完結
人生の目標となっていた絶滅危惧IA類アオヘリアオゴミムシ。
幻の昆虫やUMAとも呼ばれ、時には人生が狂う事も厭わずに熱狂する愛好家も存在する。自分もその中の1人なのかもしれない。
この1年、アオヘリアオの事を考えなかった日は1日たりとも存在しない。
自分はアオヘリアオの地元市産個体群の存在を追い求めてここ2〜3年を過ごしていた。
とは言ってもここ半世紀の間、県内での生息が一切確認されていないと思い込んでいた昨年の夏までは「いないだろうけど、いたらいいな」程度の希望を持って他の虫をメインで探していたが…その果てに発見に至った際のエピソードに関しては以下の記事及び記事内に貼られた続きを参照にしていただきたい。
2023/09/11
新たに地元市産アオヘリアオを発見する。
その中でも『ここで見つけたい』と願ったポイントにて遭遇を果たす。
真に人生の夢を叶える事となる。この人生は完結したのかもしれない。
365回を優に超えるほど通ったであろうその場所にて、アオヘリアオは突如姿を現した。
正直言って、『拍子抜け』という言葉が最もふさわしいような気持ちだった。
込み上げる嬉しさが心の奥底にあるのを感じるが、空虚な何かがそこに蓋をしてしまっている。正常性バイアスというものだろうか。
悲願を、夢を叶えた瞬間のはずだが、「あんなに通った今までは何だったんだ」とさえ思えた。
しかし、『学研の図鑑LIVE昆虫 新版』の監修をした丸山宗利氏はその製作秘話を綴った著書にて「しばらく空虚さを感じた後、遅れて嬉しさが込み上げてきた」といった旨を記していた。
自分も同じような感情が押し寄せてくるのかもしれない。
どうしてこの地で今まで発見できなかったのか分からない。本当に分からない。そう思えるほどには巡っていたはずだ。
…が、なんとなくこの虫の生存に関して腑に落ちたポイントは一つだけあった。
それについて今回言及する事はないが、この虫に出会った人間ならば納得できるものだと思う。
10分後、さらにもう1匹が目の前に姿を現した。
今度は少しばかり嬉しさが上回った。
ハッキリ言ってこの地においてこの虫の生息密度はかなり薄い。
ポイントを知った上でルッキングを重ねてもほとんど巡り会う事は無いし、仮にピットフォールトラップを仕掛けたとしても獣害が凄まじいので、罠の形が一つとして残らない可能性も高い。
過去にこの虫ではない昆虫を狙ってそれを行った際は、全てのコップが完全に破壊されていた。
この虫に関して熱い想いが綴られた書籍や文献はいくつかあるが、その中でも特に熱を持っているものは小松貴氏の著書『怪虫ざんまい 昆虫学者は今日も挙動不審』だろう。
何度繰り返し読んだのかは分からないが、基本的に特別な時にしか読み返さない。
自分にとっては一章を読むだけで疲弊してしまう。この本の一章は映画一作に等しいと感じる。
この虫に関してのエピソードは『VI 光かがやく「怪虫」を求めて』の章にて、これでもかというほど綴られている。
これらのサブタイトルだけでその熱が伝わってくる。
自分の中では涙が出るほどの虫なのだ。(尚、氏が著書内にて語る涙のエピソードはコロナ禍とその不自由さに関連するものである。)
氏が体験したアオヘリアオやその他更なる幻の昆虫に纏わる嬉しさと悔しさが綴られており、アオヘリアオにだけは会う事ができた自分はその感情の何割かを追体験するかのように心に直接沁みるのを感じていた。
そして、現在ではそれが日増しに増している。特に絶望を体験したエピソードでは、胸が痛むほどにその情念が伝わってくる。
このクソデカ感情についてはまた別の機会に書くかもしれない。
まあ、所謂厄介オタク仕草というか、何らかの作品のファンが感じる「俺だけが|作者の描くこの演出を誰よりも理解してる!」という独りよがりな妄想に限りなく近いもの。というだけの話なのだが。
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