”たのしめ”
さて、昨日灯す屋の理事MTGを開催したところ、度々現れる大きな壁にぶち当たりました。
先日書いた『「暮らしの豊かさ」とは何か』とも繋がりますが、「現実的に、わたしたちはこのまちがどうなって欲しいのか。どこを10年後の着地点とするのか。」というところです。この「現実的に」というところが非常に重要で、これまでの私たちの活動は、「こうなって欲しい」「こうなったら良いよね」というやや実現根拠薄めとも言える理想を掲げて動いてきました。しかし、今年度開始する事業コンセプトを考えるにあたり、「うまくいかないかもしれない理想」ではなく、「現実と向き合って、最善を尽くせばうまくいくはずの理想」を掲げる必要があるのではないか、というところに行きつきました。
現実的にならないといけない、と強く思うきっかけはもう1つありました。それは、このところ話題の「年金足りない、老後2千万円貯蓄が必要」の話です。
人口縮退・超高齢化国家の日本において、いまの若者が年金だけでは老後100歳まで生きていけないのは明らかです。本来、議論すべきはそこに現実的に向き合ってどう解決すべきか考えることのはずですが、国は「そんなことは言ってない。あれば担当者のミスだ。」と言って見て見ぬふりをしようとしています。
現実と向き合うのは、なかなかしんどいです。
無理ゲーだと思うのは超簡単だし、やっと出した答えが明るいとは限らないし、自分たちの考えや行動だけではどうにもならない大きな(政治的な)動きが存在することも確かです。自分たちの力量のなさにも、真正面からぶつからないといけません。逃げたら楽チンだなと思ってしまいます。
そんな中で読んだ、ほぼ日の「今日のダーリン」(6/15付)にこんなことが書いてありました。
(以下、一部抜粋)
・今年の2月に亡くなった方だが、
笑福亭松之助さんのことを、わりと何度も思い出す。
お会いしたことはないが、明石家さんまさんの師匠だ。
(中略)
弟子入りしたさんまさんが掃除をしていると、
松之助師匠が「掃除はたのしいか?」と訊いたという。
さんまさんは、うれしそうにそのときのことを話した。
「『いいえ』って答えると『そやろ』って。
『そういうのがたのしいわけがない』と、
おっしゃるんです。
そのときに、師匠に、
『掃除はどうしたらたのしいか考えろ』って
言われたんですけど…そこでしたねぇ。
あの、掃除なんて、たのしくなるわけがないんですよ。
でも、『たのしくなることを考えてることはたのしい』。
っていうところにねぇ、
18歳のときに気づかせていただいたのが
非常に助かりましたね」と。
(中略)
それを聞く前も、その後も、
たのしくないことは、もう、毎日、いくらでもある。
苦手だとか不得意なのにやらなきゃならないことも、
立場上やらなきゃまずいだろうということもある。
でも「どうやったらたのしくなるか」考えながらやる。
これを、ずっと続けているのは、実はたのしいのだ。
(後略、以上)
あ、そうだった。
自分はこれまでも、しんどいはずのことを「自分が楽しむこと・周りを楽しませること」で少しずつ前に進めてきたんだった、と思い出しました。「有田にシェアハウスつくってもうまくいくわけないよ」と言われながらも、楽しみながらつくったし、ちゃんとうまくいったじゃん。
有り難いことに、ぶつかる壁はぶつかるたびに大きくなってきているような気がします。そして、もう自分だけでは越えられないので、一緒に越えようとしてくれる仲間が増えてきているようにも思います。
まだ、壁を越える答えどころか小さなアイディアすら浮かんでこない状況ですが、いまを楽しもう。楽しくなることを考えていくことは楽しいんだから。
梅雨が明ける頃には、少しでも光が灯せてたらいいなあ。