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有害無罪玩具/偽史山人伝


有害無罪玩具(2019)/偽史山人伝(2019) 詩野うら


読んだ。最初に出た有害無罪玩具ってのがブックオフでかなり安くて、自分は中古エンターブレインコーナー見てBEAMかHARTAの短編集が300円以下だったらとりあえず全部買ってるのでそこからの産物。ではあるが表紙よすぎるので関係なく見つけたらジャケ買いしていたと思う。

面白すぎた。人間の倫理観に訴えかけてくるような発売禁止になった想像を絶する玩具が展示された博物館を見る話で、同じ時代に同じものを見てきた人とはあまり思えないような、まるで違う思考回路を持ってるような、自分の想像できる範疇の完全に外側から出てくる物語がこれでもかというくらい詰め込まれている。絵柄がどことなく古いホラー漫画みたいなタッチになる箇所があるし実際ゾッとする展開が多くて引き込まれる。ペンライトで自分を照らすと脳内に存在しなかったアニメの思い出が自動で生成される話、今までの性格や人間性にちゃんと沿った形で新しい記憶が物語として生成されるのが、chatGPTとかが発達してAIと会話したり小説書いてもらったりできる今の時代だとあまり遠い話じゃないなと少し思ったりした。実際にありそうだと一瞬勘違いさせられる絶対にありえない架空の歴史がどんどん脳内に詰め込まれ、次から次へと押し込まれて行く感覚はどことなくpanpanyaも想起する。知らないスタンダードというか、もし手塚治虫の漫画を50年代とかにリアルタイムで読んだ人達の気持ちってこんな感じだったんじゃないかと思う。どの短編もおそらく世界観を共通していて共通言語や設定やキャラクターが随所に出てきてスター・システムってよりしっかり一本筋の通った物語なんだと思う。

というのが昨年買って読んだ有害無罪玩具の話で、数日前に偽史山人伝をたまたまブックオフで見つけて同作者のものだとパッケージで一瞬で気づいてそのまま買って読んだがとても衝撃を受けた。前半は前作の各短編に出てくる登場人物の過去編で、やっぱり作者は間違いなく自分とは全く違ったレンズでこの世界を見ているんだというのがまじまじとわかるというか、例えば一緒にその辺の道路を散歩していても道すがら目に入るもの一つ一つに対して捉え方が自分とは全く違うんじゃないかと思う。空想の漫画を読んでるという印象では無くて、こことは違う架空の世界の人が書いた日記とか資料をそのまま読んでいるようなゾッとする生々しさというかリアリティがある。架空の世界の人が書いた日記、という時点でそれは空想の話ではあるんだけどそこはくっきりと区分したくなるような、ありえないのかもしれないけど、彼らの世界ではありえたのだろうと思わせてしまうような感じ。後半は単行本のタイトルを関する1本の長編で山人をテーマにした歴史ドキュメンタリーのようなものなのだけどこれが象徴的です。この偽史というタイトルに込められた皮肉や最後の捕捉含めて色々訴えかけられてる気持ちになってしまった。確実に自分の中でこの漫画を読む"前"と"後"がハッキリと区分されてしまったと思う。

あとがきでかなり感動しました。筆を進めていく内にいつの間にか最初に全く考えてなかった文章がいつの間にか出てくること、それが世界を構築する要素になってくのは何か道端に落ちてるものを発見したような気持ちになるということ。それを地盤にして、ランダムに生成されてく自分の文章の中で、もうこれは何かを伝えたくて書いてるのではなくて書いたものから何が伝えたいことなのかを探していくと。これは、めちゃくちゃ共感してしまったし、自分が今までやってきた文章やイラストに関しても全て同じことが言えるというか、スケールを決めてランダムに吐き出しながらつじつまを合わせていく感覚と言うか、そういうものが完璧に言語化されていることにとても感動した。そしてその文章が1ページ近く、句点を一度も使わず勢いだけで書き切ってしまってること。これは自分自身よくやってしまうというか、ブログや日記やSNSであってもどんどん飛び出てくる言葉を抑えきれず息切れしながらも突っ走ってしまう。とても共感できる内容がまるでとても見覚えのある書き方で言い切られていることが、本当にぐっときて読んだ後その場でうずくまってしまった。


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