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エストニアヒッチハイク4日目 3/28 (木) 【ナルヴァ → ラクヴェレ → ヴァイケ・マーリヤ】
3日目はカウチサーフィンで宿が確保できたので、ベッドで寝ることができました
女性のほうは早い時間に仕事があったので、起きてすぐに出発してしまいました
男性からサワークリームとコーヒーの朝食をいただきながら話をします
男性はベラルーシ出身のアプリケーションエンジニアで、仕事の話を聞いたり、日本のアプリ(LINEなど)の紹介などをしました
ベラルーシの話も聞いてみると、ベラルーシではロシア語ばかり使われており、ベラルーシ語を話す人は少数派だといいます
逆に日本についてはおすすめの観光スポットなどを聞かれ、紅葉や厳島神社の写真などを見せました
食事も終わり、出発の準備を始めます
ナルヴァの次に行く予定の場所は、タルトゥというエストニアで2番目に大きい都市で、南エストニアにあります
そのことを伝えると、ナルヴァから直接行くのは難しい、一度ラクヴェレに戻ったほうがいいよ、というアドバイスをくれました
ホストの男性にお礼を言い、ラクヴェレに戻るために街の西側に向かって歩いていきます
30~40分ほどハイウェイ沿いを歩いていきますが、いいヒッチハイクポイントが見つかりません
仕方ないので来た道を戻り、街の出口にあるガソリンスタンドのドライバーに声をかけます
一人目のドライバーに声をかけると、ラクヴェレまでは行かないよう
ドライバーのおじさんは、ラクヴェレまでの車を捕まえるのは難しい、そこまで行く車は10%くらいかも、と言いました
なんだ、10%もあるのか!
10%ということは10台くらいに声をかければラクヴェレまで行く車を見つけられる計算になります
この辺の考え方の変化は、ヒッチハイクに慣れて得られた成長だと思います
おじさんはラクヴェレまで行かないので、次の車を待つため少し離れたところにいると、おじさんが近づいてきました
「I give you this. This will help you!(これをあげるよ。役に立つよ!)」
そう言って8ユーロ(約1000円)ほどの硬貨をくれました
いえいいですよ、と遠慮するも、いいからいいから、とお金を渡されました
こんなことってあるんだな~と
おじさんに感謝しつつ、引き続きスタンドに来る車に声をかけます
二人目のトラックの運転手に声をかけると、「I don't stop at Rakvere, but I can take you to the point about 5 km away from there(ラクヴェレには寄らないけど、5キロくらい離れた場所にはおろせるよ)」
なんと二人目で今回は車を捕まえられました!
おじさんにお礼を言い、助手席に乗り込みます
おじさんは運送会社を経営しており、ナルヴァのお客さんの荷物をタリンまで運ぶところだったようです
昨日通った道を反対方向に進みます
道中ではお互いのことや、海の先に見えるフィンランドにグーグルのサーバー工場があることなどを話します
経営者やクライアントという話があったので、仕事での人間関係について話を聞いてみました
おじさんは、有名な人とつながってその人にプロダクトを紹介してもらえるようになれたらけっこういいよ、とアドバイスをくれました
ラクヴェレ近くのガソリンスタンドで下ろしてもらい、お礼を言って別れます
Googleマップを確認すると、ラクヴェレからタルトゥに通じるハイウェイは西側にあったので、40分ほど歩いてそこまで行きます
ヒッチハイクによさそうなポイントを見つけたので、さっそく紙をドライバーに見せます
が、全然捕まらない・・・
空がオレンジ色になり、少し焦り始めてきました
すると、1台の車が止まります
駆け寄って話を聞いてみると、「I'm going to Pärnu. I think most of the other cars go there(私はパルヌに行くの。他の車もそっちだと思うわ)」
パルヌはエストニアの南西にある街で、俺のいたハイウェイはそちらに向かう人たちが使うものだったようです
「I can give you a ride to the south of Rakvere(ラクヴェレの南まで送るわよ)」
なんとこの女性はわざわざ別方向なのに送ってくれるそうです
お礼を言って、車に乗せてもらいました
彼女はドイツから来たと言い、あまり英語は得意じゃないと言いました
俺が今タリン大学の留学生であることを伝えると、彼女は自分の息子がマレーシアに留学していることを教えてくれました
南側のよさそうなポイントに着き、「Danke Schön!(本当にありがとうございます!)」と言って別れました
近くに中世の雰囲気の塔があったりして、そこを見たりもしつつ、ヒッチハイクを再開します
が、ここでも地元の人ばかりでタルトゥ行きの車が全然捕まらない・・・
しばらくすると1台の車が止まり、5kmくらい先まで進むけど乗るか、と聞いてきます
ドライバーの男性はもともとフィンランドで教師をしていた人で、俺がITやe-Residencyをきっかけにエストニアに留学したことを言うと、エストニアのIDカードを見せてくれたりもしました
彼の目的地に着き、そこでもう一度ヒッチハイクを試みます
が、この下りた場所が、ヒッチハイクに全然向かない場所でした
ヒッチハイクは立つ場所が本当に重要で、とにかく前へ進めばいいというものではないのです
ときにはドライバーからの申し出を断る必要もあるでしょう
仕方ないのでしばらく来た道を戻りました
バス停を見つけたので、車がそこに止まれるだろうと思い、ヒッチハイクを再開します
1回車の助手席の男性に中指を立てられたりもして、初めて現地の人から差別的行為をされてちょっと傷ついたりもしました
まあそういう馬鹿なやつもいるよな、と気を取り直して続けます
だんだん空のオレンジ色が濃くなり、初日に感じた絶望感を覚え始めます
しかも今回はハイウェイの途中です
失敗したら割とやばいな、と思いつつも紙を出し続けると、1台の車が止まってくれました
タルトゥまでは行かないが、途中のヨゲヴァまでなら送れると言い、乗せてもらいました
ドライバーのおじさんは、「Not many Estonians know, but a small number of people move between the northern and southern Estonia. Jõgeva is where people go to the southern Estonia(あまり多くのエストニア人は知らないけど南北エストニアを行き来する人は少ないんだよ。ヨゲヴァは南エストニアへ人が行く場所さ)」と説明してくれました
どうやら北エストニアのラクヴェレから南エストニアにあるタルトゥにヒッチハイクするのはなかなか厳しかったようです
彼はヴァイケ・マーリヤという村に住んでいるそうで、普段はラクヴェレの学校で教師をしているそうです
と、ここで彼が提案をしました
「If you're willing, can you speak about Japan in class tomorrow? If you do, I can accomodate you at my house. If you don't, I can take you to Jõgeva(よかったら明日の授業で日本について話してくれないか?そうしてくれるなら、僕の家に泊めてあげられるよ。できなそうなら、ヨゲヴァまで連れてくよ)」
え、俺ヒッチハイクしてたら、エストニアの学校で授業をすることになったの?
面白すぎでしょ!
俺は二つ返事で彼の申し出を了承しました
彼の家に着き荷物を置くと、村を見るかい?と言ってくれます
断るはずもありません
彼の案内で村のいろいろなところを見て回りました
ドイツ人貴族がいた時代の貴族の家と庭園
湿地と湖
ソビエト時代に彼が幼少期を過ごした家
まさしくエストニアのローカルに触れることができたといえる瞬間でした
エストニアがソビエト連邦だったとき、エストニアの村ではどのような暮らしをしていたかなどを聞き、とても感慨深くなりました
彼の家に戻り、お風呂を借りました
洗濯もさせてもらえたので、とても助かります
夕食をとりながら、今までのヒッチハイクの話を彼にしました
彼も旅などが好きで、俺の話を聞きながら、昔の自分の旅を思い出していたそうです
彼はカウチをかしてくれて、「明日の日本の話は何をしよう?」と考えながら寝て、4日目が終了します
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