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恐怖を分かち合う

こんばんはtomoです

一週間前から始めた毎日ノートですが、昨日は新しい記事を書くことができませんでした。昨日は、いつものように夜になってから記事を書こうと思っていたのですが、その夜、想像していなかった話し合いが行われることになりました。

それは、皆が家にいるようになってから、初めてのコロナウイルスについての話し合いでした。

きっかけは、私の中にウイルスに対する恐怖が出てきたことでした。今まで、私の中でのコロナウイルスに対する恐怖は、あまり大きいものではありませんでした。お年寄りを中心に重症化しているということで警戒されていたウイルスが、私の元にやってくることはないだろうと考えていたからです。しかし近頃、このコロナに対し様々なことが言われるようになってきました。若い人の感染例や、症状に気がつかないうちに重篤化してしまった例もあるようです。

そして、私が何よりも恐ろしいと思ったのは、コロナに感染した患者さんを診るために防護服を着用している医師が、救急の患者さんを診ることができず、医療崩壊が起きている、ということでした。私はこれをツイッターで医療従事者の方が、感染を防ぐために一人でも多く自宅待機をして欲しいと呼びかけているツイートで知りました。

昔から病院にかかることが多かった私にとって、これはとてもショックなニュースでした。自分の身に今何かがあって、病院に搬送されるようなことがあっても診てくれる病院がないかもしれない、また私たちが外に出歩き、無自覚でウイルスを人に移してしまうことで、救われるはずだった命が助からないかもしれない。

そんなことを考えると、今までは社会で起きているニュースとして考えていたこのコロナが、急にものすごく恐ろしいものであるように感じました。そして、一緒に暮らしている家族にも何かあったらどうしようと、誰も外に出てほしくないと思いました。しかし、現実には食料品の買い出しや、飼っている犬の散歩も必要です。それらをすべて制限し、一度も外に出ないということも、現実的ではないと思いました。

そんなことを考え出した私はどうしたら良いのか、私に何ができるのかわからなくなってしまいました。怖くて、悲しくて、とても不安でした。

私はその思いを家族に話してみようと思い、話し合いが始まりました。家族みんながこのコロナに対して、どのような認識を持っているのか、どこでどんな情報を得ているのか、非常事態宣言が出されてからも、私たちはコロナについてお互いに気持ちを共有したことはありませんでした。

24時間同じ場所を共有していた私たちでしたが、お互いに知らなかったこと、認識の差が思った以上にあることに驚きました。それと同時に、家族に思いを伝えることで不安だった思いが少しずつ取れていくのを感じました。

お互いに、考えや予防策を共有し、思いを伝える。怖いという気持ちを伝えるだけでも、自分の気持ちに大きな変化が生まれました。何かあっても支えてくれる家族がいる、思いを聞いてくれる人がいる。そんなことに気がつけなくなっていた自分がいました。

こんな状況の中で、通りを歩く人を疑ったり、無意識に人を避けてしまうこともありました。しかし、そんな時でも、一番支えになってくれるのはやはり同じ人間なのだと思います。一人の時間が増え、コミュニケーションをとることが大幅に減った今、不安や恐怖を覚えることも増えてきたように感じます。私たちは、思いや感情を共有することで大きな安心感を得ているのかもしれません。こんな時だからこそ、周りの人の声を聞き、自分の思いを共有する。人との関わりが私を助けてくれる、そう思えた時間でした。

スーパーや、生活必需品を売るためにお店に出て下さっている方、ネットで買った物を運搬して下さっている方、そして医療従事者の方、それ以外にも、沢山のところで未だ働いていて下さっている全ての方々に感謝します。

tomo

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