新型コロナウイルス騒動から見るマクロとミクロ その8

80年代は終末思想が流行した影響で、ノストラダムスの大予言に関する書籍も多く出版された。そういった終末思想から北斗の拳やマッドマックスといった荒廃した世界を描く作品が80年代によくある。さながらそんな世界を想起させるような状況が起こるとは思わなかった。日本アカデミー賞を受賞した「翔んで埼玉」には、自虐的に埼玉県民は東京に入るのに通行手形が必要だというネタが半現実的に自粛要請のような状況を迎えた。東京閉鎖というように受け止められるからスーパーでの買い込み客で大賑わいである。冷凍職員や日持ちがする食品の買い占めが始まっている。本当に食料危機が起きるのだろうか。恐らく誰もが早期収束を願っているものの中々難しいだろう。

難しいのはなぜか。いくつか理由があるが3点見ていこう。まずは、先日、日本語で投稿されたワシントン・ポストのシミュレーションを見ると分かるようにある程度人が動かない状況で時間を過ぎないと多くの感染者を生んでしまうことが分かる。より感染者数をコントロールしながら収束させるかといった点ではある一定数が家から出ないようにするしかないような状況になるが現状の日本では出来ていないという状況である。桜の季節で人の接触が多くなるとクラスター感染の危険性が増していくだろう。

次に日本の法的な流れとして自粛を促すことしか現状出来ていないという点がある。東日本大震災の際に色々と準備はしたものの、韓国のMERSのような経験が無かったことで何を準備すべきだったかが明確化出来てきたのではないだろうか。例えば、戒厳令のような状況が出来る法案があればよかったのか、それとも、また別のアプローチを考えるのか含めて検討されればと思う。また企業がテレワークに関しての状況も考えるべきである。工場といったところでさえ、遠隔リモートが可能になってくる可能性がある。自粛を促すだけでは思うようにはコントロールできない。

最後に個々人の危機意識の低さである。私も危機意識が高いわけではないが、以前より頻繁な手洗いは実施している。パニックになる必要はないが、新型コロナウイルスに対してある一定の危機感を持つ必要はある。あれば先週の3連休にお花見で混んでるということは無かったと思うのだ。(沖縄にいたため強くは何も言えないが。)正しい情報を手に入れるというのは日々の生活においても重要なスキルになってくる。今は多くのニセ科学の新型コロナウイルス対策が出回っているようである。

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