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蔵の街は、ひとのまちだった

「どう?栃木楽しい?」と友達に聞かれた時、「うん!全然帰りたくない、移住する〜〜」と返事をしていたくらい、楽しかった。

たった13日間の出来事。
栃木市嘉右衛門町で過ごした、夏のこと。

22歳、夏の思い出


父親との思い出が少ない私には、先生よりも近い距離感で男の人から、知識を教えてもらうのはすごく新鮮なものだった。
「この場所は、昔こうだったんだよ〜」と教えてもらう。
私は、住んでいるまちのことをどれだけ知っているだろうか。
私は、生まれ育ったまちのことをどれだけ話せるだろうか。





時々、私は帰る場所が分からなくなってしまう。遠出をした時はなおさら。
自分の帰るべき場所を見失ってしまう。本当にここが帰る場所なのだろうか、と感じてしまう。

それが嫌で、怖くて
私は自分の家を持とう、自分だけの帰る場所を持とうと決意して、一人暮らしを始めた。
新しいまちに移り住んでから、もう9ヶ月も経っているというのに、そのまちの知り合いは1人もできていない。

でも、たった2週間で栃木で沢山の人と知り合った。
そのことがすごく嬉しかった。
帰る場所が見つかったような気がする。


前期の授業で「空が広くない東京が私は嫌いです」と発表した。

でも、栃木は空が広かった。見上げれば、一面に空が広がっている。そのことがすごく嬉しかった。


江國香織の『神様のボート』に、「一度出会ったら人は人をうしなわない。」という一文があるのだけど、本当にその文章が当てはまる出会いが沢山だった。

ここで出会ったとある人は、「歳を重ねるとかたい文章しか書けなくなっていく」と言っていた。
確かに、私が「とっても」だとか「すっごく」と言う時、大人は「非常に」と言っていた。
10年後、20年後、私もそうなることが少し怖くなった。

でも、このまちは遊び心に溢れていて、このまちに住む人々は、蔵の街ということに誇りを持っていた。
自分の住むまちに誇りを持つなんて、とっても素敵なことだと思う。

それから、このまちには、自分がしたい事や好きな事をしている人が沢山いて、その人たちは目を輝かせてその事を話してくれた。
目を輝かせている人の周りには、目を輝かせている人たちが集まってくるのだと思った。

そんな素敵な人たちは、私を外から来た人でもなく、大学生というステータスでもなく、私をわたしとして、見て,聞いてくれていたように思う。
大学で何を学んでいるかではなくて、何を感じているかを。

初日に、どういうことをしたいか聞かれた時、特にないと答えてしまった。
遠回りをしたかったから。それに、今まで興味を向けてこなかった面白いことに出会える気がしたから。
だけど、「特にない」なんて、主体性も積極性もない人だと思われていたらどうしようと後から不安になっていた。

でも、最終日にこんな嬉しい言葉をかけてもらった。
それに、ちゃんと、「今まで興味を向けていなかった面白いこと」にも沢山出会えたよ。


栃木の楽しいこと詰め合わせパックみたいな2週間だったから、私の経験したことが全てではないはずだけど、それでもいつか移り住みたいと考えてしまう。


栃木で過ごした家は、目の前に巴波川が流れていた。
自由時間のほとんどを川を眺めて過ごした。流れる水を目で追っていた。

私が住んでいる家は、目の前に道路が走っている。
横には、線路、それから、国道が走っている。
帰ってきてから、ベランダに出てみても、景色を眺めて過ごせなかった。

ベランダからの眺めの良さを決定打に、今の家を選んだはずなのに、この景色で満足できなくなってしまった。

早く、日常生活に心を戻したい。

とある本に、「私たちにはいつも、どこに行っても居場所がない。だから、いつも今いるここを出てどこかへ行きたい」という一文がある。
私は今、このことをとても痛感している。

きっと、私はいつになっても、帰るべき場所が分からなくなってしまう。
安定を恐れ、不安定を愛してしまう。

保険をかけて大冒険をすることはできない。

だから、これからも、旅をするように生きようと思う。

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