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真珠のきらめき 第9章 保護と開発

(前章までのあらすじ~石田はクリスマスパーティーで好みの女性に会い、夢中になる。容姿も、性格も好感が持てて、趣味も合っているような気がする。その場で会員の一人の男と話をする。好色で浮気で、少し不真面目で、相談所で女遊びのような活動をしているように見える。)

事務所に、巣から落ちたトビのヒナを拾った、という連絡が入ってきた。
 石田が、夕方の職場の帰りがけに、発見場所と自宅が近いからという理由で、現場に行くことになった。保護しても、時刻が遅くて、今日のうちには自然保護センターまでは運べない。
 そこは何かの工場だった。応接室に招かれた。工場の幹部らしい人が出てきて、話し始めた。
 実は、ヒナは巣から落ちたのではない。部下が木に登って、いたずらで取ってしまった。周囲の者から、それは場合によって警察沙汰になると知らされた。巣は高い木のてっぺんにあって、今更、元の場所に戻すのは難しい。
 そこで、ヒナが自分から落ちた、ということにして、役所の方に連絡を入れた。
 石田は話を聞いて、あきれかえった
「申し訳ありません」
幹部は、目の前で何度も頭を下げて言う。
「内密にお願いしたいんです。悪気があったわけではなくて、好奇心で手を伸ばしたらしいんです」
 石田は対応に困った。
 どこからどこまでが本当なのか分からない。疑い出すと、切りがない。
 この場は、真相を知らなかったことにして、単に野鳥を預かってしまうか。単なる事故として処理するか。
 それとも、警察に通報するのが適当か。しかし、その部下が取ったということを、どうやって検証するのか。本人の申し立てか。その先は、どうなってしまうのか。犯罪者がひとり増えるのか。警察は他の事故、事件で忙しくて、この件を犯罪として立件しようとはしないかもしれない。
 
 とりあえず自宅で預かることにした。ひと晩面倒を見る。
 ヒナは2羽、段ボール箱の中に入れられている。工場の人が段ボール箱のふたを開けると、大きな目玉で、じろりと石田の方を見た。
 ワラのようなものを敷かれて、おとなしくしている。赤ん坊で、羽を広げて、飛び立つことは出来ない。飛べなくても、大きな体をしている。普通のニワトリより大きいかも知れない。
 段ボール箱は重くて、両手で抱えるのも大変なくらいだ。
 石田は、自分の書斎部屋に動物を入れたことはない。まして野生の大型の動物は、日常生活では、お目にかかることもない。
 扱い方が、よく分からない。しかし、危険な野鳥であることは分かっている。爪やくちばしが強くて、太くて鋭いと知っているから、覗き込むだけで、手は伸ばさない。
 白い産毛に覆われているが、大きな体、鋭い目つきは、とても赤ん坊とは思えない。
 職場の仲間に電話すると、えさは鶏肉を買ってきてやれば、大丈夫だという。扱いづらいが、生き物だから、何か食べさせてやらないと死んでしまう。
 
 段ボールを開けると、体は向こうを向いている。子どもの頃に身近に見ていたニワトリの親より、体は大きい。それなのに、石田の気配に気づいて、目玉だけは背中まで回って、こちらを見ている。射すくめられたような気がする。
 買ってきた鶏肉の肉片を、割り箸でつまんで口元に持っていく。ためらいなく、勢いよくかみつく。一飲みで旨そうに、ごくりと飲んでしまう。飲み込むと、満足そうな目つきに見せる。相手が親鳥でなくても、えさがあれば、かぶりつくらしい。体は大きくても、赤ん坊だから、警戒心もないのかもしれない。
 本当なら、親鳥がどこかのネズミなどを足でつかんで、飛んで運んでくる。その肉片をくちばしで食いちぎって、口伝えに与えてやる。そんなところだろう。
 石田の部屋は2階にある。夏になると、開け放した窓から、外の熱い空気が入ってきて、カエルの合唱も聞こえてくる。田んぼや畑や川岸に、無数のカエルが住みついている。その合唱が大音響で周囲を満たす。田舎育ちの石田は、昔から聞き慣れている。夏の夜には、農村地域で見られる当たり前の風景だ。
 カエルの合唱を聞きながら思う。外にはカエル、中にはトビ。こんな野生動物に囲まれて、ひと晩同じ部屋で過ごすのか、気味が悪い。
 
 事務所では時々、野生動物を保護する標識を、山野のあちこちに立てることがあった。通常は、日雇いで関係者に設置を頼む。一度立てれば、鉄製の丈夫な造りで何年でも保つ。
 しかし、保護する場所が増えたり、何かの理由で標識がなくなったりすると、一本二本では他人に頼むのは難しい。手続が面倒になる。
 そんな場合は、ほとんどないことだが、石田たち職員が自分たちで立てる。
 その日は、立てる場所が、広大な貯水池の砂利の敷地だった。石田は篠田と標識を運び、穴を掘った。
 設置場所は、湿地帯の中で、舗装されていない道が通っている。人や車の姿はほとんどない。前後左右に、砂利道と芦原が延々と続いている。
 2人は作業服を着て、スコップとつるはしで汗をかく。軟らかい土なら、仕事もはかどる。しかし、砂利の地面は、道具をはね返し、時間がかかる。
「事務職で採用されても、穴掘りさせられることもあるんだね」
 石田は、篠田に笑いかける。
「でも、机に向かって事務を執ってばかりじゃなくて、たまには体を動かすのも悪くないですよね」
 篠田が応じる。
 珍しくトラックが1台、二人のそばを、砂埃を上げて通り過ぎていった。
「シラサギがいっぱい飛んでいるなあ」
 石田がつぶやくと、篠田は、にこりと笑った。
「知ってます? シラサギって、正式名称じゃないんですよ」
 振り向く石田に、篠田はまくし立てた。
「白いのは3種類いて、ダイサギ、チュウサギ、コサギって、大きさで分かれてるんです。サギも色々で、灰色で大きいのはゴイサギ、ピンク色のはアマサギです。時々ものすごく大きいのがいて、アオサギって言うですよ。ワシタカより大きいんですから」
「はあ、よく知ってるね」
 篠田は日頃から、鳥類図鑑などをよく眺めていた。
 
山から動物が出てきて困っているから来てくれ、という知らせは、時々入ってくる。
 来てくれと言われても、実は、事務所としては有効な手立てがない。
 その日の知らせは、山の方から町中に出てきたタヌキが、近くの人に追い回され、高齢の女性が手を噛まれて怪我をしたというものだった。
 とりあえず、石田たちは現場に急いだ。
 駆けつけてみると、そこは山沿いの住宅街で、道路脇に人だかりができている。野次馬の見つめる先に、2人の警官がいる。
「ああ、どうも」
近くの駐在所の警官は、タヌキを追いかけて走り回ったらしく、汗だくで、息を荒くして、興奮している。警官は、事件現場に行くのが早い。
 警官は、行政の担当者が来たと聞いて、ほっとしたのか、額の汗をぬぐった。参ったという様子で、石田たちに向かって苦笑いする。軍手をはめ、それなりの装備をしている。
 石田は、警察の人は、色々と仕事が入ってきて大変だと感じた。
 
 タヌキは、金属製のかごに入れられている。どうやったのか、手足を押さえつけたらしい。覗いてみると、威嚇の声を出しながら、目も歯もむき出しにしている。格闘の後を物語るかのように、よだれを垂らして、こちらを見上げている。その顔には、面白いとか可愛いとか、タヌキの一般的な印象はない。
 タヌキには、愛嬌のある小動物をいう印象を持つ人もいる。しかし、実際に接してみると、人の常識は通じない野生の動物だ。こちらに攻撃の意図がなくても、向こうは命がけで向かってくる。
 人が悪いのか、タヌキが悪いのか。人が構ったのか、タヌキが悪さをしたのか。それぞれの事情もあるのか、色んな考え方がある。
 同行の篠田は、あいさつしながらタヌキを預かった。野生動物は保護することになっている。捕まえたのは警察署だが、保護するのは自然保護事務所になる。
 
 篠田は、現場のやりとりにも、動物の扱いにも慣れていた。怪我をしていれば、近くの獣医の所か自然保護センターに運んで、手当をしてもらう。怪我はしていないから、このまま、また自然の中に返すということになった。
 公用車で山中に分け入った。
 山道に車を停めた。人の姿はない。うっそうとした林が続いている。
 噛まれないように気をつけて、ふたを開けて、タヌキをかごから出してやる。素早く飛び出たが、戸惑っている。不思議なことに、すぐに逃げていこうとはせず、車の近くを、うろうろと歩き回っている。どうしていいか戸惑っているようにも見える。
 石田たちを襲ってくる気配はない。本来の生活環境の中に自由に解放されて、落ち着きを取り戻したのかもしれない。腹でも空いているのか、地面のにおいをかいでいる。元々、えさが欲しいと言うだけの理由で、人里に迷い込んだのかもしれない。
 篠田は声をかけた。
「もう来るんじゃねえぞ」
 タヌキは、人との格闘で疲れているのか、ゆっくりと歩いて林の中に姿を消した。石田はタヌキの後姿を見送った。
 日本列島は、山が多い。野生動物は元々、山の中で生きていた。人は山の木を切って、狭い平野に木の家を建てて、ずっと暮らしてきた。しかし、近代化の欲望が更に木を切って山を削って、動物たちは居場所を失っていった。
 
クマが捕れたと、事務所に連絡が入った。
 人の作った農産物を食い荒らすクマなどは、有害鳥獣と呼ばれていた。その駆除の許可が行政から出ていた。危険だからと言って、やたらに猟銃で殺すわけにはいかない。野生動物は、法律で守られている。
 しかし、早めに処置をしないと、付近の住民の人命にも関わる。
 石田は現場に向かった。
 捕獲の仕組みは簡単だ。クマの出没しそうな山中に、頑丈な檻を仕掛ける。クマが目撃されたという民家の裏山が、今回は選ばれている。金属製の檻の中には、クマの好物のハチミツが置いてある。誘い込まれたクマは、食欲を満たす。
 しかし、一度入ると、鉄製の重い扉が閉まってしまう。クマの怪力を持ってしても、もうそこから出られない。
 発見されると、狩猟団体の人によって射殺される。
 行ってみると、民家の庭先に関係者が集まっていた。付近の住民、狩猟団体の会員、警察官だ。クマは、狩猟団体の人によって、既に解体されていた。広い農家の庭先に、仰向けで手足を広げた形で横たわっている。体毛は、黒光りして、どこかで見たような、針金に似ていた。
 体の様々な部分は、慣れた人々によって、それぞれ利用される。頭部、毛皮、内蔵、肉、爪、骨。
 石田たちには、肉が分け与えられた。石田は、クマの肉には、正直に言って興味がなかった。しかし、有り難いお裾分けだ、と言う人も、その場にはいた。
 持ち帰って、言われたとおりにアク抜きをしてみた。
 調理しているうちに、クマの肉を食べるのは初めてではないことに気づいた。温泉旅行に出かけた時に、囲炉裏端でその美味を味わっていた。
 
ある時、職場に元課長だった小倉が訪ねてきた。石田は数日前に、訪問の連絡を受けていた。
「ああ、お久しぶりです」
 石田は懐かしい顔に応じた。
「どうも」
小倉は、相変わらずにこにこしている。もう一人の男性と一緒にソファに座った。
「実は退職してから、地元の自然保護団体に入りましてね。私も昔から自然を大切にしたいという気持ちが強かったもんだから……」
「ああ、そうでしたよね」
 もう一人の男性は団体の関係者で、愛想良く頭を下げてあいさつした。
「それが、団体の中でも色々議論していて、こんな時代で、世の中が便利な生活ばかり追いかけていますよね。自然を守るのも容易じゃないから、むしろ守るだけじゃなくて、自然を積極的に増やしていこうという考え方が出てきているんです。一方で、山村地域は高齢者ばかり増えて、活気がなくて寂れていくばかりですから、地元でも、人を呼び寄せるとか、事業を起こすとか、何とかしたいという意見が強いんです」
「はあ、分かります」
「それで、知恵を絞って出てきた案の一つが、ホタル、夜中に飛ぶの、知ってますよね?そのホタルの里を作って、そこを保護して、人を呼び寄せて、自然保護と観光の両方を推進できないかという意見なんです」
「はあ、なるほど」
「それで、私はまあ、元は行政機関にいたんで、関係機関とか、関係団体とかを回って、問題があるかどうか、どんな意見をもらえるか、聞いて回っているんですよ」
「はあ、ホタルとは、昔懐かしいですね」
「山の民の発想だなんて、笑われるかもしれませんが……」
 小倉は照れ笑いをした。
「昔は、個人的なことですけど、夏になると夕涼みで、近くの河原に行きましてね。うちわ仰いで、浴衣着て、下駄とか草履履いてねえ、小さな橋の上から、闇の中をホタルが光って飛び回るのを眺めていたもんです。いい時は、光の乱舞っていうんですか? 右から左から、あっちこっちで小さな花火が上がるようなものです。不思議な風景で、幻想的っていうんですかね。あの風景を、もう一度蘇らせて、今の子どもたちにも見せてやりたいですね」
 石田は相槌を打った。
「ああ、都会の人の中には、そんな場所があれば、あこがれて訪ねてくる人もいるかもしれませんね」
 小倉は「うん、うん」と頷いた。
「今でもホタルの出るところがあるんですか?」
「それが調べてみたらあるんですよ」
 隣の団体職員が、テーブルの上に地図を広げた。
 そこは、山奥の人家のまばらな地域で、市街地から入っていく道は一本しかないような場所だった。
 石田は気になって、他の職員のところに行って、相談して戻ってきた。
「この辺て、何か開発の話なんか出てませんか?」
「そういうの、あるんですか?」
「はっきりとはわかりませんが、もしかすると、そういう計画をしている人がいるかもしれませんね」
「そうですか。地元の人にちょっと話したところでは、そういう話は出なかったんですが……。どんな話ですか? 例えば、ゴルフ場とか…」
「はい、もしかすると、そんな話かもしれませんね。私も立場上、はっきりしたことは言えませんが……」
「だとすると、難しいかな?」
 小倉は首をひねって、同行の男性の顔を見た。
「そうだとすると、残念だな」
 小倉は肩を落とした。
「こんな話はしたくないんですが、開発の業者の人の中には、金にものを言わせると言いますか、山林の買収に積極的に乗り出してくるところもあるんですよね。聞いた話ですけど、地元の人は最初は、山売ってくださいと言われたって、うちは先祖代々守ってきたところだからと相手にしないんですね。それが、菓子折りだ、何だかんだと贈り物されて、親切にされて、顔なじみになっていくんですね。そのうち会社の上のほうが背広着て、アタッシュケース下げて現れて、地主の前でぱっと開けるんですよ。中は数千万の札束ですよね」
話を聞いている石田は、目をそらした。
「地主のほうは、子どもたちは、山の中じゃいやだ、と言って町に出て行ってしまって、村には年寄り家族しか残っていない。山林なんて今どき二束三文ですから、面積は広いけど持っていたって高が知れている。自分も、もう年を取っている。暮らしも楽じゃない。そんなところに、目の前に札束広げられれば、驚いて心変わりもしますよね。山村は疲弊してますから。林業は斜陽産業ですから。悪い言い方すれば、札束で横っ面ひっぱたくって言うんでしょうか。口車に乗せられるわけじゃないんでしょうけど、書類にハンコを押しちゃうん人もいるらしいんですよ。まあ、開発業者のほうは、元手をかけただけの利益は上げていくんでしょうけど」
 小倉は残念そうな顔をして、同行の職員と一緒に去っていった。石田は後味の悪さを覚えて、その背中を見送った。
 
 平日の日中、事務所の中で若い職員のひとりが石田に声をかけた。
「○○さんが、東京で結婚式挙げるんだって。ご祝儀出す?」
 それは、あの不愉快なバイト嬢の名前だった。
 石田は一瞬、あの無礼な出来事が頭に上ってきた。結婚祝い金など出す必要はないと思った。しかし、口をついて返事してしまった。
「あっ、そうなの? 出してもいいよ」
バイト嬢は、いつのまにか東京の方に足を運んでいて、嫁ぎ先を見つけたようだ。かつて東京に住んでいたのか、その頃から交際が続いていたのか、それは分からない。
バイト嬢は地方の山間部の小さな町に住み、いつかは華やかな大都会に出たいと考えていたのかもしれない。
東京に嫁入りするなら、あの大都市の雑踏の中に紛れ、バイト嬢はおそらく石田にとって、もう会うこともない過去の人物になる。生きていると、自分に合わない人物とも出会うことがある。
 後日、やはり祝い金は断れば良かったと後悔した。

 

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