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高2で保護者になった日
高校2年の春。
私は保護者になった。
何を言ってるかわからないだろう?
うん、わかるよ。
順を追って話そうか。
小学校からずっとマブダチ。
イダくん(仮称)という幼馴染みがいた。
成績優秀、スポーツ万能、学年1の人気者。
弱点はただ一つ。
泳ぎが苦手だった。
その唯一の弱点さえも女子からは「かわいい」に昇華され、男子からも「スポーツ万能なのに泳ぎだけできない隙がある憎めないヤツ」と好感が持てる要因となっていた。
そういう意味で、いわゆる完璧な男だった。
小学校時代は同じ野球クラブに所属。
中学校では私とイダくんと数人だけが学区の関係で違う中学校に通うことになった。
言うなれば数人で別の中学校に転入したような感覚だ。おのずと同じ地区の連中での結束は固くなった。
知らない輪の中に放り込まれ右往左往する私と違い、イダくんは持ち前のコミュ力で中学でもあっという間に人気者になった。
中学3年になってイダくんと同じクラスになる。
イベントの多い学年だ。
一緒に過ごす時間が増えた。
お互い成績もよかった。
学年トップを争う仲。
だが成績はいつもイダ君が上だった。
二人とも進路は同じ。
県内有数の進学校に決めた。
お互いの合格を誓い合い一緒に勉強をした。
さらに二人の親交は深まった。
そして高校受験。
どちらも合格。
イダくんと私は同じ高校に通うことになる。
これで、小中高と同じになったわけだ。
【 始まる高校生活 】
その高校は「文武両道」をスローガンに掲げ、それを本気で実践する高校だった。
有名だったのが体育の授業。
その内容はあまりに厳しかった。
毎回の授業前に3kmの持久走。
雨になれば雨具を着て1時間中、雨の中を走り続ける。苦行のような授業だった。
そして1年の夏。
プールの授業が始まる。
このプールの授業も内容がおかしい。
授業の間、ずっとクロールで泳ぎ続ける。
プールサイドは「歩かない」。
25m泳ぎ切ったら「走って」列に戻り、また飛び込み、泳ぐ。
それが1時限中続くのだ。
水泳が不得意であろうと関係ない。
躊躇したら教師になじられ、水に叩き込まれる。本当に頭のおかしい授業だった。
その頃からだろうか。
イダくんが水泳の授業を休むようになった。
人数が多い学校。イダくんとはクラスも体育の時間も違っていた。
「イダが水泳をサボってる」という噂を聞いたのは夏休みに入る前。
イダくんが小学生の頃から水泳が不得意だったのは知っている。
最初は「おお〜サボるなんて、さすがイダくん!」なんて呑気に思っていた。
夏休みが開けて2学期が始まった。
その頃にはイダくんはもう学校さえも休んでいた。
【 明かされた欠席の理由 】
イダくんの欠席が続いていたある日。
私は意を決してイダくんの家に行った。
ピンポーン。。
ガチャ。
出てきたのはイダくん。
ゲッソリして生気がない。
明らかに体調不良だと感じた。
「イダくん、学校どうしたん?」
「出席ヤバいことになってるで?どうするん?」
矢継ぎ早に質問する私を遮って、彼は言った。
「まぁ、上がって」
イダくんから話を聞いた。
水泳の授業がキツすぎて、体育に出れなくなったこと。体育を休むと今度は学校にも行けなくなったこと。小中と優秀だった彼には「落ちこぼれ」のレッテルを貼られることが耐えられないこと。「できない自分」を受け入れられないとのことだった。
「俺、もう学校やめるわ...」
「え?マジで、、?水泳でやめてまうんか?その後どうすんねん?」
「オカンの後継ぐわ。美容師になろうかなぁ...」
その言葉が本気なのかどうなのか。
その日はわからないまま帰宅した。
さらにそこから数週間。
イダくんは本当に退学してしまった。
そしてその報告ということでイダくんに呼ばれた私は家に行った。
迎え入れてくれたイダくん。
おばちゃんも一緒にいた。
そこで聞いた話。
イダくんは病気だった。
高校生だった私には難しい病名で覚えられなかった。甲状腺の何かの異常だというのは覚えている。全身が倦怠感に襲われ、常に小走りをしてるような体調、疲労感が続く。
イダくんが水泳がキツい、体育がキツいと思っていたのは、実はこの病気のせいだったのだ。加えてこの病気は、その倦怠感から「鬱」状態を引き起こしていたようだ。
でもそれも。手術をすれば治るらしい。
「俺、年末に手術する。首を切るんやて」
そう言ったイダくんはゲッソリとしてたが、昔のイダくんに戻ったような気がした。
ああ、これはきっと大丈夫だ。
私はその時、きっとうまくいく。そう感じた。
【 俺たちのクリスマス 】
迎えた高校1年の冬休み。
クリスマスイブ。
私はイダくんの病室にいた。
手術を数日後に控え、イダくんは入院していた。
「どうせクリスマスらしいことできてへんやろ?」
そういって紙袋から雑貨屋で買ってきた30cmほどの小さなツリーを取り出し、枕元に飾った。
「男からこんなんされてもキモいねん!」
「うっさいわ。でもクリスマスっぽくなったやろ!」
たわいもない会話をしてその日は帰った。
帰り際におばちゃんが深々と頭を下げていたのを覚えている。
年が明けて。
イダくんの手術が成功したと報告を受けた。
そして、もう一度高校受験にトライするという。1年遅れで復学することを選んだのだ。
「あのイダくんが完全に復活した!」
私は確信した。もう大丈夫だ。
そして春。
イダくんは見事合格した。
元々優秀な男だ。半年の足踏みなどものともしなかった。
でもイダくんは高校を変えた。
最初の高校より一つ偏差値を落とした進学校を選んだ。
成績は問題ない。
病気だったとはいえ元同級生がいる高校に1年遅れで通うのは嫌だったのだ。
新しい高校では1つ年上になるが、それは同級生に明かさず同い年として通うと決めたらしい。
「ほな、イダくんは後輩やな!」
「ああ、よろしく頼むわ。先輩」
改まってイダくんが言う。
「でな、きっぴ。1個頼みがあんねん。」
「何や?」
「俺の保護者役で入学式に出てくれ」
【 高2で保護者になった日 】
冒頭のタイトルに戻る。
イダくんの二回目の高校生の入学式。
その日。私は高2で保護者になった。
なれないモスグリーンのスーツを着込み。
明らかに保護者席の中で浮きまくっていた。
どう見ても学生が保護者として参列してる。
向けられる好奇の眼差し。
今思えばなんて罰ゲームだ!
イダくんの両親がなぜこの晴れ舞台に出席しなかったのか?
そしてイダくんがなぜ私を保護者役に指名したのか。
答えは簡単。
彼には1学年下に妹がいた。
その妹の入学式とかぶったから。
オバチャンはそちらに出席していたようだ。
でもそれにしたって...?
高校生に大事な息子の入学式の参列を頼むか?
2回目だからもういいと思ったのか?
今でも真相は謎のままだ。
式が終わった後。
なれない緊張で疲れ切ってベンチでグッタリ座っている私の頭を覗き込み。
「ありがとうな」と言いながらイダくんが私の若白髪をプチプチ抜いてくれたことだけはよく覚えている。
あれから30年がたった。
そんな彼も今は某都市の公務員として日夜頑張っている。学年1の人気者の面影はすっかり消え。腹の出た酒好き野球好きなオッサンへと変貌を遂げた。
彼の首筋にはよく見るとうっすらと傷跡が残っている。
たまに会うと、私はいつも思い出す。
高2で保護者になったあの日。
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illustration: のんち(@Nonchi_art)
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