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ようやく“素”というリズムを取り戻せるのかもしれない。

今日は雨。
雨の日は、なんとなく浄化されていく気持ちになります。
太陽は確かにいろんな生命にエネルギーをくれるけど、時々そのエネルギーで火傷しちゃうこともあって、こうやって少し冷ための雨がふることで、その傷を洗ってくれている。
そんな気分がするので、案外晴れ続きの後の雨が好きです。

コロナという病気が、地球の大掃除に一役買い始めてから数ヶ月。
この病気と関係ない、出産という流れで必然的に家で引きこもりをして私も2ヶ月近く経とうとしています。
多分、今回は世界的に大引きこもりパーティで、引きこもり事態がポジティブな存在になったんじゃないかなとか思います。

私は多分「移動してないと死んでそう」系の人種だと思われていると思うんですが、実はそんなことなく、案外楽しく引きこもっています。

ここ2-3年、人生の断捨離期というか、お掃除期というか、どうもっと自分の暮らしや人生を“素”にちかづけられるか。これを模索しているわけで。2019年は特にそういう年だったなと思っていて。そうしていたら、子供もできたわけで。生物としての“素”になんだか近づけたような。

妊娠に気づいた時に、私はスペイン・バルセロナにて、コラージュアーティストの今田知佐子氏の“reborn”を手伝っていました。
「Latid del corazon -心の鼓動-」と題した5つの作品から出来上がる個展。毎日のように「知佐子がrebornするとは」をとことん話していて。ものすごくプライベートなことも含め、お互いに腹をこれでもかと割っていた時に、私の中に生命が誕生していたわけで。
もう少しちゃんというと、実際に生命が作られ始めた時、私は九州中の仲間のところへお手伝い行脚していて、ビールもたらふく飲んだし、車中泊もしてたし、大雨の中設営とかしてたしで。
よく一番激動なこんな時期にできたなと思っていたけど、ここ数日「いや、“素”の存在だからこそ生き延びたのかもしれないと思うようになりました。

今横にいる新しい生命は、極めて地球のリズムで生きていて、とてもシンプルで。
「穏やか・安心」と「不安・不快」とそれをつなぐ「眠り」の繰り返しだけで日々過ごしています。
あ〜これが本来の人や生命の根源なのかと。
愛とか、幸福とか、実はそれ自体がとても既に複雑なものであって、人間らしい理性的なことであって、本来の元の元ってこの3つなんじゃないかなと。
このシンプルな存在はとてもエモーショナルで、「声を上げる」ことで伝えようとします。

安心したいから声を上げる。
バランスが取れると眠る。

今人間が作っている混沌のほとんどが、この“素”の状態を放り投げたがために起こっていることだなと。

多くのシステムやサービスが生み出されては捨てていかれる今という時間の中で、今回の世界的混沌が最終通告してきているのは、「地球に人間は住む価値があるのか」ということだと強烈に感じています。その中で、“素”に気付けるかどうか。ここが今後の生き方の運命の分かれ道かもしれないなと。

装飾はとても簡単。しかも楽しい。
でもそれは一過性かもしれない。それを片付け、維持する。
無理をすればするほど、反動は帰ってくる。
大事なのは装飾=adaptではなく、re-bornであり、re-editであり、re-harmonizeであり、re-thinkでありre-syncだと改めて思う。

もういいじゃねえか。
そろそろ“素”に帰ろう。

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