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さらばライパチくん

野球少年だった。
近所のリトルリーグに所属していた。

正直に言う。
下手だった。
メガネでデブで足も遅く鈍臭い。
打っても投げても走ってもダメ。
得意なのはヤジだけ。

3塁コーチャーボックスから相手ピッチャーにヤジを飛ばす。
「ピッチャーのボールにハエが止まる、ブンブン!」
リトルリーグには定番のフレーズだ。
チーム同士でお互いにやり合う。
言ってしまえば社交辞令なやりとり。
だが私が3塁コーチャーボックスからヤジを送ると、そのあまりの感情の入れ具合に、本気で相手ピッチャーが怒り出し、牽制球のフリして当てられそうになったことは何度もある。

つまり。
それくらいしか役に立たない。
お荷物の部員だった。

リトルリーグは学校の部活とは違う。
子供の健全な育成など毛頭にない。
野球好きのオッサンたちが集まってボランティアで運営してるのだ。
監督やコーチと言ってもただの野球好きのオッサン。
当然、勝ちたい。
つまり戦力にならない部員など邪魔でしかない。
足手まといの私はずいぶん監督やコーチから冷たい扱いを受けていた。
それでも辞めなかったのは地区の同学年の男子全員がそのチームに所属していたからだ。
友達といたいがために、私はそれほど好きになれない野球を続けていた。

さて。
チームには1軍から3軍まであった。
当時はみんなが野球をやっていた。
今では考えられないことだが毎年1学年につき15〜20人くらい入部する。

とはいえ、そこは小学生。
上の学年から1軍が6年生、2軍が5年生。
3軍が4年生以下と決まっていた。

そして幸運なことに。
私の学年だけ人数が少なかった。
その数8人。
ド下手でもレギュラーになれる!!
ヤッホイ!
待ちに待った最終学年。
6年生の時に、私は初めて1軍入りを果たした。

【 ライパチの誕生 】

背番号が振られていく。
当然私はドンケツだ。8番を頂戴した。
ポジションはライト。
ライトで8番。
そう、ライパチだ!

ここで野球の詳しくない人のために説明しよう。
今でこそライトはとても重要なポジション。
イチローや松井といったスター選手も山ほどいる。
だが、当時の少年野球でいえば、ライトは一番ヘタッピがつくところ。
ライトで打順が8番。
ライパチくん。
それは「野球がヘタなヤツ」の称号だった。

それでも私は嬉しかった。
初めてもらった背番号。試合にも出れる。
苦節4年。やっと掴んだレギュラーだった。

そして始まる1軍としての数々の試合。
ものの見事にポカをしまくった。
フライは落とす、トンネルする。
ホームに投げれば暴投。
チームの足をひっぱりまくっていた。

明らかに戦力になっていない。
監督、コーチからの扱いはますます冷たくなった。
私たちの学年は8人しかいないため、下の学年から数人を加えて1軍としていた。
やがて試合のたびに私だけ途中交代することが増えた。
そのうちにレギュラーも外れ、ベンチスタート。
他の7人の友達が全員試合に出ている中、私は1学年下の後輩にポジションを奪われ、ひたすら3塁コーチャーボックスからヤジを飛ばす日々になった。

3塁コーチャーの仕事はヤジだけではない。
本来は2塁から3塁に走ってくる走者に指示を出したり。
タッチアップやスクイズの時に指示を出したり。
とても重要な仕事がある。
私はそのコーチャーの仕事を必死にするようになった。
野球が下手でも声を出すことならできる。
そう思って真剣に取り組んだ。
監督やコーチに認めて欲しかった。

【 さらばライパチくん 】

ほとんど試合に出れずに6年生最後の大会を迎えた。
その日の試合は遠くの大きな球場。
マイクロバスで全員で移動する。
最後の試合とあって保護者もたくさん応援に来ていた。
私の親は、ほとんど試合を見に来たことがなかった。
私も自分の情けない姿を見られたくなかったので、それでよかった。
だが、流石に最後の大会というだけあって、その日は母も見に来ていた。

1回戦。
試合が始まった。
トーナメント方式。負けたらそこで終わり。
相手は実力的には五分五分のチーム。
監督も負けられない試合と思っているのだろう。
当然、私はスタメンから外れる。
いつもの3塁コーチャーの仕事だ。
だが、今回は6年生最後の大会。
下手なりに4年間頑張った少年野球最後の大会だ。
チャンスがあれば出たい。
母も見ている。
さすがに監督も今日はどこかで使ってくれるかもしれない。
一縷の望みをこめてコーチャーを続けた。

試合は劣勢。
どんどんと点差は開いた。
やがて最終回。もはや敗戦は濃厚。
負けが確定している時。
チームの補欠がピンチヒッターで出ることがある。
いわゆる「思い出づくり」だ。

最終回。そろそろ声がかかるな。みんながそう思っていた。
しかし、いつまでたってもお呼びがかからない。
保護者席もヒソヒソし出す。
「なんで出してあげないの?」
そんな声が聞こえてきた。
6年生が8人いて私だけただ一人。
最後の試合に一瞬たりとも出ていないのだ。
私のポジションで出ている後輩くんも気まずそうにしている。
そして、最後のバッターが打席に向かう。
まだ、声はかからない。

私は3塁コーチャーボックスで必死に声を張り上げた。
ああ。。終わってしまう。。
試合に出れずに終わるのか。。
もしここで打ってくれたら...?
次こそは呼ばれるかもしれない。
頼む!打ってくれ!繋いでくれ!
俺に最後の打席を回してくれ!

心で必死に唱えながら声をはった。

三振。
ゲームセット。
私の少年野球はそこで終わった。

エピソード#3

帰りのバスに向かうその道すがら。
他の親たちが私の母に何か言っている。
「なんで木下くんだけ出してあげないの?」
「最後なのに。」
「あれだけ声はって頑張ってるのに。」
「かわいそう!」

やめてくれ。
消えたくなった。
自分が下手だから。
最後の最後まで監督は使わなかっただけだ。

マイクロバスに乗り込み。
窓際を確保した私はカーテンを引いてその中に頭を突っ込んだ。
チームメイトはきっと私が寝たと思っただろう。

違う。泣いていた。
その日初めて野球をやって泣いた。
悔しくて。情けなくて。

自分は下手だからと。
諦めて笑ってヘラヘラしてきた結果、このざまだ。
もう二度とこんな思いはしたくない。

『選ばれなくてはならない』
『掴み取らなければならない』

あの日、心に強く刻み込んだ。

もう絶対にライパチにはならない。
泣きながら強く決意した小学6年の秋のお話。
さらばライパチくん。

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illustration: のんち(@Nonchi_art

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