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連続更新366日目の感想

前回



「今何時?」

眠りから覚め、真っ先に考える事。
意識を取り戻し、瞼を開く前に考える事。
これは誰しもが同じだろう。

自分はそこに、『noteの更新を忘れたまま日付が変わってしまっているかもしれない』という恐怖が、癒着するかのように隣り合う。
毎日連続更新を決めてからの365日間。起床時には例外なくこの感覚が付き纏っていた。

故に更新をせずに昼寝をした際の目覚めは酷く恐ろしく、『最悪』を象徴するようなものだった。
反面、無事に更新を終えた際の安堵感はそれを埋め合わせる事ができるほどに満たされた。
日常の中に小さなスタート、ハードル、ゴールが毎日設置されていたような感覚だ。




飼育、採集といった各シーズン限定の趣味や交友、労働を済ませてから、残された1時間ほどで書き始める記事は、クオリティが足りないまま世に流してしまう事も多かった。
しかし、「とりあえず形だけでも終わらせる」という能力が急成長する。これは学業や労働で習得したものよりも遥かに成長率が高かった。
自由度が高く、いつでも中断できる趣味だからこそ、最低限のラインだけは死守しようとしたのかもしれない。
逆に賃金が発生していたら、意識の低いフリーターの如くバックれていた可能性もある。



時間に追われる中では、ある程度のクオリティが必要となる飼育法の解説記事等は次第に減っていってしまった。
下書きは30個ほどあるが、そうした解説記事は分割せず1個に情報を凝縮した方が見やすいと子供の頃から感じ続けていたので、小学生のフォロワーや過去の自分に向けて読んでもらうような気持ちで少しずつ書き進めている。



電車移動の際に音楽や配信を聴く事もなくなった。
思えば、電車ではスマホも握らずに考え事をするだけで毎回1時間近くを潰す事ができていた気がするが、この1年間はどれだけ混雑していてもどれだけ激しく揺られてもnote用のアイデアを練るか下書きのフリック入力を行っていた。
note1つにここまで時間と労力を注げているという事は、確実に人生の楽しみも1つ増えていた事にもなる。

毎晩聴いていたフォロワーの雑談配信に赴く事もほとんど無くなってしまったが、1年間の間に即売イベントや結婚式等で会っているので、疎遠になったという訳でもない。
再び配信に向かえば、すぐにかつての楽しみも取り戻せるだろう。




帰宅時に、閉館1時間前の図書館に立ち寄って文章術関係の本が並ぶ棚を覗く。
この場所にはしばらく訪れていなかった。

毎日更新365日目を越えてようやく文章を学ぼうとするのはあまりにも遅すぎるが、毎日1時間ほどの余暇しか捻出できない中では、本の一つも読み終える事ができなかった。

これからは文字数を気にする事なく、簡潔にまとめたり、何処かでじっくりと本を読んで、書評を書いて過ごすのも良さそうだ。

…マレーシア…。

そうだな…マレーシア……クアンタンがいい。

なんでもない海辺に家を建てよう。

買うだけ買って手をつけていない専門書が山程ある。
フォロワーの未読記事も沢山ある。

1ページずつ
今までの時間を取り戻すように
めくるんだ。

呪術廻戦
©︎芥見下々・集英社










そうは言ったものの、自分の中のマレーシア像は著しく乏しい。
脳裏に浮かんだのは、北茨城市のシーサイドホテルだけだった。

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