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函館の旅

目的と計画

旅の目的は、宮沢和史のライブである。そして函館は母の出身地でもあるので「一緒に行く?」つって、同行。母は82歳、障害手帳1級を所持。なかなか大変な心臓の手術をして人工パーツも入っているので1級なのだが車椅子ではない。疲れやすいのと重い荷物が持てない。
ライブの間、母には宿で休んでいてもらうこととして、ライブ後に函館山に行けるかな。日没前後は混むらしいので、終わり間際にロープーウェイ乗れば良いかな、ロープーウェイ乗り場まではタクシーで行けば良いのかな、タクシーつかまるかな、Goアプリ入れておいた方が良いかな、と、計画は大まか。

障害者割引

障害手帳があれば、JRは本人と介助者の運賃が半額になるとよく聞くのだが、あれは厳密に言うと乗車券のみで特急券は対象外。なので実質、半額ではない。結局「トクだ値」(早割)と同じくらいの金額になる。しかし「トクだ値」だとできない指定席変更が「障害者割引」では可能。体の調子に合わせて当日電車の時間を変えることできるのはやはり有難い。詳しくはJRサイトへ。

その「障害者割引」チケット、今まで購入は窓口のみだったが、この春からネット購入できる様になった。なので早速試してみようと思ったが、障害者本人のスマホに「えきねっと」アプリをインストールし、マイナンバーカードを読み込ませなければならない。代行者のスマホでは購入できなし。代行者がいるならそいつが窓口に買いに行きなよという話である。ま、そりゃそーだ。(障害児のチケットを保護者が購入する事はできるっぽい。)

朝市

母とは同居ではないので、実家に車で行き母を乗せ、駅前の駐車場に車を停める。土日の1日最大料金は1400円。高いがまあこれは仕方ない。
新函館北斗まで、東北新幹線→北海道新幹線で行き、そこからは普通列車に乗り換え20分ほどで函館到着。

はるばる来たぜ

駅前の宿に荷物を置き朝市に行ったのは11時ごろ。混雑のピークを過ぎた頃なのかな?下調べしていないので、ウロウロしてみるが、丼物の3000円という値段に母と二人でちょっと引いてしまった。安そうな店は、机や椅子が簡易すぎるし、ゆっくり座りたいし、、、ってことで、塩ラーメンを食べることにした。しかし、塩ラーメンのメニューがある店に入ってみるも一軒目は誰も出てこず(閉店?)二軒目は満席。もぅ、探すのが面倒になり、呼び込みをしていたお兄さんに訊ねてみるとオススメされたのが「いくら亭」。どんぶり専門店だけどラーメンが美味しいんですって。いーねいーね、そういうの。
おそらく有名なお店なのかな。そうか、テレビで紹介されたお店に行くことを目的として旅に出る人もいるのか。ていうか定番の観光地はそういう人たちが多数派なのか、マジョリティ。

シンプル最高!
帆立好きなので注文。でかい、美味い。

塩ラーメンはたまにチャレンジするのだが、シンプルであることに自信がないのか無駄に味が濃かったり、油的なものが入っていたりするのだが、そういう小細工が全くなく求めていた塩ラーメンであった。スープ全部飲んだ。

「いくら亭」は、メニューも豊富で定食や一品料理も美味しそう。どんぶりも、ネタやサイズによってはお安くなるし、天ぷらや雑炊も美味しそうだなぁ。夜も来たかったけど、夜は営業していなかった残念。朝市だもんね。1週間くらい滞在して毎朝行きたい。

摩周丸

朝市で腹を満たした後は、金森倉庫方面へ。
「海の方にあったあれがなくなっている」とかなんとか、半世紀ほど前まで函館に住んでいた母が言っているので確認のため海沿いを経由することに。すると昔々の青函連絡船「摩周丸」があるではないか。中を見れるのか? 近づいてみると500円で中が見れるらしい。青函連絡船ってそんな豪華な船でもないし、何か見るものあるのか?なんて思ったけど(何せあまり下調べしていないので)、せっかくだから入ることに。

錆もわびさび
出入り口では「蛍の光」が流れている。もちろん出港するとき流れるバージョン。
模型が色々。
懐かしい!
999の車掌を思い出す

ここで母の記憶の引き出しが開きまくる。
修学旅行は、汽車に乗ったまま汽車ごとフェリーに乗り込んだ。汽車ごとフェーリーに乗り込むのは一番運賃が安いから修学旅行生はそこなのだ、と。
たしかに、船の構造などみると船の底に汽車ごと乗れるようなスペースがあった。へぇ。

台風で船が沈没して友達のお父さんが亡くなったこともあった、今までずっと忘れていた、とも。
そんな事故、聞いたことないけど、ホント?なんて言ってたら、資料が展示されていた。本当だった。当時のNHKニュースも見れた。通り過ぎると予測されていた台風が通り過ぎず、出航した船が停滞し、風に煽られ水がたまり沈没したらしい。しかも沈没した船は5隻。もちろん多くの人が亡くなっていた。新聞記事のファイルもあったので見ていると、海岸に打ち上げられた死体の写真が載っていた。昭和の新聞エグいな、、、。

「北海道をPRしたモザイク画」

青函連絡船は、自分も子供の頃何度か乗っていたので、この「北海道をPRしたモザイク画」が懐かしかった。母は「こんなのあった?」と言っていたが、当時は子供が触れる位置に飾ってあって、触りまくってたのだ。支笏湖の穴に指つっこんだ感触まで思い出した。

ここ、船が好きな人なら映像とか資料見ながらずーっといられるかも。ゆっくり座れるところもあるので、コンビニで買ってきたもの食べてる人もいた。そんなに混んでいないのもまた良し。

懐かしかったよー

金森赤レンガ倉庫

昔々、高倉健の映画のシーンか何かのバックにあった金森倉庫を指して、父親が「俺、昔ここで働いていたんだ」と言っていたことがあって、またまた嘘ついてーなんて言っていたのだったが本当だった。本来の倉庫業として営業していた時代に勤めていたらしい。
函館は、父や母が子供の頃は随分と栄えており賑やかな街だったようだ。それが、だんだんと衰えていき、先行きが怪しくなってきたので、親戚を頼って本州に移り住んだということである。ずいぶんと身軽だな。そもそもが移民だからこその身軽さなのかな。土地に固執しないのだな。本州といっても東北の田舎だったのだが、それで良かったのかな。札幌でも良かったのにな。

金森倉庫は、建物がかっこいいけど、中に入っている店は割と普通に観光地あるあるな雰囲気。例えば「甘味処 鎌倉」というお店があって、鎌倉の店? と思ったのだが後で調べると本店は新潟であった。また「手作り箸工房」もあり母が「函館って箸が名産品だった?」なんて言っていたけど多分全国チェーン店。そういう「細かいところはまぁいいから雰囲気雰囲気」みたいな感じ。おしゃべりしながらブラブラするのにはちょうど良い。人はいっぱいいたけど、もう春休みは終わっている時期なので、思っていたほどめちゃ混みではなかった。

金森倉庫の手前にコメダ珈琲があり、若者が写真を撮っていたので「え?コメダだよ?」って思ったのだがどうやら海外から来た方々の様だった。コメダも有名なのね。

ケーキ食べたり、コロッケ買ったりしているうちにライブの時間が近づいてきたので、一旦宿にもどりチェックイン。沢山歩いてお疲れの母を宿に置き、私はライブ。場所は金森ホール。ライブ会場として、とても良い空間だった。MCで沖縄やブラジルの移民について触れていて、北海道もそういう土地ですよね、なんて話もあって、色々と繋がった。日程的に仙台でのライブ参加が無理だったので、函館のライブに来ることにしたのだが、函館にして良かった。ライブの感想はこちら。

函館山

ライブが終わり再び宿へ戻り、エネルギーチャージした母を連れて函館山へ向かう。ここでタクシー利用。初めてGOアプリを使った。お陰であっという間にロープーウェイ乗り場に着く。料金700円。この時点で19時半過ぎ。混雑ピークが過ぎる頃ですぐに乗ることができた。
ロープーウェイは、若い人が多くて皆テンションが高かった。地元の祭りで夜遅くまで出かけることを許された中学生みたいなテンションw。だよね、夜にロープーウェイ乗るなんてアガるよね。
ロープーウェイは、昔々乗った時より全然デカくなっていた。母の障害手帳提示によりちょっとお安く乗れましたありがとう。

天気もよくバッチリ見えた

展望台にあるお土産屋は、なんというか、どちらかというと子供向けな雰囲気で、キャクターグッズとかキーホルダー的なものが多くてそれはそれで楽しかった。うっかり函館刑務所の鞄を買いそうになった。

夜景鑑賞後は、時間も遅いので高齢の母を連れてお店探しなどしてられないと思い、帰りのタクシーで、ホテルの近くで良さげなお店に連れて行ってもらうようお願いしてみた。

海鮮居酒屋

で、連れてこられたのがここである。

写真、一枚しか撮ってなかった、カニクリームコロッケ。

うん。安くはないのかな。いやでも東京の人からするとこの鮮度でこの価格は安いであろう。アルコール類もそんな高くないしな。ま、私たちは身分相応に、オススメの時価モノは注文せずに、通常メニューから選んだが、充分に美味しかった。メニューに白飯があったので安心。お通しも、お刺身も美味しかった。

謎のホタテ。湘南平の南京錠を思い出しますね。

1日目おしまい。

函館市電

1日目「あったはずの市電がない」と母が騒いでいたのだが路線の数が減っているのでしょう。2日目は、とりあえず市電に乗りましょって事で、降りる駅は母に決めてもらった。

市電

函館公園

「青柳」という駅で降りてふらふら歩く。母は、神社に行きたかったらしいが、神社に近い駅は一つ前の駅だった様で、神社ではなく「函館公園」にたどりついた。で、最初に目にはいったのがこの「こどもの国」。昭和の遊具がひしめき合ってるのだが、どれも現役でぴかぴか。いいなあ、小さい子連れて遊びたい。さすがにおばさんとおばあちゃんで遊ぶ訳にはいかないからな、と、通り過ぎたが、後で調べると観覧車もあったみたいだ。観覧車なら乗れたな。気づかなかった残念。流れている音楽もレトロでい感じであった。

ぎゅーって遊具が詰まってる

函館市立博物館

函館公園には古い建物がいくつかあって、その一つが博物館になっていた。何があるのかよくわからなかったが無料なので入ってみることに。
まず先にあったのが「函館の大火」の資料。昔、明治生まれの祖母に話を聞いたことがあった火事の資料だ。炊き出しの写真や、火事の様子の絵。その絵もなんというか昔の絵なのだな。戦の絵みたいなタッチだった。

博物館って、農機具がたくさん展示してあるところというイメージだったが、それは自分の地元の博物館がそうなだけなのだ。函館は、歴史的にいろいろあった街だから農機具展示してる場合じゃない。
なのでその後も、アイヌのと交流や戦争の資料などがあり、盛りだくさんで楽しかった。火縄銃を見つけて「火縄銃だよ!」って盛り上がっちゃった。ぴかぴかに磨かれており、最近まで使ってた感があった。ここ、建物の壁も床も手すりもぴかぴかだったから職員さんの中に磨きのプロがいるのかもしれない。

函館カール・レイモン

知人にウィンナーを送りたいと母が言うので立ち寄った。ウィンナー類は全て冷蔵品のため、自分らの分は購入しなかった。保冷剤買って荷物増やして持ち帰るよりも、食べたい時にネット注文すれば良いのだよ。そういう時代なのだな、ということは朝市でも感じていた。

イートインがあったので休憩。この後、五島軒に行く予定だというのに、うっかりジャーマンポテトを購入し胃に負担をかけてしまった。もちろん美味しかったのだが。うっかりうっかり。うっかりはもう一つ。母がここで急に饒舌になり話が止まらない。しまった、ワインを飲ませてしまっていたのだった。

美味かったが油を摂取してしまった

散策

昼食時間を遅らせることにして付近を散策。

真宗大谷派 東本願寺 函館別院。西の人には当たり前だろうが、寺がでかくてびっくり。

東本願寺の近くに教会。中にも入れたのだが、日曜なのでガチな礼拝が終わったばかりの様で、そういう内輪な雰囲気に弱い体質なのですぐに出た。狭い路地に車がたくさん止まっていたのはそういうことか。こんな古くて綺麗な現役の教会の中を見たのも初めてかもしれない。

散策している場所は坂道なので、母も疲れてきた様子。道端のベンチで休んだりしてみたが、この付近は父の実家の近くでもあるから色々と思い出してしまうらしく話が止まらない。話の内容は、道端のベンチで聞く様なものではなく(飲み会の終盤みたいな内容、「人間って、、、、」とか言ってる、なにせ酔っ払いだから。)、腹を減らすにはもうちょっと散策したかったのだが、昼飯を食べることとした。

五島軒本店 レストラン雪河亭

カレーで有名な五島軒だが、グラタンを食べた。朝ドラ「ひよっこ」を見て以来(ずいぶん前だな)老舗洋食屋でカニクリームコロッケを食べたいと思っていたのだが、うっかり昨日居酒屋で食べてしまっており、それはそれでとても美味しかったので満足していたのだった。であれば、グラタンだ。グラタンの正解を味わおう。グラタンを頼んだパンがついてきた。懐かしいふわふわパン。ん?懐かしいのか?自分がこういうちゃんとした店に行ってないだけ?
母は明治のカレー。少し味見したがなるほど懐かしいタイプのカレーだ。母は、肉が硬い私だったらバラ肉を使うと言いながら食べていた。口が悪いのです酔っ払いだし、ごめんなさいね。
洋食屋さんって人とご飯を食べる時なかなか選択肢には出て来ない、というかそもそも店も少ないためになかなか行く機会がない。自分は好きなので今度からは旅の目的の一つにしようかな。

ザ・グラタン

そんな感じで、早くから酔っ払いになってしまった母は疲れ、その酔っ払った母のとめどなく続く話を受け止め(いや、受け流し)続けた私も疲れたので、予定より1本早い新幹線で帰ることにしたのだった。ははは。

函館は、女友達とゆるく楽しむのにちょうどいい観光地なのかな。今度行く時は「こどもの国」「ラッキーピエロ」目指す。ひとり旅だったら「北方民族資料館」も追加。宮沢さん、また函館でライブしてくれそうだな。また行きますね。

自分用土産。