ふみサロ11月課題≪百色図鑑≫を読んで
6月からエッセイ塾、ふみサロに参加してい
ます。
毎月課題本から得たインスピレーションをもとに800字程度のエッセイを書き、参加者同士で講評する。SNSで発信するまでが課題。
8月から、SNSに投稿してから合評会となりました。
以下がエッセイ
朝焼け
12・3歳の頃の話しだが、今でもはっきり覚えている朝焼けの風景がある。
子供の頃、父の仕事へ付いていくことがあった。父は曜日ではなく、日にちで仕事をしていた。1日は銀座、10日は岡山というように。刀剣専門の古美術商だった。たくさんの刀剣をかかえて、刀剣や骨董品の市場へ出掛けるのだ。
その日は京都の市場だった。
年に1·2回、大会と呼ばれる盛大な競りが行われ、終わると大宴会があるのだが、京都の老舗旅館で行われる大会は滅多にないから、という理由で付いていったのだと思う。
東京発6時頃の新幹線に乗った。
発車のベルがなり、慌ただしく窓側の席に座ろうとしていた時、窓一杯に広がる風景に目を見張った。
真っ赤。
全てが真っ赤。
恐ろしいくらい赤だった。
とにかく空が真っ赤で強烈過ぎて、
ビルなどの建物がどう見えていたのかは覚えていない。
これから始まる旅へのワクワク感は一瞬止まったような感じだった。
父が仕事をしている間は、母と一緒に観光して、宴会が始まる頃旅館へ行った。
広い宴会場には、お膳と座布団がずらっと並べられていた。大会が終わったばかりで、出入りする大人たちは賑やかだった。
宴会が始まると、次々と料理が運ばれて来た。唯一覚えているのが、まるでサイコロステーキのようなマグロの刺身が一切れ。白くて身がクチャっとなっている魚が一切れ。それは鱧の湯引きだというのを知った。
しばらくすると、舞妓さんたちがやってきた。一人一人お客さんの目の前に座り、二言三言会話をしている。私の目の前に来た時は、どうしたらいいのか分からず困ってしまった。舞妓さんは、ペラペラおしゃべりするような雰囲気はなく、私が話すのを待っているような感じだった。なんとなく気まずい間があって、ようやく「おねえさんはどこから来たの?」と、京ことばで聞かれた。
数年後にはバブルもはじけて、京都の市場はなくなった。あのときは凄かったよねと、
いまだに母と話すことがある。
夕焼けと同じように朝焼けがあるんだと知ったのもこの日だった。
(おわり)
あの日の赤い朝焼けの色にはどんな名前がついているのかと思いながらページをめくったけれど、当てはまりそうな名前がなかった。近いのは"血色"だろうか?
朝焼けから始まった衝撃的な京都での1日の思い出を書きました。
今月の課題本です。
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