見出し画像

【歴史小説】1508年-“黄金の都市”インスブルック

《登場人物》

皇帝マクシミリアン1世(1459-1519)
ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝。中世最後の騎士と称され、武勇に優れ戦に巧みであった。
2度の結婚によりブルゴーニュとミラノを得て、更に息子孫を各地の王家と婚姻させた結果、やがてその没後に広大な世界帝国が出現することとなる。

パウル
リヒテンシュタイン卿。先祖代々ハプスブルク家に仕えてきた一族の出身。皇帝マクシミリアン1世の侍従をしている。一族はのちに功績によって侯爵となり、帝国諸侯に列して「リヒテンシュタイン侯国」を建国した。

フィリップ
美男王と称される。マクシミリアンの嫡男であったが、妻の縁からカスティーリャ王位への野望を見せたのち、若くして急死した。

マルグレーテ
ネーデルラント総督。フィリップの妹。政治に優れた才女であったが、私生活では夫と子無きまま先立たれており、そのために甥であるカールを手元で育てて可愛がっている。

カール
フィリップの息子にしてマクシミリアンの嫡孫。この時わずか8歳であったが、やがて数奇な運命からスペインをはじめ「太陽の昇るところから没するところまで」の世界帝国を支配することとなる。後の神聖ローマ皇帝カール5世。

フェルディナント
カールの弟で同じくマクシミリアンの孫にあたる。母方の祖父であるアラゴン王のもとで養育されているが、後世のエピソードを見るに社交的な性格はマクシミリアン譲りだと思われる。長らくハンガリー王・ボヘミア王に収まっていたが、兄カールが退位すると次に皇帝位に登った。後の神聖ローマ皇帝フェルディナンド1世。

フェルナンド
アラゴン王フェルナンド2世。先妻イサベル生前時は揃ってカトリック両王と呼ばれた。不幸が重なって嫡子を失い、後妻を迎えたものの嫡男を未だ得られていない今では、手元にいるフェルディナントへの継承を望んでいる。

1508年-“黄金の都市”インスブルック
(皇帝マクシミリアンI)

 風になびく金色の髪、日に焼けた鷲鼻。目元は干からびた川のように深い皺が刻まれながらも、その面影から往時は夢物語に出てくる、純白の馬に跨った騎士の如き容貌であったことだろう。その「神聖なるローマ皇帝」マクシミリアン1世は旅の途上で馬に揺られて、“黄金の都市”インスブルックへ向かう岐路、ブレンナー峠を通り過ぎたばかりであった。

 ついこの間、ヴェネツィアの妨害でローマには到れなかったものの、トリエントで彼は念願の正式なローマ皇帝宣言を果たし、まさに一人の人間の人生における頂点にいた。しかし、その栄光とは裏腹にその身はまもなく齢五十の坂も登ろうとしており、これまでの長年の辛苦により体の節々を病んでいた。民衆の前では駕籠に揺られる弱々しい姿を見せまいと、少し無理を押しながら馬上の人となるが、その辛苦も寒いブレンナー峠を抜けて目的地が近付くのを感じ取ると体は軽く、その手綱裁きも昔のように鮮やかになっていった。

 “黄金の都市の皇帝”マクシミリアン1世。
 しかし実態は華やかさとは逆に、統治のための旅から旅で万年金欠病に皇帝は陥っていた。選帝侯を始めとする帝国諸侯は彼への資金を出し渋り、いくら彼が議会を招集して訴えかけてもどこ知らぬ風である。それでもマクシミリアンは騎士として帝国を守るため、皇帝の名においてまた金を借りるのだった。
 もし返済が終わらぬまま「余が死んだら?」と、ふと考えることがある。…残念ながらその考えは現実になるだろう、「黄金の都市」インスブルックの生み出す莫大な利益によってさえも、その荷を下ろすことは不可能だったからだ。
 その予想は約十年後、皇帝の崩御の後に当たることとなる。生前、マクシミリアンはインスブルックへの埋葬を望んでいたが、借金もあり墓は完成しておらず、他の場所に埋葬された。生前から準備された墓所が完成したのはマクシミリアンの曾孫の時代で、「皇帝の葬儀に駆け付けた」と、古今東西の聖人・英雄、また偉大な先祖、亡き妻と息子の銅像が並んだ。しかし結局、ここは主のいない墓所となってしまった。にも関わらず、今その案内板にはマクシミリアンを「大帝」と讃える文字が寂しく刻まれている。

 皇帝一行はようやくインスブルックの門前までたどり着いた。だが、心なしか門番の表情が硬い。此度の遠征の資金やりくりには、またインスブルックからの借金も含んでいたからだ。事務的なやり取りの後、しばらくして門が開かれた。
 皇帝マクシミリアンは街に入ると帽子を下ろし、馬上のままに貴賤を問わずすれ違う人々に会釈する。その気さくさからマクシミリアンはインスブルック市民の人気を集めており、またその身だしなみから醸し出される騎士の雰囲気は市民の憧れの象徴でもあった。

 館に身を落ち着かせたマクシミリアンは、安楽椅子にもたれながらふと窓の外の空を見上げる。

どこまでも続く青い、青い空。

 あの空の端、山々によって隠されている、その向こうの地平線まで余は旅をした。
 ━━━━だが、まだ何も見つけられていないのだ。
 “何を”探しているんだろうか。いや、そもそも“何も”ないかもしれない。では、無駄だったか? 否。
 ━━━━余は不思議なことに幸福だ。
 「今度、余はどこへ行くのだろう」という気持ちさえ湧き出てくるのだ。

 世界の終わりにあると云われる大滝や、遠く東の彼方にあるというプレスター=ジョンの王国。永遠に凍りついた土地。火を噴き出す島々。遠い昔、うす暗いウィーンの城で読んだ本の伝説が、当時そのまま脳裏に蘇る。

 ━━━━ウィーンの城もしばらくは行っていないな。
 当時はどんな間取りだったか……どこが大広間で、抜け道はどこだったか……今も通れるのか……
 長旅の苦労もあってか、気付けば皇帝は追憶の続きを夢に見ていた。




 マクシミリアンが目を覚ました時、太陽は山々の稜線に沈んで久しく、千古の夜の闇が辺りを支配し始めていた。都市が高地にあるだけあって、この季節でも夜は冷える。
 しかし、恐らく侍従の誰かが━━恐らくリヒテンシュタイン卿辺りが気を使ったのであろうか、皇帝の病を悪くしないように暖炉には薪がくべられて、紅い火が揺らめいていた。その火を見ていると皇帝は、今まで訪れた戦場で灯っていた篝火を思い出すのだった。それらの火は既に遠い過去の中である。━━━━余はあと、どれだけの篝火を見ることになるか。出来うるなら、戦火は余の代で終わりにして欲しいものだ。
 
 この時、マクシミリアンの嫡男フィリップは2年前に夭折しており、その遺児でマクシミリアンの嫡孫にあたるカールは8歳、フェルディナンドは5歳になったばかりだ。しかも、カールはフィリップの妹マルグレーテの庇護下でフランドルに居て、フェルディナンドは遠く母方の祖父が治めるアラゴンにいる。そしてマクシミリアンはこのうち、下の孫フェルディナンドと未だに会ったことがなかった。

 侍従から「フェルディナンド様は陛下に大変よく似ておりますよ」と聞く度に、一人の祖父として嬉しくなりながらも、やはり寂しいのだった。家族がこうも各地に離れ離れになっていると、市井の家族連れを見ると皇帝はつい寂しげな笑みをこぼした。遂にとうとう、マクシミリアン帝は下の孫に会うことのないまま世を去ることになる。

 マクシミリアンは、次の皇帝をこの孫のうちどちらかに継がせたかった。しかし、後継者として諸侯の同意を得るにはあまりに若く、また、彼らの母方の祖父であるアラゴンのフェルナンドも現時点では跡を継ぐ王子がいないため、アラゴン国民はフェルディナンドへの王位継承を望んでいた。だが、継承権から見れば兄カールの方が上であり、いずれ将来において問題が起こるのは必然である。皇帝はいずれこの問題にも取り組まねば、と嘆息する。

 余談ではあるが、その約半世紀後の、皇帝位を継承した孫カールもほぼ同じ状況に陥っている。旅から旅を重ね、金欠に苦しみ、孫の継承に悩む。結局マクシミリアンの権勢をもってさえ問題の根本的解決に至らず、事態はより混迷化して孫カールに降り掛かったのだ。カールは弟フェルディナンドとよく協力して事に当たるも、そのカールの代をもっても問題は解決しなかった。結果としてカールは膨大な領土を分割して退位し、代わって弟フェルディナンドが皇帝位に登って、ハプスブルク家はスペイン=アブスブルゴ(カールの子孫)とオーストリア=ハプスブルク(フェルディナンドの子孫)に分裂していく。

 数十年後、一族がそうなるとは露知らずに皇帝マクシミリアンは安楽椅子に揺られ、いよいよ輝きを増す夜の星を眺めていた。遠くフランドル、アラゴンにいる娘や孫たちも、同じ景色を見ていると信じて、彼らを守ってくれるように祈りながら。

ああ、今宵の星は美しい。

ノックの音。皇帝はその音で誰なのかを識別した。
「陛下、起きておられますか」
「つい先刻な…」
「お目覚めになられましたか」
そう入ってきたのは皇帝の侍従であり、古くからの知人であるリヒテンシュタイン領主パウルだった。リヒテンシュタイン家は、始祖ルドルフ1世から代々ハプスブルク家に仕えてきた家柄である。マクシミリアンの父の又従兄にあたる先々代の皇帝アルブレヒト2世の勘気を受け、一旦領地財産の全てを失うも、アルブレヒト2世帝とその息子が早世してハプスブルク家の嫡流が変わると再び仕えるようになり、往時の勢いを取り戻そうとしていた。

「昼間、アラゴンの大使からお手紙が来ましてな」
「アラゴンの…聞かずとも察しは付くが、要件は何だ?」
「皇帝就任の祝いにつき」

 アラゴン王国。国王フェルナンド2世はナポリにシチリアの王位も兼ね、更に妻イサベルと共にカスティーリャ共治王の地位に就いていて、イベリア半島からイスラム勢力を放逐して教皇から「カトリック両王」の称号を賜り、この時代の地中海世界の覇者として名乗りを上げようとしていた。
その貿易による利益は莫大であり、フランス王のイタリア侵攻はそれを狙ってであったとも言われる。

「余がナポリやシチリアの王位にあれば、これほどまで金策に苦しまずに済んだのだろうか」
「かのフランス王と共謀するのは、陛下は真っ直ぐで真面目過ぎます」
「そうか。これでも昔に比べれば老獪になったものだが」
臣下の率直な言葉に笑みをこぼしながら、マクシミリアンは確かにフランスと同盟を結んで南イタリアを支配しようなどという考えがなかったことに気がついた。

「でなければ、我々は陛下に付いてなどいきません。いつの日か、陛下の徳いよいよ高まる時、神の恩寵篤かりて、彼の地を支配することがないとは言えませんが――神に選ばれしオーストリア〈ハプスブルク家〉なのですから」
「一伯爵に過ぎなかった始祖ルドルフ大王以降、ハプスブルク家は世に出た。双頭の鷲の元に、権威はオーストリアの隅までに及んだ。
そして今、私はルドルフ大王が終に座れなかったローマ皇帝の座にある。何とも奇妙な感覚だ」
「この上、陛下の御孫君がカトリック両王陛下の土地まで継承すればローマ帝国の再建も夢ではありませぬ」

 ローマ帝国。今を遡ること一千余年前に、地中海全域に栄えた世界帝国である。悲しきかな、栄枯盛衰の理に習ってかの帝領は分断され、西の帝国は一度滅亡した。
 その数百年後、東のローマ帝国も帝威の衰えを見せ始めると、蛮族うごめく西ヨーロッパにカール・デア・グローセという稀代の英雄が登場し、時のローマ教皇の危機を救う。その後、教皇は彼に“偉大なるアウグストゥス”の称号と共に帝冠を授け、民衆が「偉大で平和的なるローマ人の皇帝万歳!」と叫び、ここに西ローマ帝国は再建された。
 カール大帝のこの帝国は確かに西ヨーロッパの広くを支配したが、かつてのローマ帝国に比べると規模や文明において心許なく、やがて再び分裂していった。すると今度はオットー大帝が東フランク――ドイツの地から現れ出て、崩れた帝国の体裁を立て直したのだった。
 その後、帝国には数多の英主が君臨――「神聖帝国」を称したフリードリヒ赤髭帝や、帝国の封建を文書化した文人皇帝カール4世など――が現れたが、帝国はかの栄光を再び掴むことなく周辺国家の攻撃にさらされ、マクシミリアンの父フリードリヒ3世帝の時代に至って《神聖ローマ帝国とドイツ国民》という表現を用いてローマ世界帝国の再建を放棄した。
その政策はマクシミリアンにも踏襲され、わざわざ変えることはしなかった。

 だが。もしもだ。パウルの言うように孫が南欧諸国の王位を手に入れ、皇帝位にも登り詰めて、余ができなかったことをいくつか成し遂げたその時、ローマ帝国は「真に」再建なるのではなかろうか。

マクシミリアンが知り得ることは無いが、その考えは成され――つまり彼の孫カールとフェルディナンドの兄弟は揃って帝位に就き、そしてその子供は更にヨーロッパに覇を唱えていくことになる。
カールは南欧諸国つまりアラゴンとカスティーリャ、ナポリにシチリアの王冠も頂き、フェルディナンドはハンガリーにボヘミアの王冠を頂き、中欧から東欧に跨る帝国を形成した。
更に次の世代、フェルディナンドの息子で曽祖父と同名のマクシミリアン2世はポーランド王に推戴され、カールの息子フェリペは一時イングランド王となり後にポルトガル王にも兼ねて、「世界を手にしてもまだ足りぬ」と言い放つことになる。

1500年代後半期のヨーロッパは、実にその多くがハプスブルクの旗の下に治まることになる。
無論、そんなことなど今のマクシミリアンには知るよしもなく。

マクシミリアンは「ローマを持たぬローマ帝国」の状態を打破するため、また宗教界の改革のため、自らローマ教皇を兼ねることで解決を計ろうとした。しかしそれはなされることは無かった。
奇遇にも、孫カールは意図せずしてローマを攻め、陥落させることになる。

そんな遠い未来のことなど夢にもわかるはずもなく、そこには安楽椅子に揺られる、一人の老境の男がいた。皇帝マクシミリアン1世。後の世に人から「大帝」、また騎士道精神を讃えて「中世最後の騎士」と呼ばれるようになる、その男がこの年に皇帝位に就いたのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?