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“まちづくり”を共通言語に

≪おごおりトーク16≫

今回は、一度は自分自身の中で考え方を整理してみたいと思っていたテーマを設定してみました。どうぞお付き合いください(笑)。

私たちは、いろんな業務に関連して様々な場面で“まちづくり”という言葉を使っていますが、皆さんは、この“まちづくり”という言葉をどういう意味合いで使っていますか?自治体職員間でもお互いのコミュニケーションにおいて果たして共通言語として理解されているのでしょうか?

それは行政内部や職員間だけではなく、議会や地域住民の間でも当たり前に使われている言葉なので「今さら…」っていう話なのですが、私たちが日頃多用しているこの“まちづくり”という言葉、実はとても曲者で、自治体職員である私たち自身も明確に意味づけができているわけではありません。

そこで今回は、そもそも“まちづくり”って何なの?というお題で考えてみたいと思います。

“まちづくり”というワードを小郡市HPで検索してみると様々な行政分野や施策事業に使われていることが分かります。「安心安全のまちづくり」「市民と協働のまちづくり」「人権のまちづくり」「景観を活かしたまちづくり」「障がい者にやさしいまちづくり」「多文化共生のまちづくり」「男女がともに参画するまちづくり」など…、それ以外にも「まちづくり支援基金」「まちづくり条例」「まちづくり講座」などなど…

また、地域で“まちづくり”に関わる主体についても、個人だけでなく地域を基盤に組織された(地縁)団体、地域を基盤に目的別・分野別に組織された団体、地域性にこだわらず目的別・分野別に組織された(志縁)団体、その他にもボランティア団体、NPO法人、企業・事業者等もあり、その活動エリアも特定地域の範囲内や市内全域、あるいは市外まで広範囲にわたる場合など様々です。

私たちが漠然と捉えている“まちづくり”という表現やイメージも、それが体制(組織体)なのか、仕組み(制度)なのか、意識(考え方)なのか、活動(行為)なのか、結果(実績)なのか、その場面や使い方によって様々な意味合いを持たせているのが現状ではないでしょうか。
では「そもそも“まちづくり”って何なの?」

“まちづくり”の歴史的経過を見てみると、もともと行政では“町づくり”や “街づくり”といった言葉が使われていましたが、1960年代以降の大都市への人口集中や高度経済成長の中で、自治体の居住環境の整備や公害問題への対応といった都市計画の分野への住民参加として“まちづくり”(平仮名)が使われるようになりました。その後は福祉・環境・教育など住民生活に関わる様々な分野で使われるようになり、今ではコミュニティ政策全般において使われるに至っています。

この“まちづくり”という言葉に固定的な定義があるわけではありませんが、一般的には「地域における、住民による、自律的・継続的な、環境改善(社会的環境も含む)の運動(活動)」だと言われていることから、憲法に規定されている「地方自治の本旨」に照らしてみると、住民の積極的な参加と協働による自治=「住民自治」に近いイメージではないかと考えられます。

では、“まちづくり”が運動(活動)であるとすれば、その目的は何なのか?それは、人(主体)や地域や活動内容によって千差万別・多種多様だとは思いますが、いずれにしても当事者にとっては、「地域における住みよい住環境の実現」につながるものだと思います。

個人が「地域における住みよい住環境の実現」を求めるのは、家族と一緒に安心して地域に暮らし、いつまでも健やかに生活することができ、趣味や自然環境など好きなことをいつでも楽しむことができる、そんな豊かな人生を送るという目的を実現するためであって、“まちづくり”そのものを目的にしているわけではありません。
さらに、“まちづくり”を「住民自治」として考えれば、その目的は地方自治の本旨と同様に「公共の福祉」の充実にあることから、それは個人の自己実現を超えた「社会的な公共性」を有するものだと考えられます。

つまり、“まちづくり”の目的とは、「個人にとって」だけではなく、「誰にとっても」という意味合いを含めた「地域における住みよい住環境の実現」を目指していると言えるのではないでしょうか。

ここで冒頭のお題に戻って、「そもそも“まちづくり”って何なの?」ということについてあらためて整理してみると、それは「地域における、住みよい住環境を実現することを目的とした、住民による、自律的・継続的な環境改善の活動」ということになると思いますが、いかがでしょう。※これはあくまで私の意味づけです。

実は、この“まちづくり”という言葉の意味づけには、留意しなければならない点が二つ含まれているのではないかと考えています。

その一つは、“まちづくり”そのものは手段であって目的ではないということです。

これまで見てきたように、“まちづくり”はあくまで運動(活動)であって、その目的は「地域における住みよい住環境の実現」だといえます。しかし、“まちづくり”があたかも目的のように語られてしまい、「どんな取り組みが行われたのか」「どれだけの人が参加したのか」ということだけに着目してその事業が評価されるケースも多々あり、そのことによって「どれだけ地域の環境改善が進んだのか」「市民満足度がどれだけ向上したのか」という評価視点が疎かになっているのではないかと感じるのです。

例えば、“まちづくり”の一環として地域イベントを行うにしても、それは何らかの目的を実現するために実施するのであって、決してイベント自体が目的ではないはずなのです。

私たちが“まちづくり”について考える際には、その取り組みの目的は何なのか、“まちづくり”そのものが目的化されていないか、その事業効果が適切に評価されているのかについて、あらためて留意する必要があると思います。

もう一つは、“まちづくり” は行政主体の事業として語られてしまいがちですが、本来の主体は住民であるということです。

確かに“まちづくり”の主体や当事者は多様性があるため、特定の主体を想定して語るのは難しいと思いますが、“まちづくり”を「地域における、住民による、自律的・継続的な活動」と意味づけるのであれば、少なくともその主体は地域住民であり、「住民自治」の観点が必要になると思います。

この場合の事業評価も、「どんな取り組みが行われたのか」「何人参加したのか」ということだけに着目するのではなく、「その結果、住民主体の活動がどれだけ進んだのか」「住民の自治意識がどれだけ向上したのか」ということが評価されなければなりません。

本来的には「住民自治」の余地がない行政主体の事業は、“まちづくり”の意味づけには含まれていないということも、私たちが“まちづくり”について語る際には留意しなければならない点だと思います。

“まちづくり”という言葉は、広義・狭義の意味合いで行政活動や市民生活に関わるあらゆる領域が包含されることから、大変便利で使いやすい言語である反面、その使われ方によっては、各論において相互理解が難しくなることもあります。このことから、やはり、“まちづくり”を共通言語としてあらためて意味づけすることは意味のあることだと思うのです。

令和4年度に「みんなですすめるまちづくり条例」や「まちづくりガイドライン」が策定され、新たな“まちづくり”の展開が求められる中において、小郡市の“まちづくり”が共通言語としてどのように意味づけられていくのか、今後の議論に期待したいと思います。
(2023.4.26)

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