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2021.03.02 才能とセンス

こんにちは、ともむーんです。

昨日に引き続き、自分の中の価値観の話を書いていきます。

才能は開花させるもの、センスは磨くもの。

ハイキューに出てくる言葉です。もっと言うと及川徹の言葉です。

ちょっと表現は違えど、自分も似たような考えを持っています。

けっこう簡単に言いますよね、「あいつには才能があるから。」「あいつはセンスが良いから。」って。自分も便利なんでよく使ってしまいます。

でも、自分としてはこのセリフがあんまり好きではありません。なぜなら、それってその人たちの(過去をガン無視して)現在の一点しか見てないから。

自分のそもそもの考えとして、この世に生まれ落ちてきた瞬間は皆平等であると思っています(遺伝とかによる差はあれど)。その上で、才能って生まれてから現在に至るまでの努力の蓄積であり、センスは生まれてから現在に至るまでの経験の蓄積だと考えています。

つまり、他人が言う才能とかセンスっていうのは、その人がその時点までに努力と経験の積み上げの結果に過ぎないんですよ(その積み上げに苦しみが伴っていたかどうかは別として)。でも周りの人は簡単に言う訳ですよ、才能が、センスがって。

そう言いたい気持ちはよくわかりますけどね。だってその一言で片付けた方がいろいろ考えなくていいから、努力していない自分と比べなくて済むから。ただ、その人に対して少し失礼かなって思うだけです。もともと持っていたものじゃなくて、積み上げてきたんだよって。

とまあ偉そうに書いてきましたが、もちろんこれらは他人の評価であるので、それが真実であり、同時に虚構な訳で。なんか難しいですね。

話は少し逸れますが、最近、助教の先生とお話するようになってから考え方が変わりました。今までは全てのものにおいて判断基準は絶対的に自分でした。周りの評価なんか自分にとって全く関係ないし、そんなもん気にしていたら疲れるので。自分の好きなことだけ、やりたいことだけをして、嫌いなこと、やりたくないことはしない。それでいいって思っていました。

ただ、それだけだと自己満足で終わってしまいます。別にそれはそれで構わないとは思うんですけど、なんせ自分が将来やりたいことが建築な訳で。否応なしに周囲の評価がつきまといます。むしろ、それを獲得しなければならない。

なんかジレンマですね。周囲の評価を無視しつつも、それを得にいかなければならない。ちょっと頭の方が弱い自分には難しいのでまた先生のとこに行ってご教授してもらおうと思います。

着地点が思ってたとこと違いますが、まいっか。とりあえず今日はそんな感じです。

Gorbyやりました、いつも通り3set。少し楽にこなせるようになりました(じゃあ5setやれよ)。

今日は夕方前までは強めの雨で、それ以降は爆風でしたね。寒過ぎてダウンきながら走りましたw。HRとれていないのはなぜ。

収支報告 ¥382,733(-1,100)
低位株100株しか持ってないのであんまり面白くないです。なんか探します。

今日会った人のいいとこ(会ってはないけどw)
・こっちが悪いのに謝罪メールくれてなんならお礼まで言ってくれた
・全く義務でないのにこっちにめちゃくちゃ配慮してくれた

いいとこ探しとか言う前にこっちが直すべきかw。

2021.03.02

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