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エストニアヒッチハイク5日目 3/29 (金) 【ヴァイケ・マーリヤ → ラクヴェレ → タルトゥ】

4日目はヒッチハイクで僕を拾ってくれた男性が泊めてくれたので、ゆっくり寝られました

シャワーを浴びられただけでなく、服の洗濯までさせてもらったのですごく助かります

男性の学校の授業で日本の話をするので、どんな話をしようか考えながら、車でラクヴェレの学校まで向かいます

ラクヴェレの街に着き、中世ヨーロッパの役場風の建物に入ります

エストニアは世界的にITで有名でそういったものを期待していたのですが、この学校は特別な私立学校で、電子機器の使用が一部を除き禁止されています

僕の小学校時代よりも電子機器が少ないように感じました

建物は木造の大きなログハウスといった感じでとても温かみがありました

この学校はヴァルドルフ(Waldorf)教育という特別な教育をしているそうで、朝には演劇の授業がありました

演劇の授業など人生で一度も体験したことがなかったので、見学させていただくことにしました

演劇のテーマはあるブラジル文学(名前を覚えてない)のもので、セリフなどは全てエストニア語です

ただ、演劇の先生はアイルランド人で、彼の指示は全て英語です

生徒は日本だと中学に上がる前後の年齢なのですが、普通に英語でコミュニケーションができていたので驚きました

演劇の準備体操?みたいなもので、エア卓球みたいなことをしながら言葉を返す、ということをしていて、「これが演劇の練習なのか~」と思いました(この練習は何してるか知ってるかたいませんか)

ちなみに僕も、演劇の実践練習の中で、人ごみの中の通行人役をやらせていただきました

演劇の授業の後は、ハープの個人レッスンを見学しました

ただ、音楽があまり詳しくなくてあまり言葉を発せずにいると、「If you're not interested, you can leave(興味なかったら大丈夫だよ)」と言われてしまいました

そして遂に僕が受け持つ日本の授業の時間が始まります

クラスの子たちはちょうどプレートテクトニクスを習ったらしいので、今回は特に日本の地震について話してほしいと頼まれました

小さな教室に入り、黒板の脇に立ちます

男性教師がエストニア語で僕を紹介し、8人の生徒と2人の教師を前に授業を始めます

プレートテクトニクスを習ったと聞いたので、まずは日本列島と4枚のプレートの地図を書いていきます

地震については東日本大震災を取り上げて話をしました

あまりイメージがないと思うのですが、実は僕は震災の被災地域の出身です

僕は高校を卒業するまでずっと茨城県の太平洋側に住んでいて、震災のときに僕の地域は震度7を経験しました

実際に震度7の地震を経験した人の体験談は、生徒や教師たちに臨場感のある話を提供できたようです

当時の僕は小学6年生で、年齢的には話をした生徒たちと同じくらいでした

地面が揺れたとき、僕は教室にいました

突然、床が横に大きく揺れ、とっさに机の下にかくれます

揺れが収まり、机の下から出ると、天井のちりが大量に机や床に降っていました

僕たちは教室からベランダに出て、非常階段で校庭まで向かいました

校庭へ向かう途中では、折れた水道管からまるで映画のように水が噴き出し、事態の大きさを強く感じます

弟は震災のとき、体育館で卒業式の準備をしていました

地震が起きた直後には、天井のランプが目の前に落ちてきてすごく危険な目にあったそうです

全生徒が校庭に出て、保護者の迎えを待ちました

女の子は皆泣いていたし、夕暮れになった空を近くの工場から出てきたであろうガスが覆います

「これで世界が終わるのかな」なんて感じてしまうような状況でした

母親が迎えに来て家に戻ると、本や家具が落ちて床はぐちゃぐちゃでした

電気・ガス・水道などのライフラインは止まっています

幸い電気は数日で回復したのですが、ガスや水道は復旧まで時間がかかりました

水が出ないので、井戸から水を供給している友達の家や施設に何度も水をもらいにいきました

このときはご飯もきちんと作れず、パンケーキばかり食べていたので、震災後はパンケーキが食べられなくなりました(今は大丈夫)

その後も震度4や5レベルの余震が何度も来ました

地震を経験しすぎて、震度3くらいだったら、「お、久々の地震だな」くらいにしか思わなくなりました

余震が落ち着いてからも、地震で断層みたいになって自転車が通れない道があったり、液状化現象で道路がボロボロになっている場所が何か所も残りました

地震についての描写はこのような感じです

あとは、避難訓練、津波が目の前に来たらどうするかや、東日本大震災での死者・行方不明者が学校のあるラクヴェレの人口を超えてしまうことなどを話しました

ちゃんと準備をして授業に臨んだわけではないので、何度も話が止まってしまいましたが、生徒や先生が積極的に質問をくれたおかげでなんとか様になりました

地震のこと以外だと、ゲームのことについて少し話したり、日本の近隣諸国についての話をしました

エストニアは歴史的・地理的にロシアと近いので、ロシアの話もします

一時期、日本国内では中国の漁船が日本領海に侵犯するニュースであふれていましたが、実はロシアの戦闘機による領空侵犯のほうが数で言えば多いのです(ニュースにあまりならないけど)

この話をすると、生徒からは、「They came to Estonia, too(エストニアにも来るよ)」と言いました

日本だと小5~中1くらいなのですが、このあたりの話もできるのはすごいなと思います

もう一つ話したのが北朝鮮の話題でした

北朝鮮によって日本人が拉致されていて、道を歩いているとある日突然さらわれる

そして北朝鮮でスパイの日本語教育をさせられる、という話をしました

生徒からは、一般人のふりしたスパイが日本で何を調べているんだ、とマジレスされましたが、それを知っていたら俺は今ごろこの世にいないだろうし、分からないと伝えました

授業経験のない自分がちゃんと授業できるだろうか、白けた感じにならないだろうか、と不安でしたが、生徒たちは日本についてたくさん質問してくれて、授業が終わっても質問をしにくるくらいですごく嬉しかったです

授業の後は、学校の生徒の皆と一緒に食堂でお昼ご飯を食べさせていただきました

昼ごはんが配られると、みんなが左右の人と手をつないで、キリスト教的なお祈りを唱えます

エストニア語でお祈りしていたのでさっぱり分からず、とりあえず口パクでお祈りを一緒に捧げました

メニューは黒パンとスープです

昼ごはんの間も近くの子供たちが積極的に僕に話しかけてくれました

早く食べ終わった子の中には、わざわざ僕のところまで来て話をしにきてくれる女の子もいました

モテるって気持ちいいですね

ちなみに食事の時間は体感で10分未満ですごく短かったです

食後は予定がないので、子供たちと交流しようとしたのですが、僕と関わった子たちは全員授業で、あとは英語がまだ話せない小さい子しかいなかったので、断念しました

なので、午後は職員室で先生がたと談笑したり、スマホをいじってました

3時になり子供たちが全員帰宅すると、僕を泊めてくれた男性教師が迎えに来て、ヒッチハイクでなぜか毎日訪れることになってしまったラクヴェレの街を車で出発しました

道中、学校のことを話していると、あの私立学校の採用しているヴァルドルフ教育は、日本だとシュタイナー教育と呼ばれているものと同じだということを知りました

シュタイナー教育という名前は、国際教養大学で何度か聞いたことがあったので、まさかエストニアでそれに関わることになるとは思っておらずすごい偶然です

2~3時間車を走らせ、遂にタルトゥに着きました

ヒッチハイクの前半である4.5日は北エストニアだけを移動していましたが、やっと南エストニアに来ることができました!

タルトゥは以前に1回来たことのあるエストニア第2の都市です

しばらくは中心部であるラエコヤ広場付近を見て周り、ピザ屋で早めの晩ご飯を食べました

さて、問題は今晩の宿です

エストニアのヒッチハイクで本当にネックになったのが宿泊先です

ガイドブックに書いてある安いホステルに電話をかけます

が、どこも満室・・・

当日の、しかも午後のいい時間なので、そりゃそうだよなって感じです

しかし、タルトゥはエストニア2番目の都市

日本で言えば大阪です

ホステル自体はたくさんあるので、ネットで調べます

Booking.comを使ったところ、一泊20ユーロのシングルがあったので、そこを予約しました

クレジット決済すらなくあっさりしていたので、本当に予約できたか不安でしたが、とりあえずオッケーだと考えました

ホステルの予約の後の予定ですが、実は以前からフェイスブックでやり取りしていたエストニア人のかたと会う話になっていたので、待ち合わせ場所のモールで待機しています

30分ほどガイドブックを読んだりスマホをいじって時間をつぶします

しばらくベンチに座って待っていると、声をかけてくる男性がいたので、待ち合わせの相手だとわかりました

(ネットでやりとりしただけの人と会ったり、その日会った人の家に泊まるあたり、正直自分は危機感とかがちょっと欠如している気がする)

僕はバーに行くことを考えていたのですが、男性はタリンから帰ったばかりで晩ご飯を食べてないので、バーレストランに行きました

そこで食事をしながらお酒を飲みながらお互いのことを話しました

僕はヒッチハイク・大学・エストニア語の話をします

相手は仕事・日本語・アニメなどの話をしてくれました

男性はたくさんの漢字をすでに学んでいたり、敬語も学んでいて、日本語についてしっかり勉強しているみたいです

漫画やアニメなども好きなようで、ガチオタな話は僕はできないのですが、ある程度はわかるので好きな作品について聞きました

食事の後は、車でタルトゥを見て回ろう、と提案してくれたので、車に乗せていただき街を見て回りました

タルトゥは首都のタリンとはまた違う感じがあるので、来るたびに新鮮な気持ちになります

街を回った後、彼は車でホステルまで送ってくれました

地図の場所まで着くと、看板はあるのですが、え?ここが本当にホステル?みたいな感じでした

ホステルの名前があるので、間違ってはないと思うんだけど・・・

彼も、何かあったら連絡して、と言ってくれました

車から降りて別れ、建物のインターフォンを押します

すると男性の声で、横のドアから入ってくれ、と言われます

なぜ裏口のようなとこから入るのだろう・・・

そこへ向かうと男性がドアを開けてくれました

予約がきちんとできてるか確認したところ、問題はなかったようです

男性から部屋と施設の説明を受けて、鍵をもらい、代金の20ユーロを払いました

「久しぶりの一人部屋だー!」

ホステルは一人部屋なので、ゆっくりベッドで休めます

ただ今までと比べると少しつまらないなーと感じてしまいます(これまでは、他人の家に泊まる×3日&ガソリンスタンドでホームレス×1日)

5日目になってきて、どこで車を捕まえればいいか・宿泊先をどうするか、ということができるようになってきて、ヒッチハイクの旅にようやく慣れたような気がします

シャワーを浴び、次の日の宿もネットで予約して、ホステルのベッドの上で5日目が終了します

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