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クラムボンを聞きながら

低音が、いい感じにながれてくる。

音楽とか、音には詳しくないけれど最近我が家に仲間入りしたスマートスピーカーで聞くクラムボンは、なかなかいい。プレイリストで「シカゴ」が流れてきたりなんかすると、まだ朝なのにちょっと飲みたくなってしまう。

ここは自宅のリビング。現在時刻は11時。平日の午前中からこんな優雅にBGMをかけてなにをやっているかと言えば、わたしは紫蘇ジュースをつくっている。

自粛期間があけ、保育園が再開した。4月予定からのびのびになっていた復職もいよいよ近づき、慣らし保育がはじまって3日目。自宅保育が長かったのできっと慣れるまで時間がかかるだろうと思っていたのに、次女は驚くべき適応能力で保育園に馴染み、今朝は「今日のお迎えは16時でいいですよ」なんて言われてしまった。ぽっかりできた時間が嬉しいはずなのに、いざ自由を目の前にするとなにをしていいのか迷ってしまって、とりあえず紫蘇ジュースをつくりたいと思っていたことを思い出し、買い込んできたわけだ。

鍋の中ではどす黒い紫蘇の葉っぱからエキスがどんどん出てきていいかんじ。酢をくわえると、途端に鮮やかな色になるから実験みたいで面白い。控えめにしようと思いながら、でも疲れているときはちょっと甘めが美味しいんだよな、と砂糖を半量よりちょっと多めにいれて煮詰めればできあがり。

さっそく冷やした炭酸水とあわせて初夏の味を楽しみながら、この自粛期間をしみじみ振り返る。

とくに上のムスメとは、ことばが豊かになってきたぶん、たくさん言い合いをして、夫に「大人気ないよー」と言われたこともあったな。それでも夜眠りにつくとき、まっさーじして、と言ってくる姿はまだまだ子どもで、反省しながら、でもすぐ眠りに落ちてしまう毎日だった。

ごはんづくりだって、スーパーに買い物にいけず家の中にある材料で工夫するのは結構たいへんだった。でも、おとうふやさんや八百屋さんや、近所の小さなお店が頑張っているのはすごくありがたかったし、案外シンプルなごはんも悪くない、と気づいたのもよかった。ムスメとパンを粉から手づくりしたり、オンラインの料理会という新しい出会いもあった。

二人の育児で時間がない、と言いながらも無性にいろんなことが知りたくなって本をたくさん買い込んだ。積読本に囲まれる日々は幸せで、ああ、わたしは本を読むのがほんとうに好きだったと思い出した。ちょっとしたスキマ時間に本を手に取るときほど、ぴんとくる言葉と出会えたりするのも不思議で、なんだろう、逼迫した状況で感覚が研ぎ澄まされる感じがずっとしていた。

次女は気づいたら自分の足でたち、歩き出していた。表情もぐっとゆたかになって、時折、みんなあたしについてきて、なんて表情をみせる。

なにより、家族が4人になって、こんなにみんなでずっと一緒にいることってなかったな。

忙しいからまた今度ね、と言い続けてきた旧来の友人ともひさしぶりに連絡をとりあって、オンラインで中学生のときみたいに自分の将来を語り合った。まるで思春期、モラトリアムだね、なんて笑いながら、それでもそれなりの年齢になった私たちはさまざまな本や自己分析を通じてしっかりと自分を知ることができるし、仕事や家庭もふくめて、昔より地に足のついた、たしかな未来の道を選ぼうとしている。

すごく感情の忙しい3ヶ月だったけれど、こんな風に思い出していたら、大変だったとかいらいらしたことはさっぱり忘れて、なんだかとても貴重な時間だったな、という感覚だけが残っていることに気づく。もうすぐ始まる慌ただしい日常の中で、この感覚をわたしはまた、忘れてしまうのかもしれない。でも、ここに記したことで、ああそうだった、とおもい返せると思うと少しだけ安心する。

そうそう、わたしは書きたかったんだ、と気づけたのもこの時間のおかげ。

あれこれと想いを巡らせていたら、もうお昼の時間だ。

鮮やかな紫蘇ジュースをぐいっと飲みほして、エプロンを手に取る。

さて、今日は自分のためだけに、大好きなレモンクリームのパスタをつくろう。子どもは絶対食べないやつを。ちょっとだけ白ワインも飲んじゃおうかな。そんな風に思いながら、いそいそと冷蔵庫をあけた。


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