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わたしの知らなかった母乳との戦い tsunaのきろく#19


tsunaのきろく#19
完母?混同?完ミ?おっぱいがでない。
知らなかった、私と母乳の話。


出産後2日目。

痛い。
話には聞いていた。

…痛い。

…いや、痛いわ!!!

母乳の話、もっと早くから知りたかった。
何が知りたかったって、こんなに辛いってこと。



母乳、ミルク、二つの混合。

母乳のことで悩むお母さんはたくさんいると思います。
私は学生の頃、保育の授業で母乳について勉強して、子どもが生まれたら、できたら母乳で育てたいなーっと漠然と思っていました。

完母(完全母乳)は、赤ちゃん、お母さんにとってもたくさんメリットはあります。1番のメリットは、栄養素が高く、抗体があるということ。地味に大きいのはミルク代がかからないこと。笑
完母で育てている友人から、よく乳腺炎で熱をもって、すごく辛いと言う話を聞いていました。乳腺炎で痛くても、子どもに母乳はあげないといけない。ミルクより消化が早いので、母乳は頻繁にあげないといけないし、子どもを預けてどこかに…なんてできるわけがない。

完ミ(完全ミルク)は、お母さんからもらえる抗体こそないが、栄養はばっちりで、卒乳後に鉄不足になりにくい。またママ以外、誰でもミルクをあげられる。ただ、毎回消毒とミルク代がかかる。
姉は完ミでした。はじめは母乳とミルクの混合で頑張ってみたけど、ベビーがどうしても吸ってくれなくて、量も足りない。泣きながらミルクに移行した話を聞いて、すごく頑張ったんだなと思いました。


ここからは私の無知をさらけ出すのだが

そもそも私は、乳首にこんなに種類があるなんて知らなかった。産前にも乳首の保湿・ケアが必要なのも知らなかった。陥没気味だと出にくいよーとか。そもそも、乳首の形なんて生まれてこの方気にしたことなかった。

乳首の種類

さらに、母乳って、一つの穴からピューっとでると思ってたら、たくさんの穴からじわじわとでる。初めて、自分の乳首の割れ目をマジマジと見た。下記の記事がすごくわかりやすいです!
お恥ずかし話だが、割れ目の間にカスが溜まっていて、生まれる直前にワセリンを塗りながら、風呂場でカスを除去した。やり方が正しかったかはわからない(笑)


赤ちゃんが生まれたら、母乳を出させるために、頻回授乳をする。赤ちゃんにたくさん乳を吸わせることで、乳腺を刺激して、だんだんと母乳の量が増えてくる。のだが…

赤ちゃんも私もはじめてなもので
飲ませるのが下手。
飲むのも下手。
そして乳首、キレ始める。痛い。

姉はじめ、たくさんの先輩ママにクリームは買っておけと言われていたがつい後回しにしていた。どうにも痛いので看護師さんに相談したら、産院内の自販機で売ってると言われて購入しました。


Medelaのピュアレーンという乳頭保護クリーム。授乳終わるたびに塗りたくっていた。Amazonで買う方が安い。


産後4日目。
看護師さんに言われて、搾乳機を使い始めました。
搾乳機をつかっても、私からとれた母乳の量はたったの5ml。産院から渡されている、お世話の記録用紙には、母乳は10mlから記載ができるようになっているので、「少」の字を書く。

2台ある搾乳機のうち、もう一台を使っている人は、溢れるほどに母乳がでていた。うらやましい。胸の大きさは関係ない。大きいからすぐ出るわけでもなく、小さいから出ないわけではないのがわかった。毎日、3時間ごと授乳室に真面目に行っては、いつになったら私の母乳はたくさん出るようになるんだろうと思っていた。

そしてだんだん、乳房が熱を持ちはじめた。
カチカチというより、ガチガチで触れるだけで痛い
なんだか暑いなーと思って熱をはかると、微熱通り越して38度以上の熱がある。

回ってくる看護師さんがくる度に、乳房を触って、乳腺を刺激してもらっていた。ひぃひぃ言いながら、でもやってもらった方が楽だったのでお願いした。

保冷剤をもらった。乳房の形にそったもので、ブラの間に、熱を持っているところに重点的にあてる。これでだいぶ楽になった。
あまりに辛すぎて、退院後も欲しいと思って、病室でネット注文した。ちなみ結果、退院後全然使わなかった。笑



産後5日目。
このとき辛すぎて、

「母乳でないのに、胸が張る苦痛」

と友人にLINEしている。

シャワーを浴びていると、脇の下がすごく盛り上がっている。驚いて、看護師さんを捕まえて聞くと、副乳だろうと言われた。これは、いつのまにか消えていた。



産後6日目。
退院前夜、私は血圧が190を叩き出した。

私の母乳の量は微増。5mlだけだったのが、15mlくらいになったが、まだ足りない。まだ6日目 、今考えると全然焦る必要はないが、産後ハイからの母子同室で寝不足、先の不安などで、すでに精神的に病んでいた。すごく呼吸がしにくかった。エアコンの風が当たるのが無理、でも赤ちゃんのためにはエアコンつけないといけなくて、苦しい。つらい。そんなことを感じていた。
血圧が高すぎて退院できない可能性があると言われ…余計に泣いた。結果退院できたのだが、授乳室でも看護師さんなどに繰り返し言われたことは

「お母さん体調が優先。夜は寝て、授乳頑張らなくてもいい」

でした。


退院後
しばらくは実家に里帰り
をしました。
朝晩関係なく、起きたらオムツを替え、右10分、左10分授乳させて、足りない分はミルク、そして哺乳瓶の消毒。寝かしつけする。空いてる時間は手動の搾乳機をする。子どもはだいたい3時間のサイクルで起きるので、それに合わせて行う。
よく抱っこしたままソファで寝落ちして、実母に注意された。実母は、そんな私を心配して産後しばらく一緒に寝て生活をしてくれた。

赤ちゃんは母乳が欲しくて相変わらず一生懸命だ。
ただ、一向に増えない母乳の量。だんだん、出ない母乳を嫌がるようになり、早くミルクを欲しがるようになってきて、それも辛かった。

いつしか自分の体調を優先する・寝る時間を確保するために、夜の授乳はあきらめて、やがて日中の授乳もあきらめてしまった。そして里帰りを終えたころには、完全ミルクになった。


完全にミルクになったことで、寝る時間を確保できた。そして、産後、血圧が下り切らない私は、降圧剤を飲むことになった。

こうして
私の母乳との戦いは完全に終わりました。


そして夫の話。
里帰りを終えて帰宅、産後2ヶ月すぎの頃。ここまでの話を知らない夫は、いきなり「母乳あげないの?親が、凄腕の母乳出せるひと紹介できるって言ってるんだけど」と言ってきた。
「母乳、すでにほとんどあげてないんだけど…夜も母乳あげようと躍起になるんじゃなくて、あげずに寝るの優先で…」と言ったら、
「お姉は仕事しながらでもあげてた」とか言って食い下がってきて。さらに断っていたら「tusnaは母乳アンチに聞こえるんだけど」と言われた。

丁寧に説明することもしなかった。する気力もなかった。なんて言ったら良かったのだろうかと思うけど、もう過ぎたこと。正直に言えば「里帰り中一度も泊まりに来ず、母乳してるところを見てないに関わらず、戻ってから夜勤もしない男が、母乳を語るな」と思ったけど、言わなかった。
そんなことが重なって別居に至るのですが、それはまたの記事に。てへぺろ


母乳ミルクに関して私が言えることは、
なにを選択しても正解だよってこと。母乳はでるかでないか。でるまで頑張ることができる身体的・精神的余力があるか。赤ちゃんが本人が飲む力や、やる気があるかどうか。色々なことが重なって、選択せざるを得ない状況にあります。
もちろん母乳外来に行くのもひとつ。私は母乳に関しては頑張れなかったほうだと思ってはいるけど、全く頑張らなかったとも思ってないし、後悔はしてません。なぜなら、子どもは、健康に問題なく育っているので。

こんなひともいるよって、安心してもらえればこれを書いた意味がちょっとだけあるかなと思います。


おしまい

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