マガジンのカバー画像

音楽と言葉

43
クラシックの音楽家たちによるエッセイ集。#音楽と言葉 ライター: 齋藤友亨(トランペット奏者) 副田真之介(オーボエ奏者) 馬場武蔵(指揮者) 出口大地(指揮者) 山口奏(チェロ…
運営しているクリエイター

#音楽家

クラシックの音楽家によるエッセイをまとめた共同マガジン「音楽と言葉」

身近にクラシック音楽を生業にしている人はそういないだろう。 ・食べていけるとは思えない ・なぜなろうと思ったのか ・どんな人たちが「クラシックで食っていこう」などと思うのか 全てが理解不能だし想像もつかないだろう。アンケートサイトで職業の選択をするときはほぼ「その他」になるし、ひどいときは「その他・無職」と一括りにされる。一度だけ「アーティスト」という欄があるのを見たが随分感動したものだ。 音楽を職業にする人たち音楽を職業にする人たちは変わった人が多い。「音楽で食べ

日本人の子どもにクラシック音楽を学ばせると良いこと

ドイツやロシアにいた頃良く思ったのは なぜ西洋の伝統音楽をアジア人の自分達がある意味当然のように小学校で学んだり、多くの人がピアノを習ったりするんだろう ということだった。 日本の伝統芸術で外国で当然のように教育されるようなものはないし、なんなんだろう。 ドイツで聞かれた 「なんでトランペットは吹けるのに日本の楽器は一個もできないの?」ということ 確かにそもそも日本人なのになぜ西洋の伝統的な音楽をありがたがって自分の国の文化を蔑ろにしているのだろうと思った 学校でリコー

初めての日本のプロオーケストラでの客演

先日初めて東京フィルハーモニーさんに客演する機会をいただいた。初めての日本のプロオーケストラ。 お話をくださったのは東京フィル首席の野田さんで、神代門下の昔からとてもお世話になっている憧れの先輩。一瞬動悸がするような緊張をすると同時にとても光栄な気持ちだった。 野田さんは湘南ユースオーケストラの先輩でもあり、トランペットをはじめた小学6年生の頃からずっとお世話になっている。 初めて野田さんとお会いした12歳の頃のことはよく覚えていて 楽器を初めてまだ数ヶ月でユースに体験入団

モミジの赤と聴いてもらう喜び

鎌倉のモミジがいつの間にか真っ赤になっていた。毎日見ているはずなのにそれに意識が向いていなかったのだと気がつくと、今はそれを楽しむほどの余裕があるのだと安心する。 Ensemble Lenzコンサートに向けて5日間東京に通って缶詰になってリハーサルを重ねていたところから、一昨日ついにハリス記念鎌倉幼稚園で団体として初のコンサートをすることができてひと段落ついた。 7月に顔合わせをしてから長期にわたってずっと準備してきたコンサート、こんなに長く練習しているのに披露する機会がなか

クラシック音楽を日本が保護するのか

今回の自主公演はありがたいことに文化庁の支援で成り立っている。難解な書類の数々で少し不備があったら採択されないという話だったが幸運なことに支援してもらえることになった。 演奏会を開催するにあたっての経費をほぼ全額補助してもらえるという大変ありがたいシステムで、コロナで客席数を減らしてもなんとかコンサートを開催することができる。 音楽家の自主企画は9割が赤字で、黒字になっていたとしてもリハーサルにかかる時間やその他事務作業の時間まで考えたら100%赤字になる。 スポンサーを

みんなで一つの演奏会をつくること

ロシアから結婚式のために帰ってきてからロシアに戻れなくなってもう1年半近く経ってしまった。 日本で季節を一周するということ自体があまりに久しぶりで、去年は嬉しかった紅葉を見るとなんだか焦りと虚しさも込み上げてくる。 日本に帰ってきてコロナで演奏活動はほぼ制限されてきたというところが大きい。 ロシアにいた頃は毎日のように公演があってトランペットを休みたいと思うほど毎日レパートリーの勉強に追われて過ごしていた。しかしこの一年はそれが全くなかった。家業である不動産と建築の建築もやり

2か月半ぶりにミュートなしで吹いた結果

11歳でトランペットを始めてから2か月半もの間プラクティスミュートをつけて吹き続けたのは初めてだった。3月26日の椿姫の初演を最後にずっと家に篭り、マンションで楽器は吹けないから(隣の歌手は夜中でも歌っているが)ずっとミュートをするしかなかった。 バカンス中に一切吹かない人せっかくだから何週間か完全に楽器を吹くのを休んでみるのもいいかと考えたものの、逆にすることがなさすぎてリフレッシュにならないからやめた。 ヨーロッパ人のトランペット奏者は「バカンスの間1か月全く楽器を吹

命日、スメタナを想う

5月12日。1884年のこの日にスメタナは60年の音楽家人生を終えた。 136年前の出来事だ。ふとそれを思い出したので、スメタナの室内楽について書きたいと思う。 ベドルジハ・スメタナはチェコを代表する作曲家で、指揮者でありピアニストだった。今でこそ作曲家として名高いが、彼のキャリアのスタートは天才ピアニストからだった事はあまり広く知られていない。 スメタナが生きた時代、チェコは独立への切望の中にいた。長くオーストラリアの支配下にあった反動から、国民は祖国への愛を強く持つよう

自分にとっての室内楽

初めに書く文章として、自分が何で出来ているのかを書くのが良いような気がした。日本にいる残り数ヶ月、自分を見つめ直す良い機会として。 そして同じように日本でクラシック音楽を学び留学を考えている人や、心の底から室内楽を愛している人の目に留まればと思う。 私は9歳でチェロを始めた。 学校にある弦楽合奏の部活に入って何とは無しにチェロを選んだ。ソロを学ぶのではなく、みんなで音楽するための道具がチェロだった。始めて数ヶ月で音楽の道に進む事を決めたが、これだけでも、私を構成するものが相

トランペットを始めて半年の頃にユースオーケストラにいってみた時のこと

初めてオーケストラの中でトランペットを吹いたのは小学6年生の秋だった。まだトランペットを初めて触ってから1年弱、習い始めてから半年の頃だった。 逗子には「湘南ユースオーケストラ」というユースオーケストラがあり、家のすぐそばの小学校で練習をしていた。指導は前澤均先生という逗子にお住いの元N響のヴァイオリニストの先生。 家でドラクエ8をやっていたら神代先生から突然電話があり「座っているだけでいいから今からユースに行ってみなさい」と言われ、体験に行った。 初めてのオーケストラ

大学を辞めていきなりドイツに行った話

子どもの頃から自分は芸術を学ぶために海外へ行くものだと思っていた。 実家のクローゼットを掃除していたらNHKの「月刊ロシア語講座」の本を見つけた。2003年と書いてあるから10歳の頃に買ったものだ。 買った時のことはよく覚えている。 その頃は兄と一緒にバレエを習っていて、夏になるとロシア人の先生の講習会に通っていた。 バレエダンサーになりたい、なれる、とは全く思ってはいなかったのだが、親から 「好きなことを仕事にできることが1番幸せだ」と言われていたのでその時の唯一の習い事

初めてのオーケストラ

数日更新しなかったら指名されちゃったよ! ということで、僕の初めてのオーケストラ体験について書きます! 当時の僕は中学3年生、吹奏楽でユーフォニアムはじめて3年目、ビッグバンドで(バス)トロンボーンを初めて1年ちょい。 とにかく色んな音楽をやってみたかった上、その前年にエーテボリ交響楽団/ネーメ・ヤルヴィの来日公演を聴いてからオーケストラ音楽を聴き始めてた僕は、学校のトロンボーンを持ち出し、中学高校(一貫校)の先輩が入っていた湘南ユースオーケストラの門を叩きました。

トランペット奏者が3ヶ月毎日ヨガをやってみて良かったこと

年が明けてから毎日ヨガを続けている。結論から言うとトランペットを吹くのにも健康にもとても良い。 ドイツでは多くの音楽家の間でヨガが流行っていて、音大でも選択でヨガの授業があった。特に管楽器の人が多く取り組んでいたイメージ。ヨガは子どもの頃にWii Fitというゲームで少しやったことがあったくらいでほとんど知らなかった。ヨガの授業も取らずにアレキサンダーテクニークをやっていた。 バランスを取ったり、地味な筋トレっぽいやつ というイメージだったから特に取り組んでみる気にはな