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新型コロナウイルス騒動から見るマクロとミクロ その94 ~コロナを超えていく~

我々は医療と公衆衛生の発展した21世紀に生きていることは幸せであると思う。古代から近代にかけて病気などに対しても原因は特定されることなく祈祷等で回復できないケースもままにあったと思われる。そんな中に現れた新型コロナウイルスは2020年、世界を震撼させている。

時々、SNSやネット記事のタイトルで、「コロナと生きる」と言ったような見出しを見ることがある。私は、新型コロナウイルスは新しい感染症のウイルスであり、「今は」共に生きているかもしれないが、新型コロナウイルスを乗り越えていかないといけない相手だと認識すべきである。共生することが出来るとは考えるべきではない思う。

現在、各国にてワクチンの生成に向けて研究が進んでいるのは事実である。既に新型コロナウイルスに対するゲノム解析は終わっており、今後の見通しはこれまでに比べて早い展開が予測できる。今回の新型コロナウイルスは既に特定されたウイルスであり、対処療法になるにせよ何らかの方法があるはずである。乗り越えられない病気ではないはずだ。確かに普通の風邪と考えるには難しい事後症状がいくらか報告されているが因果関係を含めても今後の研究次第なのかもしれない。

そういった真面目に研究や政策を整えている時ほど、大衆はアホになる。欧米でのマスク反対デモや日本でのクラスターフェスなどがそうである。コロナなんて無い、メディアが作り上げたデマだというのであれば、それの反証を技術的にしてくれと言っても何も出てこないだろう。そう言えば、ドクタードルフィンも常人には理解できない説明をされていた。ひょっとすると我々、常人には理解できない病気なのかもしれない。新型コロナウイルスによって騒動が長引けば長引くほど宗教的なことなどオカルト的な事が増えていくと思われる。

前にも書いたが政府を頼ることは愚策であるから、情報を自分で集めて自己防衛に走るしかない。あとは注意していても感染するときは感染してしまうということである。ウイルスは微細なものである。ずっとマスクを付けているわけでも無い。飲食する際には基本外す。完全な防御なんて出来ないのであるから、危険性が無いことはありえないと考えるべきである。過剰なまでの新型コロナウイルス対策に対して本当に必要なのかは疑問である。未来から見直した時に「どうしてこうなっていた」と言われても仕方ないだろう。我々が中世の感染症の状況を見るのと同じことになるのだろう。

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