ゆるゆる読む京極杞陽 #07 『くくたち』上巻 おかわり
今年1月から京極杞陽の第一句集『くくたち』をゆっくり読み進めています。
編年体の句集で、上巻は昭和11年から16年まで、下巻は17年から20年までの句を収録しています。
これまで上巻の句を1年につきおおむね5句ずつ取り上げてきましたが、もうすこし上巻から紹介していきます。
杞陽の句を読んでいると「ああ、見ているなあ」という静かな感想を持つことがある。
見ている時間を感じさせる書きぶりなのだ。風車の句は〈まり〉〈かに〉〈はり〉の韻も効いている。
この句には「いるなあ」と思う。新聞社の輪転機はとても大きかっただろう。機械の発する音や圧を前にして、ぼーっと佇んでいる感じがある。
この句は「言うなあ」だ。〈陰気〉だけでは済まず、〈悪し〉とまで言っている。映像を立ち上げる句というよりも、人物が前面に出てくる。名句とはいえない。
でも、どうしてかはわからないのだけれど、この句のことを放っておけない自分がいる。
この句が発表された昭和13年には存在しなかっただろう、郊外の大きなスーパーマーケットの寂しい夏の催事コーナーを思い浮かべてしまうのだ。
この句もなんだか放っておけない。
ゴッホの画業に対するまとめとしてはあまりにざっくりしすぎているけれど、〈麦の秋〉から感じられる広々とした景色と〈であつた〉のたっぷりした口調に画家への敬意が感じられる。
最後にもうひとつ扇風機の句を引いた。ビリヤードに興じる人たちをやや引いた視点で一句に仕立てている。
プレイヤーたちの意識はビリヤードの球に向いていて、その場を涼しくしている扇風機のことはほとんど気に留めていないだろう。ハードボイルドな味がある。
それにしてもこの扇風機は大きそうだ。
『くくたち』(上・下)は東京四季出版編『現代一〇〇名句集④』で読んでいます。引用は新字体です。