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「戻りたい」より「進みたい」

最近、「この2年間の長野移住生活、本当に本当に幸せだったな~~~」とふとノスタルジックに浸る瞬間が多いです。

これまでも、高校生活とか、マレーシア留学とか、いつ思い出しても愛おしくて、毎日がキラキラしてたな~~~と胸を張って言える日々っていくつかあるんだけど。

その人生のベストハイライト集に、「長野移住生活の日々」がしっかり入り込んできました^_^

もちろんその生活の中にいるときも、毎日楽しいなぁ幸せだなぁと感じながら生きてはいるんだけど、でもやっぱりその生活から離れたときに初めて、その日々がどれだけ尊くて価値のあるものだったのかということに心から気づかされますね。


特に長野での移住生活は、単に「苦手だった東京から出て、大好きな長野で生活する」という要素以外に、「初めての一人暮らし」「初めての車所有」「二拠点生活の実現」みたいな要素も相まって、「自由」が一気に広がって、輪をかけて充実度を感じやすかった環境だった気がしてる。

お金はなかったけど、でも全く不幸じゃなった。
周りと比べることがほとんどなくなって、自分のやりたいこととか自分にとっての幸せにフルで向き合えた。
仕事も生活も全部充実してた。
辛いことがあっても自分で自分の機嫌がとれてた。

本当にキラキラしてて、毎日をワクワクしながら自分らしく生きられてた日々だったなぁと思っています。本当に楽しかった。


特に今、慣れない異国で不自由な環境で暮らしてみて、尚更その価値を強く感じます(笑)

自分が行きたいときに好きな場所に行けて、
自分が食べたいものを食べたいタイミングで食べれて、
自分が会いたい人にすぐ会えて、
全部自分のWANTを基軸に行動できた。

一方で、今は車も公共交通機関もないからタクシーに頼らないと生きていけないし、
食べ物の選択肢も限られるし、会いたい人にはしばらく会えない。

自分で望んでこの環境に身を置いてチャレンジしている真っ最中なので、全然嫌だとか言いたいわけじゃないんだけど(笑)、でもやっぱりこっちに来る直前まで長野で自由を謳歌してたからこそ、そのギャップがすごすぎて、時々長野での自由だった日々のことを思い出してはエモくなっております^_^


帰国後に自分がどこでどういう生活をするかはまだ決めてないし想像もつかないんだけど、変わらず、自由に、自分の思うようにデザインできる生活をしていきたいなぁとは思いますね。

やっぱり自分が充実してたなぁと感じるときって、大体「自由」とか「自己決定」がキーワードになってるので、引き続きそういう環境で生きていけるように意識していきたい。


ただすごく思うのは、単純にこないだまでと同じようにまた長野で暮らせばいい、という思いだとダメな気がするってこと。

だいたいこういう尊い日々は再現性がない。だからこそ尊いわけですけど。

その時の自分と環境が一致したからこそ起きる化学反応的なところも大きいから、日々自分の価値観とかも変わる中で、「過去に自分がフルで楽しめた環境」が必ずしも数年後の自分にも合うとは限らない。

むしろ自分をアップデートする日々を過ごしていればいるほど、元々居心地がよかった場所に戻っても違和感を感じることが多い気がしてる。

だから、「戻りたい」というよりは、尊かった日々はそれはそれで宝物として胸にしまいつつ、「今の自分がワクワクしながら生きられる環境」を模索し続けていきたいというモチベーションで生きていきたい。

そのためにも、「今の自分が何をどう感じて考えるのか」という自分の変化に向き合い続けることは大切だし、自分の軸(私の場合は”自由””自己決定”)を見失わないことも大切だと思ってる。

これからもいろんな環境に身を置きつつ、人生の中での「愛おしい日々」を増やしていきたいなぁ~~~~!!!

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