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「クリエーティブ」への畏敬と畏怖

ぼくは、「クリエーティブ」という言葉が苦手である。

苦手である、というか、よく分からない。分からないから、怖い
何度説明されても、頭で分かったフリをするけれど、本当はよく分かっちゃいないのである。

スティーブ・ジョブズがiPhoneを開発して世界を変えた頃から(いや、本当はもっと前からかもしれないけど)、「クリエーティブ」こそリーダーの必須スキルのような雰囲気に世の中が変わってきた。それまでは、「信念」「実直」みたいなものが持て囃されてきた気がしてたけどな。昔からそっちが大事だと教えられてきたけど、でもよくよく自分の頭でちゃんと考えてみたら、「ああそりゃめっちゃ大事だわ、クリエーティブ」と分かるようになった。いや、でもクリエーティブの意味はやっぱりよく分かっちゃいないんだけど

分からない、と連呼しているけど、もっと正確には分かっているのかも分からない
なぜなら、どうしても自分はクリエーティブな人間ではないという卑下した気持ちがあるからだ。

子どもの頃から、ぼくはものを作ることが苦手だった。絵も下手だし、手先も不器用。父や姉弟は得意なのに、なぜかぼくだけダメだった。(一度だけ、小2のときに絵で県特選を取ったが、あれは自転車の車輪を画角を間違えてデカく描きすぎたことが逆に良しと評価された。完全に、偶然の産物。)
「つくる」ことに苦手意識がしっかりと根付いてしまったため、与えられた問いに決められた解を出すことに力を注いだ。だから、学校のテストは得意だった。

野口英世に憧れていた子どもの頃のぼくは、薬の研究者を志した。でも、研究って当然クリエーティブな発想が求められる職業である。しかも、新たな発見ってデカい浴槽の中から一粒の砂金を見つけるような作業(伝わる?)で、とても出来る気がしない。でも薬の研究をしたいぼくは、自分にもできるかもしれない分野を発見した。それが、「分析(Analytics)」だった。なんとなく、「クリエーティブさ」よりも「実直さ」「勤勉さ」とかの方が役に立つ分野な気がしたからだ。案の定、「分析」は結構好きで楽しくやれたから、望んだその道にも進めた。 

しかし、辞職してUターンしたあとに就いた「まちづくり」「地域おこし」という仕事は、すごくクリエーティブさが大事な仕事だった。真面目なことも大事だけど、それは役場の人たちもみんなそう。どうやら、いまはないものをやらないといけないようだ。まずいな。

人生で初めてクリエーティブディレクターなる職業の人に出会ったり、色んな地域のことを調べれば調べるほど、みんなクリエーティブって言葉を使ってる。わー、やばい仕事に就いちゃったぞ、と思った。

ぼくは色んな地域で取り組まれてる様々な活動を、自分なりにアレンジして有田で試した。あとで教えてもらったけど、これは「ブリコラージュ」というらしい。0→1は苦手だけど、0→1' ならできた。全くの新規案件をつくり出すことは、やっぱり今も得意ではない。

有田というまちは、ご存知のとおり「有田焼」というクリエーティブそのもので成り立っているまちだ。でも、6年くらいこのまちで働いてると、有田にあるクリエーティブはどうやらちょっと偏っているな、と思うようになった。似た種類のクリエーティブはあるが、バリエーションがちょっと少なそう。
有田焼産業はいま斜陽で、これを打開するにはもしかしたら今はあんまり有田にないクリエーティブが必要かもしれないな、と思うようになった。

ぼくは、灯す屋という団体で、これから有田に色んなクリエーティブを集めるアクションを起こしていくことに決めた。苦手なはずのクリエーティブだが、やっぱりクリエーティブを尊敬してるし憧れてるし、本当は多分大好きなんだろうなという気がしている。なんなら、たぶん「佐々木は結構クリエーティブだと思うよ」とか誰かに言って欲しいような気もしている(恥)。そしたら、子どもの頃から持つ何かが昇華される気も。いや、でもぼくはクリエーティブでなくてよいのだ。

有田に色んなクリエーティブを集めて、新しいクリエーティブを生み出す
それが5年後か10年後に1つでも生まれたときに、初めてぼくは自分で自分を「クリエーティブじゃん」と褒めてあげたいなと思っている。

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