがさまた青さ」みたいなことを言ってるんですよ。「あ、怒ってるんだ」と思って、何に怒ってるのかなと思って読んでたら、仏様にも人間にもなりきれない自分に怒ってるんですよね。それで「めっちゃわかる!」と思って。

音楽ナタリー「春ねむり『春と修羅』インタビュー」https://natalie.mu/music/pp/harunemuri


交差する二つの『春と修羅』

春ねむりの楽曲「春と修羅」には、宮沢賢治の詩集『春と修羅』からの引用がある〈*6〉。自らの書いたリリックに、詩の朗読がインサートされる。やや薄く流れるギターのピックスクラッチ音、ベース音とバスドラムのビートにかぶせて朗読されるのは、「わたくしといふ現象は」で始まる賢治の『春と修羅』から「序」の冒頭部分である。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつづけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

宮沢賢治『春と修羅』「序」(青空文庫)

そして、「序」を読む音声が消えた後、無音の中で、詩「春と修羅」からの次の一節が朗読される。

ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ

宮沢賢治『春と修羅』「春と修羅」(青空文庫)

「修羅」とは、仏教用語における「鬼神・争いの神」であり、「争い」そのものの意味で使われることもある。「おれはひとりの修羅なのだ」は、鬱屈した賢治の怒りと憂いの凝縮された、今でいう(俗にいう)「パンチライン」と言ってもよいかもしれない。

ちなみに、この詩について、私の手元にあった「宮沢賢治詩集」の解説文では、「よごれた俗世間に向かい昂然と怒りの肩を張る、 そんな青年の純真さ」との読みを提示している。私自身はこれを「クソな世界に中指を立てるティーン・スピリット」と訳してみたい衝動に駆られるが、これ自体がもう既に2020年代においては機能しない「古い現代語訳」になっているのかもしれない。

修羅は阿修羅のことで、仏教世界における鬼神。 嵐を擬人化したものといわれるとおり、大海にひそみながら、その行動は荒荒しく、清澄の天に対して常に戦いをいどむ存在である。だから〈四月の気層のひかりの底を/唾し はぎしりゆききする/おれはひとりの修羅なのだ〉とうたい、また〈ああ かがやきの四月の底を/はぎしり燃えてゆききする/おれはひとりの修羅なのだ〉とうたうこの作品の中に、若い心がいだく憂悶の情を見てもよいし、その心情の裏返しとして、よごれた俗世間に向かい昂然と怒りの肩を張る、 そんな青年の純真さを思いえがいてもよかろう。 修羅の持つ怒りは、修羅の持つ悲しみでもある。 若い修羅が粗暴にふるまわざるを得ない怒りと悲しみは、春という光あふれる季節のまっただなかに置かれて、一層きわだつ。
*太字強調は引用者による

『宮沢賢治詩集』浅野晃・編(白鷗社)P.192

なお、アルバム『春と修羅』では、4曲目に楽曲「春と修羅」が置かれ、次の短い5曲目(SEとピアノのインスト)を挟んで、6曲目の「ロストプラネット」へ続く。この「ロストプラネット」は、上述した賢治の童話「銀河鉄道の夜」へのオマージュを捧げた作品だろうと、私は受け取っている。

リリックは、「ぼくら」を主語として「海を知っていた」「内緒話をしてた」「神さまを探した」などの述語があてられるかたちで、次々と情景(あるいは心象)が提示される。そこに散りばめられる言葉は、「教室」「金属製の心臓」「ユー・エフ・オーの軌道」「永遠の19歳」「逃避行」「銀河」「宇宙」「重ねた心電図」と、ミクロからマクロを行き来しながら、「ぼくら」の生と死そのものが表象化されている。そして、楽曲は次のように終わる。

ユー・エフ・オーの軌道にのって
白昼夢よりたしかなゆめをみる
ぼくらベイビーブルーの銀河の果てで
ロストプラネット 愛を探そう
愛を探そう

春ねむり「ロストプラネット」

この「ぼくら」が、私には現代のジョバンニとカムパネルラ(「銀河鉄道の夜」の登場人物)を描いているように思えたのである。〈*7〉

そして付け加えるならば、アルバム『春と修羅』の初回盤特典DVDに記録されたライブ映像で、この「ロストプラネット」の曲の終わりに春ねむりは、
「この、クソみたいな星で、わたしは、それでも、きみと、ずっと、ほんとうを探して、生き延びたい!」
と叫んでみせている。

ここで彼女が選んだ言葉である「ほんとう」とは、きっと、賢治がいくつかの作品で書き記した「ほんたうのさいはひ」のことだろう。

「銀河鉄道の夜」でも、最終盤でジョバンニが「みんなのほんとうのさいわいをさがしに行く」とカンパネルラに語りかけるシーンがあるが、「みんなのほんたうのさいはひ」は、創作活動あるいは実際の社会活動を通しての、賢治の終生のテーマでもあった。

ジョバンニが云いました。
「僕もうあんな大きな暗やみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」

宮沢賢治「銀河鉄道の夜」(青空文庫)


2022年の春ねむり

2022年に、春ねむりは『春火燎原』というアルバムをリリースした。本人がインタビューで「ポップにしよう(ポップスになる)」ということを意識したと語っている通りに、前作と比べると明らかに開かれた作品が目指されている。

1stアルバム(2018年発表「春と修羅」)は批評されることを考えないで作りましたけど、今回はちょっとポップにしようと思ったのもあって。ポップスになるって、より多くの人に聴いてもらって、より多くの人に考えを述べてもらうことだから。

音楽ナタリー「春ねむり『春火燎原』インタビュー」 https://natalie.mu/music/pp/harunemuri03

また、別のインタビューではインタビュアーの「ポップスの定義とは何でしょうか? 」との質問に対して、「他者が入る余地があること」と答えている。

春ねむり: 他者が入る余地がある、ということですね。前作のアルバム『春と修羅』は自分の中ではポップスではなくて。あれは自分しか存在しない世界……日記みたいな感じ。ポエトリーは説明しすぎるものだから、ポップスには向いてないんですよ。(略)(引用者注:アメリカでチャートに入るようなヒップホップは)社会と接続している意識があるんです。そういうのがチャートに入るって、やっぱりポップスの定義っていうのは「他者が入る余地がある」ってことなのかなと思うんですよ。

TOKION「アーティスト・春ねむりに同居する「怒り」と「冷静さ」について」 https://tokion.jp/2022/06/22/interview-harunemuri/

彼女がここで言っていることは、「ポップス」をいわゆる「大衆性」や「ヒット曲」という観点でとらえているのではなく、「外部との交通(インターコース)の回路を開くこと」、あるいは平易な言い方をすれば「モノローグではなくダイアローグ」として捉えるということだろう。

こうした、インタビューから垣間見える批評性の高さは、春ねむりというアーティストの大きな特徴でもある。同じインタビューでは、楽曲の中で彼女が用いるスクリーム〈*8〉について、「叫び(という手法)って、言ってしまえばズルい」と語っている箇所があるが、こうしたメタ認知も、彼女の批評性の高さの表れのように思う。

春ねむり: 自分は理屈だけでも感情だけでもダメなタイプなので、両方やってるんですよね。でも、叫びって、言ってしまえばズルいものだとは思うんですよ。叫ぶことで伝わっちゃうから。

TOKION「アーティスト・春ねむりに同居する「怒り」と「冷静さ」について」 https://tokion.jp/2022/06/22/interview-harunemuri/

そして、このアルバムには「Déconstruction」という現代思想用語をタイトルに冠した楽曲が収められてる。この曲は2021年にシングルとしてリリースされており、その時にインタビューで春ねむりは、Déconstruction(脱構築)という概念は、「(自分にとっての)パンクとわりと合致している」と語っている。また、そうした「パンク/ハードコアのメンタリティを大事にしたい」とも語っている〈*9〉。

――なるほど。“脱構築“は哲学の言葉ですが、今おっしゃったことは、音楽の分野ではパンク的な価値観や考え方にリンクするものでもあるんじゃないかと思います。
春ねむり: そうですね。自分はそう思っています。人それぞれのパンクがあるとは思うんですけれど、私の中ではパンクとわりと合致しているところではあります。

billboard-japan「春ねむりが語る、行き詰った社会への想いと弱者のためのパンク精神」
 https://www.billboard-japan.com/special/detail/3344

春ねむり: メンタリティとしてのパンク/ハードコアを大事にしたいと思ってますね。

musit 「春ねむりが『春火燎原』で迎えた転換点」 https://musit.net/music/interview/18584/

このアルバムにおいて、彼女の「パンクのメンタリティ」を象徴しているのが「Déconstruction」だとするならば、一方の「ポップス」を象徴しているのが「生きる」という楽曲になる。

「生きる」では、現在の日本でおそらくもっとも有名な詩人である谷川俊太郎(1931-)の、よく知られた同名詩の一部が引用されて朗読されている〈*10〉。より詳しく言えば、谷川の詩「生きる」は、夭逝したポエトリーラッパーの不可思議/wonderboy(1987-2011)によって、(谷川の許諾を得た上で)サンプリングされアレンジされたリリックを用いて、同名の曲として2011年にリリースされてもいる〈*11〉のだが、春ねむりの「生きる」は、いわば谷川と不可思議/wonderboyの二人へのオマージュを表した作品でもある。

春ねむり: 「いつかこのタイトルで曲を書かなきゃな」と、ずっと思ってたんです。いろんなポエトリーラッパーの方がいますけど、不可思議/wonderboyさんの系譜を継承するポエトリーラッパーは俺だろ!って気持ちが勝手にあるので(笑)。

音楽ナタリー「「春火燎原」インタビュー 北米ツアーは大盛況、全21曲の自信作が完成して」 https://natalie.mu/music/pp/harunemuri03/

「生きる」は、軽快なハンドクラッピングと女声コーラスで始まり、マーチング風のビートにのせて、谷川の詩(そして不可思議/wonderboyのリリック)から引用された「生きているということ」というリリックが、リフレインされる。

生きているということ 生きているということ
生きて生きて生きて生きて生きているということ

春ねむり「生きる」

そして、生きることへの諦観や無常観をかみしめた上で、それでも「How beautiful life is!」と、その、生きることへの肯定が宣言される。

いつかみんな息絶える さようならを重ねて
ゆるやかに滅びてく この惑星で生きている
How beautiful life is!

春ねむり「生きる」

春ねむりは、インタビューでこの「肯定」を歌うことのしんどさを語ってもいるが、それでもやはり、(ここで谷川の別の詩から引くことをゆるしてもらうならば)「生きてゆくかぎり/いなむことのできぬ希望」というものはあるのだと、私は強く思う〈*12〉。

春ねむり: (略)「生きる」は本当に、本当に一瞬だけ感じられる「まだ生きていられる」という気持ちなんですよね。心からそう思えた瞬間をがんばって曲にしました。でもしんどかったです、今日これを歌うとき。普段は忘れて生きてるので、歌うたび、聴くたびに「人生ってこういう瞬間あるんだよな……でも」って新鮮に突き付けてくるんですよね。

音楽ナタリー「「春火燎原」インタビュー 北米ツアーは大盛況、全21曲の自信作が完成して」 https://natalie.mu/music/pp/harunemuri03/

なお、このアルバムについては、谷川の詩「生きる」の朗読だけではなく、宮沢賢治作品の朗読も『春と修羅』に続いて収録されている。

5曲目(曲名表記は「zzz #sn1572」)の収録だが、トラックのない無音の中での1分36秒の朗読である。読まれているのは、賢治の童話作品「よだかの星」の最終場面(よだかが星に向かって飛び続け絶命し「青い美しい光」になる場面)である。

これが、次に続く曲である「春火燎原」へのブリッジになっていることはそのリリックからも明らかだろう。「春火燎原」という楽曲は、「よだかの星」への単純なオマージュということを超えて、言わば「アンサーソング」と言ってもよいのかもしれない。あるいは、もう一歩踏み込んで、ここに「脱構築(déconstruction)」という概念を当てはめてもよいかのもしれない。〈*13〉

地上じゃ使えない羽だけを持っている
聖なる列にもぼくの番号はないけれど
炎に呑まれて溺れ続けるぼくを
憐れんだやつを端から殺してやる

春ねむり「春火燎原」

Blinking here
死にたいと思うのはなぜ
生きたいと思うのはなぜ

春ねむり「春火燎原」

「春火燎原」という楽曲は、春ねむりが「ポップス」を志向した楽曲ではないだろう。しかし例えば、宮沢賢治が、内なる修羅を秘めつつ、純粋な自己表現としての「詩(心象スケッチ)」と、より開かれた「童話」を同時に創作していたように、春ねむりもこれからは、「パンク/ハードコアに根を張ったポエトリーラップ」と「ポップスとしてのポエトリーラップ」の2つを追求していくのだと思う。谷川の詩、そして賢治の童話へのオマージュととれる楽曲を聴く中で、そのような思いが、いっそう強まった。


おわりに

さて、この稿の冒頭に近い箇所で、私は宮沢賢治の熱心な読者ではないと書いたが、その私が、もっとも好きな賢治の書いた文章をあげるとするならば、次の「生徒諸君に寄せる」と題された一文になる。〈*14〉

これは、賢治が母校(盛岡中学校)からの求めに応じて書きかけていたとされる未完の文章である。賢治の死後、昭和21年(1946年)に発表されたもので、詩というよりは、年の離れた後輩たちに向けた檄文といった趣の文章になる。

そこから少しだけ抜粋する。

新たな詩人よ
嵐から雲から光から
新たな透明なエネルギーを得て
人と地球にとるべき形を暗示せよ

新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴しく美しい構成に変へよ

宮沢賢治「生徒諸君に寄せる」(青空文庫)  

この文章が書かれたのは昭和2年(1927年)とされ、そこからすでに100年近くの年月が経っている。おそらくその間に「新たな詩人」は多く生まれたし、「新たな時代のマルクス」も生まれているのかもしれない。
しかしながら、「人と地球」は未だ「とるべき形」に至ってはおらず、世界は「素晴らしく美しい構成」に変わってはいないようだ。

あらためて、21世紀を拓く「新たな詩人」「新たな思想家」が出でることを待ちたいし、ひょっとしたら春ねむりは、その一人なのかもしれない。

(了)

注釈・補足

*1
本note記事公開(2023年1月15日)時点で、この春ねむりのバースデイライブはYouTubeで観ることができる。

*2
下記の引用記事では、春ねむりのデビュー当時のキャッチコピーが「ジャンルはたぶんヒップホップで、こころはロックンロール。」だったとの記載がある。

―― デビュー当時のキャッチコピー「ジャンルはたぶんヒップホップで、こころはロックンロール。」を思い出すと、「こころ」のほうに比重がかかってきているなと。
春ねむり: 自分が何者かわからないから、とりあえず既成のジャンルで“ヒップホップ”って言ってただけだったんだなって最近は思います。一応ポエトリーラップと呼ばれるジャンルの中にいるので、できる範囲でヒップホップの文化に還元することは大事だと思うんですけど、ルーツはロックだし、やり方もロックンロールなので、根本的にはヒップホップではないなと思います。ラップももちろん聴きますし、たまにヒップホップのイベントに出ることもありますけど、傍目には「全然韻を踏まない女がダボッとした服を着たやつと一緒に出てきたな」くらいに見えてるんだろうなって思います(笑)。

音楽ナタリー「春ねむり『春と修羅インタビュー』」 https://natalie.mu/music/pp/harunemuri

*3
春ねむりのステージ上での身体表現(パフォーマンス)については、ツイッター上で春ねむりが、アイスカハラさんからの質問に答える形での以下の言及があった。

アイスカハラ: ライヴの時の「躍り」にもみえるようなパフォーマンスは専門的に習得されたものなのでしょうか?それとも自然にいまのかたちに辿り着いたものなのでしょうか?

https://twitter.com/kuhonnouji/status/1564252173038325761

春ねむり: 曲ごとにこう動きたい!という踊りが自分のなかにあり、それをスタジオで見せて、より観客に伝わるためにはどう身体を動かすのがいいかをステージングの先生にアドバイスしてもらうという方式をとっています。ライブを始めた当初は割と棒立ちで歌っていたので、きっかけはなんだったかなと考えてみたのですが、叫びはじめた時期に、叫ぶときには棒立ちでいることができなかった(どうしても身体が動いてしまった)ことがきっかけかなと思いました。「叫ばずにはいられない→そのとき身体が動かずにはいられない」のであれば、自分の身体は歌うとき/ラップをするときもまた、(いままで出来ないと決めつけていただけで)本来そうだったのではないか?そのとき生じるダンスには、ソロのシンガー/アーティストにポップカルチャーにおいて近年特に求められがちな「振付られ、場合によってはバックダンサーと揃いのダンスを踊る」という形式に穴を空けオルタナティブを提示することができる可能性があるのではないか?という疑問を立て、それをやってみているのがここ数年の実践です。長くなってしまいすみません!!!
追記で申し訳ないのですが、ダンスを専門的に習ったことや、運動が得意だったことはないです!

https://twitter.com/haru_nemuri/status/1564271637167349760

*4
「雨ニモマケズ」について、私自身の思いを付け加えるならば、この「詩」は、高潔な人格者である賢治が平穏な心持の中で自らの理想像を描いたように捉えられることが多いかもしれないが、これが賢治が死を覚悟した病床で書かれていたらしいことは、もう少し知られてもよいように思う。
年譜によれば、「雨ニモマケズ」は昭和6年(1931年)の11月3日に書かれているとされているが、賢治は当時病床に伏しており、その直前の同年9月21日には両親と弟妹宛ての遺書を書いてもいる。亡くなるのは、その約2年後の昭和8年(1933年)9月である。
賢治の「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」とは、「サウイフモノ」として「私は生きていたい」という、自らの死期を悟った者の悲痛な祈りであり叫びだったような気が、私はしている。
(なお、賢治の年譜を中心にして一般向けに編まれた書籍には、「(十月から)十一月にかけて、病床で「雨ニモマケズ手帳」を書いたと思われる」との記載がある。一方、「雨ニモマケズ」を記した5日前の10月29日には、手帳に「疾すでに治するも近し」との記載もあり、11月初旬には、病床にあったとは言え小康状態にはあったようだ。)
以下、前掲書の「雨ニモマケズ」の「鑑賞」の部分を参考まで転載する。

雨ニモマケズは賢治の代名詞といっていいくらい世間に流布したメモである。このメモをめぐる様々な論争もあった。しかし、このメモからは、虚妄と知りつつ絶対的な不可能を生きた賢治の不幸を見るだけでいい。そして、その不幸こそ、私達すべてが共有するものなのだ。
冒頭から「小屋ニヰテ」までは、賢治の羅須地人協会時代の自己理想である。しかも、達成し得なかった理想である。身体と精神(名利と瞋恚〈しんい〉)の病という自己自身の苦の克服――それは不可能であった。
「東二」から「北二」までは、仏教でいう老・病・死・怨憎会苦に対する対症療法である。いわば、他者の苦の克服 そしてそれも「生」そのものにともなうものである限り、絶対的に不可能なことである。
上記のメモの後には次のように記される。 「サムサノナツハオロオロアルキ」――自然の災禍を前にして、実践的に 「技術」の限界を悟った賢治のつぶやきである。そしてそのようにしてしか、あらゆる苦に立ち向かえない自己を自覚した時、次のような結語が生まれる。
「ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズクニモサレズ/サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」
祈りは、個人の力ではどうにもならぬ現実があり、しかも、それをどうしても超えねばならぬという強い願望がある時生ずる。 人はその祈りの美しさに注目しがちである。しかし、その祈りがたとえどんなに真摯な姿勢から生まれようとも、それが現実に対する自己の力への絶望から発するものである限り、そこには常に虚妄がつきまとうことを忘れてはならない。
(*太字強調は引用者による)

山内修 編著『年表 作家読本 宮沢賢治』(河出書房新社)P.193

*5
思いつくままにあげると、まず、久石譲(1950-)、吉良知彦(1959-2016)は、それぞれに賢治の童話世界を描いたアルバムを発表している。遠藤ミチロウ(1950-2019)は、『アメユジュトテチテケンジャ』というタイトルのアルバムを発表している(MICHIRO, GET THE HELP! 名義)。秋田ひろむには、賢治の「よだかの星」の一部を朗読した楽曲(楽曲名の表記も「よだかの星」)がある他、「スターライト」という楽曲には「片道切符は承知だジョバンニ」「愛する人は守れカムパネルラ」といったフレーズがある。佐藤千亜妃(1988-)も、「夜鷹」「春と修羅」と題する楽曲を書いている。米津玄師(1991-)も「カムパネルラ」というタイトルの曲を発表している。
本文中にもある通り、峯田和伸(1977-)は「銀河鉄道の夜」という楽曲を自らのバンドで演奏し続けている。最初のCD化は2001年であり、2014年には「新訳 銀河鉄道の夜」という異なる歌詞のバージョンも発表している(当初は「銀河鉄道の夜 第二章~ジョバンニに伝えよ ここにいるよと」とのタイトルが付されていた)。さらに付け加えれば、「夜王子と月の姫」という峯田の手による楽曲では「名前はカムパネルラ/翼溶けた夜王子」というフレーズも歌われる。
また、「雨ニモマケズ」に曲をつけ歌っているシンガーには、宇佐元恭一(1959-)、沢知恵(1971-)らがいるし、ヒップホップMCのShing02(1975-)もこの詩をトラックにのせた作品を発表している。

*6
アルバム『春と修羅』は春ねむりのファースト・フルアルバムという位置づけのようだが、これに先立って2017年にリリースされたミニアルバム扱いの『アトム・ハート・マザー』においても、「春と修羅・序」の朗読が収録されている(4曲目、楽曲名表記は「zzz」)。

*7
この記事を投稿した後に知ったのだが、フジファブリックの楽曲「銀河」には「U.F.O.の軌道に乗って あなたと逃避行 夜空の果てまで向かおう/U.F.O.の軌道に乗って 流れるメロディーと 夜空の果てまで向かおう」という歌詞があり、「ロストプラネット」がこの楽曲へのオマージュであることも確かだろう。なお、春ねむりはいくつかのインタビューでフジファブリックへのリスペクトを語っている。

*8
春ねむりの「スクリーム」については、この記事の論評が参考になった。

同時にボーカル表現も、ポエトリーラップがシャウト化する地点を超え、明確にスクリームが取り入れられている(*1)。これは、見過ごせない変化であろう。
スクリームは、シャウト以上にある程度「スクリームをしよう」という自意識が求められる。爆発する感情の発露としてあくまで歌の延長線上にあるシャウトと異なり、スクリームは声帯から発される時点でスクリームであることを命じられ、発声に向けて準備され、それゆえにクリーンボイス / スクリームといった音の粒が表現する清濁の対比効果にも意識が向けられる。だからこそ、スクリームはある種の定型化と様式化を免れない。
シャウトは自然発生的に生まれるが、スクリームはジャンル性を指向する。ロック史を紐解いても、ポストハードコアやポストメタルの優れた作品がジャンルという城壁に幽閉されぐるぐると同じ場所を彷徨っているゆえんはそこにあるだろう。
しかし、春ねむりは塞がれた壁を果敢に突破していくのだ。
感情の羅列であるポエトリーラップの連続性のうえで、唐突に放り込まれるスクリーム。ポエトリーラップと地続きにあるスクリーム。もっと言うならば、テンプレート化から脱する、たったいま生まれたばかりの表現としてのスクリーム! この冷静さと激情の見事な併走、長尺を走り通す集中力は本作に全編通して鮮烈な生気をみなぎらせると同時に、ジャンルの壁を貫通することに成功している。
つまり、これこそがポップであると称されるべきであり、現代におけるポップミュージック的行為と言えるだろう。

CINRA「破壊と祝福、シスターフッドの号火―春ねむり『春火燎原』合評」
https://www.cinra.net/article/202205-harunemuri_ymmtscl

*9
個人的に書いておきたいから書いておくだけなのだが、「現代思想」と「ハードコア」という文脈で私が想起するのは、日本のハードコアバンドfOULとBEYONDSである(フロントマンは同一人物、谷口健)。例えばfOULには『Husserliana』というアルバムがあるし、BEYONDSの楽曲の歌詞には「MARX AND LENIN ARE LAUGHING, UNDER THE CEMETARY?」などというフレーズが出てきたりする。
春ねむりとのつながりでいうと、BEYONDSと春ねむりは2021年の9月6日に対バンをしている(未見)。昨年の夏頃にツイッターで、春ねむりの「暇だからこれから質問受け付けます」といったツイートを見かけ、気になっていたBEYONDSとの対バンの経緯を質問してみたところ、丁寧に、
「BEYONDSさんにお誘いいただきました!アルバム「春と修羅」を聞いてくださってのオファーだったと思います。大先輩にそういう風にお誘いいただいてとても嬉しかったです!」
との回答をいただいたことがある。

https://twitter.com/tomoya_nagasawa/status/1564233941649076224

*10
谷川の「生きる」については、以下の記事が参考になる。ちなみに記事中でインタビュアーによって触れられている、「谷川が20代の頃に書いた、『生きる』という同じタイトルの別の詩」は、岩波文庫の『自選 谷川俊太郎詩集』に収められている。

*11
個人の方のブログのようだが、こちらの情報によれば、不可思議/wonderboyの楽曲「生きる」の音源リリースは2011年3月13日とのこと。この日に本人によってYouTubeにアップ&限定発売されたらしい。言うまでもなくあの大震災の2日後である。
https://mylittlesadalusuudo.hatenadiary.com/entry/2020/10/28/030257

*12
「谷川の別の詩」とは「今年」と題された谷川俊太郎の詩のこと。谷川には同名の詩が複数あるが、ここで触れた詩については別記事で取り上げているので、興味のある方は参照いただきたい。

*13
こう書いてはみたものの、もとより私が脱構築という概念を十全に理解しているわけではない。しかし浅学を顧みずにいうならば、賢治は、「生と死」という二項対立を「自死によるオルタナティブな生の獲得」(平易に言えば「自己犠牲による自己実現」)を現前させることで脱構築しようとした、と読めるようにも思う。一方、春ねむりは、この「賢治の脱構築」を肯定的に捉えていたのかといえば必ずしもそうは思えない。それは楽曲「春火燎原」の「炎に呑まれて溺れ続けるぼくを/憐れんだやつを端から殺してやる」「抗って抗って抗ってまたたく」というリリックの攻撃性からも明らかなように思う。おそらく春ねむりは「よだかの星」に、「修羅の不在」すなわち「暴力と抑圧に抗う意思の不在」をみている。「美談としての自己犠牲(の非暴力性)」を脱構築すること、あるいは彼女のリリックから引けば「生と死の間にあるマグマ」を現前せしめること。それが、この楽曲での春ねむりのアプローチのように思うが、どうだろうか。

*14
映画『コクリコ坂から』(監督 宮崎吾朗)の挿入歌である「紺色のうねり」は、賢治の「生徒諸君に寄せる」が原案とされている(「原案 宮沢賢治/作詞 宮崎駿/宮崎吾朗」とのクレジット表記)。



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