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戻れるならただ抱きしめてあげたい、とその人は言った。

もし、20年前に戻れるなら。

職場で同じチームのNさんと火曜日の社食限定のプリンを食べながら話していたんだった。その日は大好きな彼女の卒業の日で、寂しさを感じながら、それでも新しいスタートをきろうとするNさんの表情はとても明るくて。こちらも新鮮な気持ちになってあれこれと話をしていたら時計の針は思わぬスピードで進み、慌ててコーヒーの残りを飲み干して席をたとうとしたとき。ふと、Nさんが呟いた。

もし、20年前に戻れるなら。

ただ抱きしめてあげたい。

彼女とは年齢も立場も仕事内容も違っていたけれど不思議とうまがあって(相手もそう思ってくれていたら嬉しいのだけれど)仕事の短い休憩時間や作業の合間をぬっていろんな話をした。男の子を3人育て上げ、一番下の子ももうすぐ大学生という彼女は、1歳児を育てるわたしからみたらとてつもなく大先輩で、いろんなことを迷いなく進んでいるように見えた。育児と仕事の両立で疲れ切っていた日も、大丈夫大丈夫と話を聞いてくれるその時間に癒されて、なんだか心があったかくなって家路についたことが何度もある。子育てが卒業に近づいて仕事をやりたくなって、という応募の動機さえかっこいいなぁと憧れたものだった。

そんなNさんからの一言。思わずコーヒーをテーブルに置き背筋を伸ばしてしまったのは、少しだけ潤んだ彼女の眼差しがそこにあったから。

仕事が佳境のときに熱を出した子供をみて、なんで今、と思ってしまったこと。3人が自分の横に座りたがって喧嘩するのをやれやれ、と思った日のこと。同じ男の子でもそれぞれ食の好みが違って三食の食事とお弁当作りがそれはそれは大変だったこと。忙しい中で時間の余裕がなくて、つい声を荒げてしまった日々。子どもたちが大きくなって触れ合う時間が少なくなった今だから思う、どうしてその時、手を止めてただ向き合ってあげなかったのかと。

...…私のことだ。そう、思った。まさにいまの私。

昨日だって後追いの激しい次女とそれを阻止しようとする長女、なかなか保育園の支度が進まない様子にいらいらして叱ってしまった自分を思い出す。はやく食後の洗い物を片付けなくちゃと保育園のことを話す長女の話を話半分に聞いていたら「ママはいつも話を聞いてない!」と怒られたこと。自分の時間が欲しくて、早く寝てくれないかなーと思ったあの夜。時間におわれて気ぜわしく過ぎる毎日を懐かしむ瞬間が、いつか私にもくるのだろうか。

なんだか急に切なくなって、その日は夕食を簡単に済ませると片付けは後回しにして子どもたちとゆっくりお風呂に入った。

「今日はほいくえんで泣いているお友達に優しくしたんだよ」

長女の話に、いつもなら「そっかー」と空返事をしてしまうところ、「そうかそうかーどんなふうに話したの?」と返してみる。「あのね、話聞くよって言ったの」「ゆっくりでいいよ、話聞くよって言ったの」あまりにタイムリーな逸話に内心どきどきしながら「それはえらかったねぇ」と話すと最近気難しい長女もにっこり。得意気に、おんなじ話を今度は次女に話し出す。

お風呂にゆっくり入ったせいか子供たちはいつもより早い時間にすうっと寝入ってしまい、21時にゆっくり読書タイムをとれるというおまけつき。先輩はやっぱりすごい。新米ママはまだ全然余裕なんかないけれど、忘れずにいたい。ただ向き合うこと。

ふと、子どもの頃、私が話しかけると家事の手を止め、いつもエプロンで手を拭きながらこちらに向き直ってくれた母の姿を思い出す。Nさんの言葉に、なんだかお守りをもらったような気持ちになってぐっすり、深い眠りに落ちた。


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