聖夜の親ガチャ、運送ガチャ
《逆・棚町薫》とすれ違った。
かなしいね。
元々トモロウの出産予定日は12月25日で、その場合には聖夜に因んで名前が「聖也」になる予定だったと聞く。
クリスマスプレゼントと誕生日プレゼントが同じになる事を拒んでか、トモロウは26日(tomorrow)になるまで意地でも産まれなかった。
家庭によってはそれでも1つのプレゼントにまとめられてしまいそうだが、幸い実家ガチャには成功して、12月はそれぞれ別にプレゼントを貰えた。
中流家庭とはいえ、なんでも買って貰えたというわけではなく、度が過ぎた要求をすればしっかりと叱って貰えたし、だからこそ子供ながらに本当に欲しいものを吟味していた記憶がある。(それでも1度に2種類も欲しいものが特に無くて、義務感のように家族プレイ用のマリオパーティを選んだ年は何度かあったが)
そもそも外部の人間である"サンタさん🎅✨"がくれるプレゼントと、一家庭が用意する誕生日プレゼントを混同するのはおかしいので、一緒になりそうであれば、そうした反論をしていたような子供だったと思う。
そこを混同しない家庭で育ったため、自分は人や地域に見返りを求めないプレゼントや10冊以上の図鑑の寄付をするようになったのかもしれない。
以前も書いたが、そのご縁で子供の頃から憧れていた研究者、図鑑の筆頭著者にサイン本やお礼のメッセージを送っていただけた事、発売前の献本文化の中に入れてもらえた事はこの人生においての誇りに思っている。
・親ガチャという言葉が浸透して久しい。
冷静に考えてみると、ガチャを回していると適切(?)に例えられるのは親側の方だが、排出される側がそれと真逆の例え方をしている。
誰かがそんな事を言っていた気もする。(記事更新後に調べたらダ・ヴィンチ・恐山氏でした)
「子供が私たち夫婦の元に来る事を選んで産まれてきてくれた」という、よく聞く言説をそのまま適用するなら、たしかに子供側視点の配属先ガチャと捉える事ができる。
「コウノトリが運んでくる」という理論ならば、運送ガチャだ。
Amazonで頼んだポケモンが発売日に到着しないくらいの事が何処かの誰かに起こるのならば、出産予定日を過ぎるくらいの遅延が何処かの誰かに起こるのも無理はない。
「でも初産でそれは怖いから、普通に生まれてきても良かったんだよ。」
と、あの日の自分に言ってやりたい。
それは誕生日とクリスマスのプレゼントを一纏めにしない家庭に育ったからこそ言える、結果論ではあるが。
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