また会う日を楽しみに
自宅から歩いて数分のところに、毎年この時期になると彼岸花が咲き誇る場所がある。ここは6月になると紫陽花がキレイな、近隣住民だけが知る「名所」。駅へと向かう少しの間だけ、色彩豊かな季節の移ろいを楽しんでいる。
赤い彼岸花の花言葉は「諦め」とか「悲しい思い出」とか、どこか物悲しい。でもその中で、僕の好きな言葉がある。
「また会う日を楽しみに」
好きな人、大切な人とは間をおかず近くにいたい。ぼっちが好きだけど寂しがり屋な僕は、波長の会う人や居心地のいいひとを見つけると、ついついすり寄りがちだ。
それだけ一緒にいたいと思っていたのに、ふと思いつくと何年も顔を合わせていない人って、実は多い。学生時代の友人もそうだし、20年来の親友もそう。会社員時代に何度となく飲みに行った上司、警備員時代に何度も何度も同じ現場を過ごした同僚。
今何をしているかなと思い連絡をすることもあれば、しないこともある。いや、連絡をしないことが9割くらいだろう。あれ、ちょっと僕、少し薄情かもしれない……。
そのまま、今ここにある自分の「生活」に意識が戻る。その時、「今会ったら、どんなことを話すだろう」という問いだけ、頭の片隅に少し残る。
今、会うことのない人たち。ここで「彼らとは一生会わないかも」と考えると、途端にさみしくなる。
またいつか、ふとしたタイミングで再会できるかもしれない。それはこちらからの自発的な連絡だっていいし、向こうからのコンタクトでもいい。道端ですれ違うくらい、薄い接触でも問題ない。
消極的な人との交流に見えるかもしれない。でも、仕事や稼ぎや目の前のできごとに奔走している未熟な自分にとって、「また会えるだろう」という希望的観測は、たまに襲ってくる孤独感を優しく癒し、ごまかしてくれる。
「また会う日を楽しみに」
頭に思い浮かべた大切な人に、僕は笑ってそうつぶやく。軽やかだけど、少しだけ前に進むエネルギーを生んでくれるこの口約束が、僕は好きだ。
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