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これからは、インディアン化なんじゃないかと思ってて。

ようやく寝たおちびちゃんを横目に書いております。
ぴったり3時間ごとに起きるので、それをチャイムと思って3時間以内には書き上げようと頑張ります。

さて、今回もコロナに限らず私がここ数年ずっと思っていること。

「世の中インディアン化する」

インディアン​ってなに?って人はまあ軽くこの辺でも読んだりしておいてください。

学者じゃないので細かいことは端折りますが、個人的にはインディアンってすごく理にかなった生き方だなと思っていて。
私なりの言葉にあえて置き換えてここがそうと思う点は、

・適応していく
・自分たちらしい道具を作る
・無理をしない
・1人勝ちダサい
・リーダーは権力者ではなく「代わりに判断するケツをふく人」
・自然のルールにしたがって文化を築きあげていくこと
・お互いが暮らしやすいメンバーと暮らしたい場所を見つけ、暮らしたいサイズ感でそこにマウントして暮らしていくこと

ここです。
私は数年、「移住」という言葉をベースに、自分自身も棲みやすい(この漢字を使う意味は、「呼吸がしやすい」と言いたいがため)ところを求めて遊牧してまいりました。
別に旅がすごい好きとかではなく、旅とか移動と言われるそれは私にとっては適応するための必然的な営みであって、そこに強制的な何かが働いているわけでもなく、自然とそうなっていたというのが事実です。

その中で、島というフィールドに生きやすさを感じつつも、生まれも育ちもそこではないため、知る時間・学ぶ時間・つながる時間が必要で、そのために通ったり、コミュニケーションしたり、船に乗ったりしているわけです。

要は、“適応の過程にいる”状態なのが私なんだろなと。

で、そうやって生きてきてどうだったか。

今回のコロナのせいで、産む前も産んだ後も立ち合いも面会もろくにできない中、分娩室でうむギリギリまでいろんな人といろんな話をし、産んだ後も本当にたくさんの方々からメッセージをいただき、孤独のはずの病室で、休む間もないほど充実した時間を過ごせて、あっという間。

その後、各地から食材をもらったりお裾分けしたり。

その中に、親戚なぞ1人もいないし、家族なんてカップ麺の1つも送ってきてませんが、そんなものいらないほどこれでもかと家には食材が増えました。

どこが拠点とか、どこ生まれとか、そういうのを超えて、「この人と一緒に生きていきたいなあ」と思える人たちに囲まれていることに改めて気づかせてもらえたし、そういう人たちがいる場所に棲みつきたいと、やっぱり思うわけで。

何か強烈な強さでねじ伏せられていたそういう大事な基本が、今回のことでパーンと噴出して、なんとなくそういう同じ想いの人たちとより深くつながったような、そんな気がしてなりません。

3.11の時、私は日本にいることが孤独でなりませんでした。
なんで日本てこんななんだろう。
まじ海外みろや。
そう思っていた当時。
今回も確かにそういう部分はある。でもそれは、今崩壊仕掛けている古いシステムにであって、人や文化の根本は、やっぱり愛しい。
それが日本だし、そう思う私はやっぱり日本人。

日本にも、インディアンみたいな時代があったわけで。
それは縄文弥生とかその辺と、江戸時代なんじゃないかなと。
殿様とか王妃とかそういうのはもう要りませんが、自分たちでお互いに役割を分担して生きていく、棲みつく時代が、改めて来るんだなあと、そう思います。

だから、都会とか田舎、町、村、市町村とかそういうカテゴリとしてあった言葉自体が今どれも自分には刺さりません。交流人口も、関係人口も、第2村民も、多分、自分にとってはもうそこじゃないんだと思う。
なんとなく、どれも違う。
じゃあなんだって言われてもまだわからないけど、わからないでいいのかもしれない。
いちいち決めて堅苦しくなる必要はないと思う。自由に行き来すればいいのだと思う。

生きたい少し先の未来を一緒に思い描いて、それが合致するメンバーで寄り集まって、そこに向けて今残したいものを一緒に残す。

これが、私が棲みつきたい地球の今だなあと、そう思います。
これをモットーに今新しい企画がやはりいくつか進んでいます。

一緒にインディアン化していきませう。
なんとなくその方が呼吸しやすいと思うから。

PS.そんな暮らしを島で始めたご夫婦がコラムを書いてくれていますので、ここにもおいておきまーす。

▼旦那さんのKenjiさん

▼奥さんのYukariさん

▼離島移住計画ってこういうところ。


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