マガジンのカバー画像

音楽と言葉

43
クラシックの音楽家たちによるエッセイ集。#音楽と言葉 ライター: 齋藤友亨(トランペット奏者) 副田真之介(オーボエ奏者) 馬場武蔵(指揮者) 出口大地(指揮者) 山口奏(チェロ…
運営しているクリエイター

#音楽と言葉

クラシックの音楽家によるエッセイをまとめた共同マガジン「音楽と言葉」

身近にクラシック音楽を生業にしている人はそういないだろう。 ・食べていけるとは思えない ・なぜなろうと思ったのか ・どんな人たちが「クラシックで食っていこう」などと思うのか 全てが理解不能だし想像もつかないだろう。アンケートサイトで職業の選択をするときはほぼ「その他」になるし、ひどいときは「その他・無職」と一括りにされる。一度だけ「アーティスト」という欄があるのを見たが随分感動したものだ。 音楽を職業にする人たち音楽を職業にする人たちは変わった人が多い。「音楽で食べ

みんなで一つの演奏会をつくること

ロシアから結婚式のために帰ってきてからロシアに戻れなくなってもう1年半近く経ってしまった。 日本で季節を一周するということ自体があまりに久しぶりで、去年は嬉しかった紅葉を見るとなんだか焦りと虚しさも込み上げてくる。 日本に帰ってきてコロナで演奏活動はほぼ制限されてきたというところが大きい。 ロシアにいた頃は毎日のように公演があってトランペットを休みたいと思うほど毎日レパートリーの勉強に追われて過ごしていた。しかしこの一年はそれが全くなかった。家業である不動産と建築の建築もやり

華美でないことが美しい日本の美意識

 文章を書くのは秋ぶりになってしまったかもしれない。日々感じることや新鮮な体験が多いのだが、なぜか書く気分にならないのは日本にいるからなのか、家にWi-Fiがないからなのかはよくわからない。  緊急事態宣言が延長された影響で3月7日にできるはずだったコンサートが中止になってしまった。東京音大の同期の男たちと4人揃っての念願の企画だったこと、”トランペットとオルガンのアンサンブルを日本の教会で演奏する”というのもずっとやりたかったことの一つだっただけに、とても残念だ。コンサー

愛を込めて室内楽を〜カルテット留学のその先〜

10月1日。成田からアムステルダム経由でプラハへ。 空港にも機内にも人はまばら。皆マスクで顔を包み、心なしか表情は暗い。 異様なタイミングでの留学が始まった。 Hector Quartet私達エクトルカルテットは、この10月よりプラハ芸術アカデミーに入学。師事するのはパノハ弦楽四重奏団。私の中の彼らの思い出はここにある。雑誌サラサーテで留学体験記『ないしょの手紙』を連載するが漏れてしまう細かい雑記をここに残そうと思う。 プラハ、現在コロナ禍の中での留学には常に困難が付いて

ソプラノ歌手、詩を書く。

友人の勧めでnoteを始めてみた。 昔アメブロとかもやってたけど、媚び媚びなコンサートの宣伝ばかりになってしまって書くのが面倒になり、ほぼFacebookにたまに書いたマジメな文章を貯めておく倉庫のようになってしまっていたから、心機一転こういうのも悪くないかなと思う。 私はソプラノ歌手だ。 -ああ、スーザンボイルね! 音楽に詳しくない方と話すと、大抵こう返ってくる。 まぁ、そんな感じです。 ザックリ言うと、綺麗な裏声で色んな歌を歌う人。 今はシンガーソングライターと

命日、スメタナを想う 2

前回に引き続き、スメタナの人生に思いを馳せたい。 今回の鍵となるのは弦楽四重奏曲第2番ニ短調、最晩年の作品である。 私はこの題材を心に留めた時、とてもしっくりと来た事がある。昨今のコロナ騒動で疲弊している今、スメタナの音楽が私をはっとさせたのだ。 今回はその事について、大切に書いていきたい。 ・・・ 命が尽きるまで、彼を突き動かしたもの 弦楽四重奏曲第二番を書き上げたのは、1882年から1883年の間。すでに聴力は完全に失われ、医師からは作曲を辞めるように言われて

2か月半ぶりにミュートなしで吹いた結果

11歳でトランペットを始めてから2か月半もの間プラクティスミュートをつけて吹き続けたのは初めてだった。3月26日の椿姫の初演を最後にずっと家に篭り、マンションで楽器は吹けないから(隣の歌手は夜中でも歌っているが)ずっとミュートをするしかなかった。 バカンス中に一切吹かない人せっかくだから何週間か完全に楽器を吹くのを休んでみるのもいいかと考えたものの、逆にすることがなさすぎてリフレッシュにならないからやめた。 ヨーロッパ人のトランペット奏者は「バカンスの間1か月全く楽器を吹

トランペットを始めて半年の頃にユースオーケストラにいってみた時のこと

初めてオーケストラの中でトランペットを吹いたのは小学6年生の秋だった。まだトランペットを初めて触ってから1年弱、習い始めてから半年の頃だった。 逗子には「湘南ユースオーケストラ」というユースオーケストラがあり、家のすぐそばの小学校で練習をしていた。指導は前澤均先生という逗子にお住いの元N響のヴァイオリニストの先生。 家でドラクエ8をやっていたら神代先生から突然電話があり「座っているだけでいいから今からユースに行ってみなさい」と言われ、体験に行った。 初めてのオーケストラ

大学を辞めていきなりドイツに行った話

子どもの頃から自分は芸術を学ぶために海外へ行くものだと思っていた。 実家のクローゼットを掃除していたらNHKの「月刊ロシア語講座」の本を見つけた。2003年と書いてあるから10歳の頃に買ったものだ。 買った時のことはよく覚えている。 その頃は兄と一緒にバレエを習っていて、夏になるとロシア人の先生の講習会に通っていた。 バレエダンサーになりたい、なれる、とは全く思ってはいなかったのだが、親から 「好きなことを仕事にできることが1番幸せだ」と言われていたのでその時の唯一の習い事

小学生の頃イギリス帰りの友達がトランペットを教えてくれて先生を紹介してくれた話

noteはこのシンプルでスタイリッシュな雰囲気によってちょっときつい自分語りもイケてるエッセイのようにしてくれる。気がする。だから意外と音楽家の友達にも話す機会が少ない「トランペットを始めたきっかけ」について長い自分語りを書いてみよう。吹奏楽部で始めたわけではないから珍しいタイプだと思う。 「音が出せない」楽器をやってみたかった子どもの頃から多少ピアノには触れていたものの機会がなくて習ってはいなかった。バレエを習っていたからなのかクラシックはとても身近で、みんなが聴いていた

コンディションを気にしなくていい生活

25℃を超えていた時もあったのに、ここ最近はどんよりした天気が続いている。もう桜も散って葉桜になり、葉の色も濃くなってきた頃だというのに昨日は雪が降った。 やはり本当に厳しい自然環境。今日の午前中買い物にでた時も7℃しかなかった。急激に気温が上がってみんな半袖で出歩いていたかと思ったら帽子にダウンだ。ドイツは4月の天気がとても不安定だったがシベリアはそれが5月なのかもしれない。 コンディションを気にしなくていい生活4月はまだこの生活に慣れていなかったが、悠々自適に練習と読