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2021.07.01 “簡単な言葉”化

こんにちは。

ここ数日、朝だけ土砂降りっていうのが続いていて鬱になりかけてます、ともむーんです。


いよいよ7月。月初めなんで今日は書くぞ。

って思ってたし書きたいこともあったんだけど、なんだかんだで遅くなってしまったのと眠いとので今日はさらっと。


今日でnoteを書き始めて6ヶ月目に突入する訳ですが、知り合いに褒めてもらいました。

なんか続けてるだけで褒めてもらえるってお得。

書く気がどうしても起きない日はまじ適当だし普通の日でもほんと何書いてるかわかんないくらいに適当だけど、それでも続けてる意味はあったらしいです。

別に褒めてもらうためにやっている訳ではないけれど。


でその人と少しお話ししたんですけど、至った結論が言語化ってめちゃ重要ってとこ。いや超普通。

その中でも"簡単な言葉にする"ってのが大事なのかなと。俗に言う”噛み砕く”ってやつ。

何でもそうだけど、特に建築ってありとあらゆる人が利用する訳で、その利用者全員に理解してもらうのがベターだと考えています。

そこには建築をすっごい理解している建築家から何にもわからない素人もいるんですよね。その状態でより多くの人に理解してもらおうとしたら、難しい専門用語ではなく誰でもわかるような簡単な単語を選ぶと必要があります。

自分ですらわからない建築用語が山程あるのに、一般人からしたら珍紛漢紛もいいとこです。

まずは難しい専門用語を片っ端からインプットすればいいんですけど、インプットしたものを自分の中でこねくり回して、それを簡単な言葉に変換してアウトプットする。

その他大勢に理解してもらうにはこのプロセスを踏むことは必須なのかなと思ってたりします。ゴールは常に誰にでもわかりやすくってとこかな。

これってたぶん誰にでもできることだけど、みんなあんまりやれてないのが現状って感じですかね。

「自分の頭の中のものと相手の頭の中のものを一致させる。」

考えてみればそれが核心であるけど、あまり言葉として認識したことはなかったので妙に納得した次第です。

着地点が見当たらないのでおしまい。

無駄に横文字使いたがる人が世の中に一定数いますけど、それ私です。人に伝わりづらいのでやめましょう。自戒。


今日から下半期。冒頭でも書いたけど緩く続けます。


今日書こうと思っていたことはまた後日書きます。たぶん。


ダリにもまた科学者の心
サルバドール・ダリ「フェルメールの〈レースを編む女〉に関する偏執狂的=批判的習作」

ー『芸術と科学のあいだ』P.90より

一点突破。聞こえはかっこいいかもしれない。

他のものを削ぎ落として一つの道を進み続けることに憧れを抱く機会も多々ある。

しかし、それは偏りすぎた考え方と言い換えることも可能である。

世の中はそんな一面的なものではない。それらは多面的な見方をして初めて解決されることがほとんどであるように感じる。

例えば、バリアフリー化を進めた結果、それらを利用にしない健常者にとって使いづらくなってしまうことがある。

これらはトレードオフなのだから仕方ないのかもしれない。しかし、それを解決しようとする姿勢こそが最も重要ではないのであろうか。

餓鬼ながらにそんなことを思ったりする。


収支報告 ¥303,919(−3,115)
逆指売りしてたつもりが、指売りになってました。何やってんだよ。

2021.07.01


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