我々ゎ絵文字ぉ使ぅべきでゎなぃ‼️
我々は涙を流すべきではない
それは心に対する肉体の敗北であり
我々が心というものを
持て余す存在であるということの
証明にほかならないからだ
我々は絵文字を使うべきではない
それは言葉に対する語彙の敗北であり
我々が言葉というものを
持て余す存在であるということの
証明にほかならないからだ
悪い冗談に聞こえるかもしれないが、絵文字という物を使う頻度が恐ろしく減ってきている。このアイコンなのにも関わらず。
絵文字を使わない訳ではない。しかし酷くラインナップが限定されている。「😭」「👴」「🙏」のローテーションだ。
公私共に、感謝を伝える場面でこの様に使う。同僚へのLINEでも使う。
Twitterのフォロワーならば見慣れた光景だろう。
ちなみに、誰かの誕生日を祝う時は
自分がこれ以外の絵文字を使う事がほとんど無いのは、冒頭で述べたパロディポエムのような動機によるものなのかもしれない。
自身の言葉による表現の限界。語彙の限界。それを認めてしまう事にほかならないからかもしれない。
いや、既に泣き顔の絵文字を使わずに感謝の言葉を述べる事が難しくなっている。流石にビジネスメールでは使わないが、フォロワーへ伝える感謝は、涙を流さずにはいられなくなっている。我々は涙を流すべきではない。
正直な所、文面における感情表現には限界があり、それに対するブレイクスルーが絵文字や顔文字なのだが、表現の大半をそれらで行なってしまう事は言葉そのもので伝える力、読み取る力を失わせてしまうのではないかと危惧している。
絵文字を使わないと感情が伝わり難いとする、多くの人間の不安はその逆説にもなり得る。
かつて、それらが使われていないままに感情を表現していた時代の事を平成生まれの自分は思い出せないが、そうした時代は確実にあったはずだ。
そもそも、絵文字を使えば適切に感情を伝えられているかといえば必ずしもそうではない。
それは表現という概念の例に漏れず、著しく独りよがりなもので、おじさん構文、おばさん構文という言葉がその確実な証明だろう。
絵文字は情報過多となる場面が多く、相手に「五月蝿いんだヨ」と思わせる事もある。
絵文字を使い、絵文字に喰われた人間を、数多く知っている。
もう一度言うが、おじさん構文、おばさん構文という言葉がその証明だ。
トモロウのアイコンで言うと、逆に説得力があるように思えないか?
自分が絵文字を使わなくていいとする言説を口にできるのは、淡々とした文面でも「イメージと違う」と言わせない振る舞いを続けていたからこそ生まれたバイアスなのかもしれないが。
そもそも、「想いを知ってほしい」「感情が100%伝わってほしい」という動機を捨てて「それなりに伝わっていればいい」「なんなら伝わってなくてもいい」くらいの温度感で生きている感覚もある。
伝えようとしなくても、人から好かれる事はできる。
でも「絵文字を使うべきではない」は言い過ぎか、「絵文字を使い過ぎるべきではない」が正しいだろう。
そういえばBLEACH終盤で、朽木白哉が涙を流して頼み事をする場面があるが、冒頭で引用した"朽木白哉が表紙のBLEACH7巻のポエム"をイメージして展開を作っている様にしか思えない。
そういうのが上手すぎる人間だから、久保帯人という男は。
いつ終わってもいいように最終回の構想も初期の時点で行っていたと聞くので、何処かで散りばめる予定だったのだろう。
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