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イツカ キミハ イッタep.64

手作りクッキーといえば、アイスボックスクッキーや定番の型抜きクッキーしか知らなかった頃、カントリークッキーなるものをプレゼントしてくれた男子がいた。
それも、職場の女性みんなに。男性ではなく、男子とわざわざ書いたのは、彼が新入社員だったからだ。現役かつ3月生まれと言っていたから、歳の頃22のフレッシュくんは、3月14日のお昼前に、机の下からなにやら大きなピンクの紙袋を引っ張り出したかと思うと、お姉さま方の机を一つひとつ周り始めた。

「あの…これ、よかったら、僕が昨夜作ったクッキーなんですけど…」

「お口に合うかわからないんですけど、ほんのキモチなので、よかったらどうぞ…」

「小腹、空きませんか?これ、よかったら、どうぞつまんでください。僕の手作りなんで…」

聴いていると、若干言葉を変えながら、時にはにかみ、時に小声で、腰を折り曲げつつ、丁寧に感謝の一言を伝えながら渡しているようだった。

クッキーマン、ことKくんの次に職場で若いのが自分だったので、当然ながら、私の元に来たのは一番最後だった。

ほんの10分程度の間に、10人ほどの女性の元に配り歩いたKくんは、どこかホッとしたような表情で近付いてくると、こう言った。

「あの…クッキーは、お好きですか?」

馬鹿を言うな。
ここまで、さまざまな先輩方に伝えてきた言い方と違うじゃないか!


内心そう思ったが、さも忙しそうに相手を見ずに言った。

「べつに、嫌いなわけではないけど、普段は自分から買ったりはしないかも。カントリーマァムとか、苦手だったりするし…」

Kくんはその答えを待っていたかのように、少し身を乗り出すと、私の胸元に銀色の包みを押し付けるようにして言った。

「ですよね、ですよね。
いつもお菓子はお煎餅をバリバリ食べているのは知っていたので、クッキーとか洋風の甘いものって、お好きではないのかな、と思っていまして…。

だから、今回張り切ってTさん(私)が好きそうなクッキー、焼いてみたんです!」

へぇ〜。そうなの? ほんま?それ。

Kくんと歳が近いと言っても、5歳は違う。
しかも、のび太くんみたいに、太めの黒縁メガネをかけた、いかにも真面目そうなKくんは別に私の好みのタイプでもない。
強いて言うなら、こんな優秀で、思いやりのある弟がいたら良かったのにな〜という感じ。

電話の鳴り止まない営業事務の職場で、かつ長年にわたり勤務しているお姉さま方の多いネットリとした人間関係に飽き飽きしていた私は、仕事中は極力無駄口をきかず、黙々と手を動かしていた。一方で、見る人が見たら、もぐもぐと口も動かしていたように見えるかもしれないけれど…。

いづれにしても、目の前で半ば強引に手渡された包みをその場で開けるのが礼儀だろうと思ったので、立ち去らないKくんを前に銀紙を剥がし薄いピンクの紙に丁寧に包まれたクッキーを一枚取り出した。

チョコチップとクルミがポコポコと表面から顔を出した、無骨な大判クッキーだ。
ちょうど子供の手のひらくらいの大きさはある。

「これ、何ていうクッキー?」

カリッと焼かれたバターの香り漂うクッキーの裏面から全体を眺めるようにして訊いた。

「カントリークッキーです」

Kくんの答えを待たずに再び尋ねる。

「これ、ほんとにKくんが作ったんだ?
なんで?どうしてこんなの作れるの?」

モノをいただいたら、アリガトウと真っ先に伝えるよう子どもの頃から躾けられてきたとはいえ、なぜか、沸き上がる疑問が先に口を出た。

「お菓子づくりが趣味って言ったら、おかしいですか?じつは、大学時代にホームステイしていたアメリカの家庭で、よく出されたお菓子で、帰国してからもその味が忘れられず、よく作るんです。

オートミールときび砂糖が入っているのが特徴で、食べるとわかりますが、ザクザクした食感が軽いお煎餅を食べるときみたいに爽快で…」

うん、うん。 へぇ、そうなんだー。

「きっと、 Tさん、好きなんじゃないかと思って…。昨日も遅くまで残っていたから、疲れが残っているんじゃないかと」

そういう君だって、お姉さま方が早々に切り上げて帰宅した後も、課長に付き合ってだいぶ遅くまで居残っていたじゃないの…。

思わずそんな言葉が漏れそうになったが、黙ってクッキーを口に入れた。

モグモグッ…モグモグモグモグ

近眼なのかかなり度が進んでいると見える黒縁メガネの奥のまんまるの黒目が、こちらの表情を伺うようにして見ている。

「んっ…美味しいよ。このクッキー!」

10回ほど咀嚼してゆっくり飲み込むと、頷きながら、そう答えた。

するとKくんは満面の笑みを浮かべて言った。

「良かったです。この一年、Tさんには本当にお世話になって…。感謝のキモチを伝えたかったんですけど、Tさんだけに何か渡すのも違うな〜と思って。だって、本当にいろいろな人に助けていただきましたもん。

ずっと考えてきて、やっと皆さんにもTさんにも喜んでもらえる機会が3月14日ってことに気付いたんです」

「うちの会社、虚礼廃止だからバレンタインのときも、Kくん、なにも貰ってないだろうに…なんか、悪いね」

なんとなく正面から見つめられながら食べ続けることも出来ず、残りのクッキーを仕舞おうとすると、ぽそりとKくんが呟いた。

「今は幹を太くする時期だと思ってます。
実をつけるのは、ココじゃなくたっていい。
『可能性は無限大』だって、着任したときのランチで僕にそう教えてくれましたよね?」


そぉ、だったかな…。そっか、言ったかな。

 キーンコーン♫  カーンコーン♪

昼休みを告げるチャイムが響いた。

「残りは3時にいただくねー!ありがと」

Kくんの顔をまともに見ないまま、廊下へと走った。

 可能性は無限大… 虚の反対語は実だっけ…

その後、クッキーマンは本社に異動となり、私も遅れること数年で別の部署に移った。
今でも、口の中の水分をごっそり持っていかれてしまう無骨なカントリークッキーを見かけると、つい手にしてしまう。

そして、お姉さま風吹かせて、得意げに新入社員に説いていた頃を懐かしむ。
 根拠もなく自分を強く信じていたあの頃を。

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