【野球】バッティングと立ちションの関連性に関する考察 〜一流打者の言葉から読み解く〜

はじめに

本記事は、日本球史屈指の名打者の発言から「立ちション」とバッティングの関連性を考察する画期的な試みである。本記事が、多くの野球愛好者にとって有益なものとなり、さらに現代社会において不当なまでに排除されつつある「立ちション」の復権に繋がれば幸いである。

「雨の日の立ち小便」 張本勲氏の場合

バッターにとって、打席での「構え」とは、投手の投球動作とのタイミングを計り、理想的な形でスイングを始動するための姿勢であり、打撃において極めて重要な要素である。そのため、プロ野球ファンなら知ってのとおり、多くの打者が、自らにとって最適な構えを確立すべく試行錯誤を重ねてきた。

さて、通算3085安打を打った張本勲は、その構えについて「雨の日の立ち小便」のように構えるのがベストだと言っている。

平成生まれのゆとり世代である筆者は、恥ずかしながら屋外での立ち小便経験が乏しく、まして雨の中の放尿経験は皆無である。そのため、ここからはあくまで推論となるが、張本氏の発言の趣旨について考えてみたいと思う。

まず、容易に読み取れるのは「放尿時のようにリラックスし、力を抜け」ということだろう。
始動するまではなるべく筋肉を弛緩させておくことで、インパクトの瞬間に最大のパワーを出せるという理論は、現代の打撃指導においても常識的なものである。

もう1つのポイントは、ただの立ち小便ではなく「雨の日の」であるということである。これはどういうことだろうか。

雨が降っていれば、地面には水たまりができるだろう。そこで普通に小便をしたらどうなるか。そう、はねて飛び散るのである。では、雨の降りしきる屋外でスマートに立ち小便をするにはどうしたらよいか。これは男性諸氏なら直感的にわかると思うが、膝を少し曲げ、腰を落とした格好をとればよいだろう。

つまり、日本一の安打製造機が唱える理想の構えとは「リラックスし、腰を落とす」というものだと思われるのだが、張本氏がそのような説明の仕方ではなく、わざわざ「雨の日の立ち小便」と形容したのは、単なる比喩などではないと筆者は考える。おそらく、そのような喩えでしか伝わらない、より微妙なニュアンスや繊細な身体感覚を表現しようとしたために違いない。

これも男性諸氏なら首肯されることかと思うが、(屋外・便所問わず)立位で放尿するの際の力の抜け具合、そして身体の老廃物とともに脳内の雑念までが排出されていくような感覚は、独特のものである。いわば、リラックス状態であるのと同時に、的を外さぬよう、股間から放たれる放物線の先端に意識が集中している状態である。

そう、張本氏は「雨の日の立ち小便」という形容を用いて、身体の使い方のみならず、打席においてあるべき精神状態のあり方までも伝えんとしているのである。やはり一流の言葉には深みがある。

ユーモアの裏に隠されたプロ意識 福本豊氏の場合

立ち小便といえば、通算1065盗塁の記録を持つ「世界の盗塁王」こと福本豊が、国民栄誉賞の打診に対し「そんなもんもろたら立ちションもできなくなるわ」と辞退したのは有名なエピソードである。

しかし、これを単に福本氏のユーモアや謙遜と捉えるのは浅慮というものである。
「盗塁王」のイメージに隠れがちだが、福本氏は最多安打を4度獲得、通算本塁打数も208本(実働20年)という数字を残している、屈指の好打者でもあった。
その福本氏が発した前出の言葉は、やはり立ち小便とバッティングの間に深い繋がりがあることを示唆しているに違いないと筆者は考える。

これもあくまで推察だが、福本氏は張本氏と同様、屋外での立ちションから打撃の真髄を得ていたのだ。そして、おそらくは調整メニューのひとつとして、定期的に立ちションをしていたのではないか。
つまり、福本氏にとって「国民栄誉賞」などと持ち上げられ、「気軽に立ちションもできなく」なることは、まさに野球生命に関わる大問題だったのである(打撃成績が下がれば、当然盗塁のチャンスも少なくなる)。
こうしてみると、氏の「立ちション」発言は途端に、野球選手としての高邁なプロ意識が滲み出たものとして感じられないだろうか。

「ボール遊び」と「立ちション」の復権を!

選手として三度の三冠王に輝き、監督としても中日を四度のリーグ優勝に導いた落合博満氏は、現代の子供は「ボール遊び」をろくにしないうちにユニフォームとグローブを身につけ「野球」を始めるため、ボールの扱いが不器用だという趣旨の発言をしている。いかにも落合氏らしい、鋭い視点である。

同様に、現代っ子は立ちションをろくにしないうちから「バッティング」に取り組んでいるといえるだろう。
「立ちション」が張本氏や福本氏といった名打者に打撃のエッセンスをもたらしていたことを考えれば、このような状況は、将来における日本野球の致命的なレベル低下を招きかねない由々しきものではなかろうか。

従って筆者は次のように提言したい。今後日本の少年野球においては、

「グローブはめる前に、素手で掴んでボール遊び」

そして、

「バット握る前に、イチモツ握って立ちションベン」

この2点を徹底するべきではなかろうか。

ボール遊びと立ちションの復権なくして、日本野球の未来はないと言っても過言ではない。同時に、大人も子供も全力でボールを追える、そして昔日のようにのびのびと立ちションができる環境の整備が、国を挙げて推進されることを期待したい。

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