新型コロナウイルス騒動から見るマクロとミクロ その10


志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった。70歳であった。日本を代表するコメディアンの死は、私のTwitterのTLでも朝から志村さんへの追悼と悲しみで溢れていた。

日本の40代以上にとってドリフターズの存在は大きいと思う。学校での話題として昨日のテレビの話題があり、その中にドリフターズは含まれていた。お茶の間のテレビが娯楽の王様であった時代だ。

だからこそ、志村さんの死は我々に喪失感を与えている。

新型コロナウイルスで人はす可能性がある。大切な人かもしれないし、名前も知らない誰かかもしれない。

ミクロの視点では、普通に加害者になりたくないと思うだろう。今日も外でドアノブをハンカチで開ける人がいて本格的に触りたくないのだなと感じた。

でもどうすれば加害者にならずにすむのか?

個人のレベルで出来ることは、

・手洗い
・不要な外出を避ける
・換気

これくらいでは無いだろうか。

マクロで見るとどうなるのか。

人の移動を制御するのであれば、公共交通機関を止めてしまうのが早い。関東圏の知事とJR私鉄各社で話せば1週間ほどの停止は可能だと思うのだがどうだろう。必要な工場の稼働は会社が近隣のホテルで従業員を泊めてしまえばいいと思う。

どこまで閉鎖するかということがあるけれど、新型コロナウイルスの場合、東京にいるのが安全であると思う。もしくは医療者の数がその地域の人数に対して余裕がある地域である。新型コロナウイルスに感染しなくても、人は風邪をひくことはあるし、インフルエンザやノロウイルスもある。病気になるときはなる。病院のベッドも新型コロナウイルスのためにだけあるわけではない。

そう考えると自然感染を増やすことでの対応はたしかに医療崩壊を起こすかもしれない。未だに対処療法しか無い状況では難しいだろう。5月から6月にかけて感染者の伸びがなければ一旦は収束に向かうと思われるが、怖いのは南半球である。これから南半球はどんどん寒くなるためそこでの感染拡大が起こるのではないかという推察がある。杞憂であればいいのだが。

2020年は、オリンピック・パラリンピックの話題で始まったが、今や新型コロナウイルスの話題で持ちきりである。このまま今年が終わるのかそれとも素敵な話題が出てくるのかは今、引きこもり光明を見出すタイミングを待つしか無いのだろう。自分の中でのよかった探しをして、1日の幸せを積み上げていくしか無い。

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