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親友の死から

親友の死から1ヶ月が経った。
彼とは高校1年の時からの付き合いだった。実家が近くて、毎日一緒に自転車で通学していた。部活こそ違っていたが、何かにつけ一緒にいた。大学に入っても同じバイトをし、卒業旅行は一緒にロンドンに行き、就活も互いに励まし合いながら頑張った。社会人になってからは、僕は埼玉、彼は福岡に赴任したので、会う機会はめっきり減ってしまった。それでも、帰省するたびに会い、また連絡を取り合ってきた。
そんな関係が数十年続いていた。

2020年2月、日本に新型コロナウイルスが広がり始めた頃、親友が再び福岡への赴任が決まり、それを機に福岡に転居するとの知らせを受けた。親友の奥さんが福岡出身で、福岡に骨を埋めると決めたのだ。引っ越し前に親友の家に行った。親友の奥さんとも親しくさせてもらっていたので、最後は互いに涙で別れた。福岡に引っ越しても、月に一度は仕事の関係で大阪に戻ってくるので、その時には会って飲もうと約束した。(ちなみに僕は京都在住である)

2020年6月30日の夕方に、親友から連絡が入った。たまたま大阪に来ているので飲みに行かないかと。でも僕はその時は月末で忙しくて親友と飲みに行くことができなかった。残念だった。

2020年7月に親友からLINEが来た。話があるので喋れないかと。その時も仕事で取り込み中だったので、後で連絡するとLINEを返した。直後に彼からLINEが入っていたのだが、忙しくて家に帰るまで確認することができたなかった。
そして、帰宅後にLINEを読んで言葉を失った。
親友のLINEには、「癌が見つかった。ステージ4の診断。緊急入院している」と記されていた。
夜、就寝中に激しい腰の痛みに襲われ、救急車で病院に運ばれたそうだ。そして腎臓がんと診断されたのだ。
すぐに連絡をしたのだが、その後に話をした親友の言葉が頭には入らなかった。

なぜ彼が癌にかかっているのか。ステージ4とはどんな状態なのか。

思考停止していても現実は変わらない。
彼は何度も手術をし、辛い抗がん剤治療を続け、最新のがん治療薬の投薬も受けた。
最初の病院からリハビリを主とした病院に転院し、その年の秋には在宅治療に切り替わった。
そして会社も辞めてしまった。

仕事を頑張ってきた彼にとって、会社を辞めるという決断はいかほどのことであったろう。
そんな彼だったが、骨髄にも癌が転移し、下半身は動かなくなってしまっていた。
それが会社を辞めた彼の判断の理由だったと思う。

すぐにでも駆けつけたかったのだが、折しもコロナ禍が日本を席巻しており、見舞いに行くことはできなかった。
代わりに毎日LINEを送った。
僕の日常の些末なこと、思っていたこと、そんなことを毎日送った。
ようやく今年5月に親友のもとを訪れることができた。親友の家に1泊させてもらい、色々と話をした。
最後は涙を流す親友と握手をして別れた。
僕はまた来るからと言った。

でもその約束は叶わなかった。
2023年8月10日に親友は天国に旅立って行った。
肺炎をこじらせ、2週間意識が戻らないまま旅立った。
最後に親友に会うことはできなかった。

ステージ4と診断されてから3年。親友は本当に頑張った。
逆に僕は彼のために何をしてあげられたのだろうか。毎日送ると決めたLINEも、1年がたったころには毎日送れなくなってしまっていた。毎日送るのはかなりしんどいのだ。最後の方は月に一度くらいになってしまっていた。
LINEを送りつづけなかったことを、僕は今も後悔している。

毎日LINEを送っていた時の癖で、日々の生活の中で何かあると、「あれを言おう、これを言おうと」思ってしまう。そして決まって、「ああ、もう言うことはできないのだ」と思い知らされる。その繰り返しだ。
普段彼とは顔を合わせる機会が減っていたので、いなくってしまっているということが何か実感を伴っていない。また福岡に行けば会えるのではないかと思ってしまう。
この思い違いはずっと続いていくのだろう。

今思うこと。もう一度、彼に会いたい。

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