明日を見たくないンゴねぇ…🕶️
キスをするたびに
目を閉じてるのは
あしたを見たくないから
自分が子供の頃、EXILEのATSUSHIがそう歌っていた。
街で流れるこの歌を聴く時、この歌詞を目にした時、かつてこの歌がCMで起用されていたMeltykissが店頭に並び始める冬季。
懐かしの平成教育委員会のメガネばりに「違うよ!」と言いたくなる気持ちと、「なるほど」と思う気持ちが、今でも同時に湧く。
正直言ってこの歌詞は自分には刺さらないが、ラブソングのフレーズとしてはかなり上手いことを言っているように思えて感心してしまう。
あの時代の若者やEXILEのファン層に届けるための歌詞というか。
時代の空気があの歌詞を包み込んでいたというか。
上記の歌詞が語る『目を閉じる理由』は絶対に違うとは言い切れないし、実際にそう感じる時もあるのだろう。
自分がそういう恋愛をしていないというだけかもしれない。
特にしてみたいとは思わないが、多分そう。
この歌詞を嫌う人がいたとすれば、それはATSUSHIのドヤ顔が目に浮かぶ事が嫌なのかもしれない。
自分はATSUSHIやEXILEやこの曲を作詞した松尾潔を殊更嫌っている訳ではないため、そこにはアーティストとしての純粋なカリスマ性や自信を感じる。
そもそも、そこに自信が存在しなければファンは作品を楽しめない。
しかし、この自信を持って披露される歌唱や歌詞に触れた時、真っ先に彼らのドヤ顔が浮かぶとすれば、それは冷笑にしか繋がらないだろう。
自分もATSUSHI等のアーティストを通さずにネタツイアカウントからそうした内容の投稿を見てしまったら普通に笑ってしまうだろうし、『泣ける恋愛歌詞bot』のようなアカウントや恋愛ポエマーの『ニャン』とかがそれを呟いていたら「くっさ!うんこやんけ!」と感じてしまうに違いない。
信じられないほどに臭うと思う。
単純に著名アーティストから発せられるそれが『良いもの』であると盲信している節もあるのかもしれない。
自分はストレートにはピンと来ないものだけど、きっと多くの誰かにとっての『良いもの』なのだろうと。
他のアーティストがこの詩を綴るならば、どういったアレンジが施されるのだろうか。
自分は『詩=BLEACH』という固定観念があるため、すぐにBLEACH作者の久保帯人基準でそれを考えてしまう。
これがBLEACHの巻頭歌なら
「キスをするたび、目を閉じる」だとか
「明日を見ずに済むように」
といった言い回しになるのだろうか。
なんか既視感のある文面だなと思ったら阿散井恋次が表紙の巻頭歌の文体だった。
次回
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