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経過報告:自分見守り2年経過

久しぶりにnoteへ投稿しています。

久しぶりにアクセスをしたところ、いくつかの記事にリアクションがあり、
その後の自分っていうものも綴っていったほうがいいなと思いました。

「なりたいと思い続けることをやめた」
有名人の〇〇さんみたいになりたいな~
英語がペラペラっと話せるようになりたいな~

変化のきっかけは「なりたい」という思いから入ってくると思うのです。
ただ、それって8割・9割こんな思いが隠されています。

「なりたいな~(でもどうせできっこないし、むりむり)」

この無意識のどうせできっこないしってすごく強くないですか?笑
自分も意識していないところでなりたいなが消滅するくらい強い。

なりたいなーと思って行動に移せる人は恐らく2割くらいでしょうか。
さらにそのなりたいなと思って現実化させるために継続して行動する人って
さらにその2割くらいの狭き門。

こう書いてしまうとなりたいななんて思うだけ損なんて極論を言ってしまう方もいるかと思いますが、それでも「なりたい」という想いはやはり大事にしていきたい気持ちだし、すべてのきっかけになる感情なのだなと思っています。


さて、私は「なりたいと思うのをやめた」と綴りました。
なりたいというよりも「なる」「なった」と思うことにするという考え。
その後の行動も踏まえた想いとでもいいましょうか。

その結果、人を過度に羨むことはなくなり、嫉妬や妬み(たまにでちゃうけど)もほとんどなくなっています。

人は人。私は私。

そして比べることも(たまにやっちゃうけど)ほとんどなくなりました。

シュッとした素敵な人とくらべてボンとしている自分。
キュッとした小顔の素敵な人と比べてボンとでかい顔の自分。

なんてね。笑

外見ばっかなの?いえ、もちろんそんな事有りません。

(たまにやっちゃうけど、でちゃうけど)これでいいんだろうなと思います。だって、それまでずっと誰かと比べて勝った、負けた、正しい、正しくないなんてジャッジしていたんですから、癖はそう簡単に抜けません。
無意識領域ってやつはメイ・ウェザーよりも那須川天心選手よりも強いんです。笑 
個人的にはそのジャッジは全く意味がないと知っていることが大事だと思っています。誰かを見てジャッジするのではなく、どうせならそのジャッジは自分に使いたいです。「どうしたい?どう思う?どうだったの?」

また、気づきとしては「ない」ことにフォーカスしすぎていたなということに心底気が付いたこと。いつも外にばかり向いていた気持ちはいつの間にか自分の内側に気持ちが向くようになり、自分にはたくさん「ある」んだということに気がついたんです。

寒さ・暑さから守ってくれる家がある。
毎月お給料をもらえる仕事がある。
頼りにしてくれる人もいる。
いざという時にしか連絡はしないけど、話を聞いてくれる人もいる。
毎日、好きなアイスだって選べる環境にいる。

恵まれた環境にいるんだと思いました。

私は自分が傷つかないように自分自身に対して過保護過ぎて、
本当はもっといろんなことを経験できたのに、やってこなかったなと気づいて後悔の海をしばらく泳いでいたことも有りましたが、
その半面、自分が緩んだ途端にあ、周りも優しいんだ。と気づいたのは大きかったです。結局世界は自分で創り出す。まさにこれなんですよね。

それでも、まだお金に関して踏ん切りがついていない自分がいます。
お金を積極的に稼ぐことについてどこか罪悪感がある、怖いことをしないとお金は手に入らない。苦労をいっぱいしないとダメだなんて思っているお金に対する自分の思い込みが強くあるんですよね。
今後はここに集中していこうと思っています。

人生は長いようでとても早く過ぎていきます。もう1秒だって無駄にしたくないと思いつつ、無駄な時間を過ごすことだって自分にとって必要なこと。すべては私にとって最高で最善の道に向かっているんだ。

改めて、こんな風な考えを持つことができました。
一気に書いたので乱筆・乱文すみません。
また、自分の変化や気づきを綴っていきたいと思います。


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