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松ちゃんと僕らの物語        その4 松ちゃんの新しい仕事


(小倉駅で長く野宿をしていた松井さんが、ついに、自立支援住宅に入られた。これでひと安心と思ったのも束の間、松ちゃんは、次々に問題を起こした。『試し行動』だとわかっていても、私たちの心情は穏やかではなかった。ただ、そんな松ちゃんは「自分の出番」を見出そうとしていた。)

自立支援住宅に入り二カ月が過ぎた。

その年の夏の終わり。松ちゃんは、新しい仕事を始めた。「仕事」といっても会社勤めではない。松ちゃんは、毎朝わが家に新聞を届けるという役割を自ら担うと言い出した。ただ、届けるといっても郵便受けから新聞を取り一メートル先の玄関ドアのノブに挟む。それが「仕事」だった。果たして「ありがたいか」と問われると良く解らないが、この松ちゃんの変化は僕らにとって驚くべきことだった。

松ちゃんは、子どもが好きだった。わが家の子どもたちは、みんな松ちゃんのお世話になった。当時、末っ子の時生(とき)は幼稚園の年長組。セミに興味を持ち始めた頃。それを知った松ちゃんは、何とか時生にセミを捕ってやりたいと思ったようだ。だが、酔っ払いの親父に捕まるようなのんきなセミはおらず、松ちゃんの奮闘むなしく収穫の無い日が続いた。
夏も終わろうとしていた頃、ついに松ちゃんはセミをもってわが家の玄関に立った。松ちゃんは、セミを捕獲する技術を手に入れたようだったが、どこか腑に落ちないことがあった。

なぜかセミは「マッチ箱」に入って届けられた。そして「マッチ箱ゼミ」は、既に全員ご臨終されていた。「マッチ箱ゼミ」を受け取る時生はなんとも言えない表情だった。「時生、松ちゃんがセミ捕ってきてやったぞ」と松ちゃんは誇らしげだ。「ひょっとすると、すでに召天済みのセミを拾っているのでは疑惑」が浮上する。だが、そんなことは恐ろしくて聞けない。しばらくして、わが家の玄関には、標本が出来るほどのセミ(死がい)が溜まっていった。時生はといえば「松井のおっちゃん、ありがとう」と応えていた。実にできた子どもだ。親の顔が見たい。松ちゃんは満足げに笑っていた。

当然、松ちゃんは何も悪くない。正しくないかも知れないが間違ってはいない。ただ、その一生懸命さが痛かった。あの頃の松ちゃんは、変わろうともがいていたように思えた。僕は、そんな松ちゃんが、ますます好きになっていった。

人には居場所と出番が必要だ。住んで、食べるだけではダメなのだ。松井さんが松井さんとして生きるためには役割が無ければならない。

こういう言い方をすると「何かの役に立たなければならない」と言っているように聞こえるが決してそうではない。役に立って、それが「お金」に繋がれば、それはそれで意味がある。だが、その価値評価が「経済効率や経済における生産性」に偏重されている限りにおいて、「役立つ」は必ずしも当事者にとっての意味をなさない。

そうではなく、生産性というものは、その人がその人としての自己実現を果たせるか。あるいは、お金や、経済を超えて「誰かにありがとう」と言ってもらえるかということとの関連で考えられねばならない。時生の「松井のおっちゃん、ありがとう」は「一文にもならない」が、松ちゃんにとっては何物にも代え語り意味を持った。

神様の作った世界は広い。だから「価値の測り方」も無限にある。それを経済やお金に矮小化してはならない。当時の僕にとって松井さんの存在や日々の行動が人間とこの世界に対する希望となっていた。松井さん自身、時生の一言に希望を見出していたのだと思う。

つづく


#ほうぼく

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