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clubhouseと他者意識
最近キテるアプリ、clubhouse。
TwitterみててもInstagramみててもFacebookみてても、clubhouseの話題ばかり。
ほぇ〜すごいなぁと思う反面、
私としては当面やるつもりはありません。
というのも、clubhouseによって生み出される排他的な内輪感に抵抗を覚えるからです。
最近は自分が属しているコミュニティの中でも、
「clubhouseで話しましょ〜!」
「clubhouse会しましょ〜!」
みたいな呼びかけをよく見ます。
当人たちはzoom飲み会しよー!みたいなノリで言ってるであろうこうした誘い文句。
だけど、clubhouse会にはzoom飲み会とは決定的に違うところがあります。
それは、clubhouseがだれでも使えるツールではないということ。
アンドロイドの人は入れないし、
招待を受けられない人は入れない。
それにclubhouseのシステム上、
個人情報管理に敏い人も
入りたくないと思う人は多いでしょう。
そういう、ある意味で「公平ではない」アプリを使って、全体に向けて「clubhouseで話そうー!」と言うのはどうなのかなぁ、思うわけです。
入りたくても入れない人の気持ちを考えてる?
無意識に誰かをハブくことになってない?
それはzoomやSkypeではダメ?
こんなふうに思ってしまいます。
私は常々「機会の平等」を意識して生きています。
だからこそ、不平等なツールを全体で使うことにはとても抵抗があります。
新しいツールに飛びつくのはいい。
むしろそういうのに敏感であることは、今後必要な姿勢かもしれません。
だけど、どんな時でも何をする時でも、
他者意識だけは忘れたくないなぁと思いますね。
自分以外の人がどう感じるのか、
みんながこれを考えないで動くようになったら、相当生きづらい世の中になるなぁと。
色々なツールが生まれ多様化する現代だからこそ、「誰1人取り残さない」という視点は常に持ち続けないといけないなぁと感じています。
というか、入れない人からすれば、
「自分は入れないから他のツールにして!」
なんて言えないわけです。
盛り下げちゃうからね。
だからこそ、主催する側が入れない人の事情を推察すべきかなと。
そういうのも全部含めて考えると、
個人個人が楽しむにはとてもいいアプリだと思うけど、組織やコミュニティが大々的に取り入れるのはどうなのかなぁなんておもっちゃいますね。
古くさい考え方って言われるかな?
けど、こんな古臭さを忘れたら、
この世界はとっても世知辛くなっちゃわない?
そんなことを思いながら、今日もTwitterを楽しみます^_^
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