見出し画像

ともす横丁vol.27 幸せについて②

 筋向いのお宅にご夫婦が住んでいた。庭には梅の木が植わっていて、ちょうど私の部屋から見える。如月を迎えれば梅が咲くのが待ち遠おしく、メジロが飛んでくるとうれしかった。
 愛嬌のあるご主人は小柄な人で、よく玄関まわりの通りを掃き掃除していた。家にいないことの多い我が家の前も掃いてくれていたように思う。まるで妖精のようだった。奥さんは物静かで品がよく、顔を見ると挨拶してくれた。
 数年前、ご主人の姿をみかけなくなり、奥さんは独りで暮らしていた。時折玄関先に出ていらしたときに顔を合わせると挨拶して、お元気そうだと思ったことを覚えている。凛とした立ち姿だった。
 老いてひとりで暮らす寂しさや心細さは、私の想像を超えているだろう。母を見ていてそう思う。お向かいの奥さんはどうなんだろうと思っていたが、家の中に籠っているようだし、思うだけだった。
 数か月前頃から、人の気配が感じられなくなり、庭が荒れてきた。次第に家の前にも草が生い茂り始めた。たまに業者みたいな人たちが来て、家の中を片付けている様子が感じられ、もしかしたら亡くなったのかもしれないなと思う。こんなに近くなのにそんなことも知らない、知らされることもない。人知れず旅立ったような気がして、漠とした寂しさが心の中に広がっていく。人の哀しみといっていいかもしれない。たぶん母と同じ年の頃だから終戦前の生まれだろう。何がしかの苦労があったに違いない。どんな苦労も最期にあたたかいものであれば潰えて消えるだろうに、どんな想いを抱えて旅立たれたのだろうと思うと切なくなる。勝手な妄想だとわかっていても湧いてくる。もしかすると世の中にはそんな人たちがたくさんいるのではないかと思っているからかもしれない。
 次第に荒れていく家の醸し出す雰囲気に寂しさが募り、つい先日、その家の前で生い茂っていた草たちを刈って、通りを掃いた。ほんの少し清らかになったような気がした。
 もう少し通りの先にも見かけなくなったおじさんがいて、小さな畑ではこないだまで玉ねぎが植わっていた。いつのまにか収穫されたと思ったら草むらになっている。夫は出勤する際、そのおじさんとよく顔を合わせていたらしく、どうしてるのかなと度々言う。同じように草が生えた畑の前の通りを夫は草を刈ってきたと言う。まだ人が寝静まっている朝早くに。うれしそうに帰ってきた。そして「ぼくは幸せだよ」と言った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?