閉塞的かつ緊張した社会で(歌壇時評)


以下は、短歌結社誌『水甕』2020年8月号に掲載した「歌壇時評」です。執筆したのは2020年5月です。

 厚生労働省によると、今年四月の全国の自殺者数は前年同月に比べ約二〇%減少したという。COVID-19(コビットナインティーン)(新型コロナウイルス感染症)拡大防止の為に外出が制限され、職場や学校の人間関係から解放されたことが理由だと思った人が多いだろう。
 ある人がTwitterで呟いたことが印象的だった。デュルケムの『自殺論』(フランス語の原著は一八九七年)によれば、戦争などの厳しい状態に置かれた社会では一体感が高まり、かえって自殺率が下がることがある。その人は自殺が減少したことを単に喜ぶのではなく、COVID-19の為に社会全体に対して大きなストレスがかかっているのではないか、と推測していた(ただし、五月以降に不況で自殺率が上昇する可能性はある)。
 感染症と戦争が似ているとは言わないが、交戦している国の社会状況は、ロックダウンや緊急事態宣言下の社会のように(そしてそれ以上に)閉塞的かつ緊張した状態にあるのかもしれない。

外出が禁止されない戦争のうつすら曇る空のその下
戦争はいつはじまつて終はつたか それよりも水買ひに行かなきや

 朽木(くつき)祐(ゆう)歌集『鴉(からす)と戦争』(書肆(しょし)侃侃房(かんかんぼう)、二〇一九年)の第Ⅰ部は、開戦した国に生活する兄妹の(架空の)物語で構成される。体験者による戦争詠のような生々しさはない。だが、大量破壊前夜まで漠然とした不安を抱えながら日常のタスクをこなす市民や、破壊を生き延びた後に希望と混沌が待ち受けている状況は、子どもの頃に読んだ戦争文学を彷彿とさせ、よく詠めていると思う。
 山口彊(つとむ)の自伝『ヒロシマ・ナガサキ 二重被爆』(朝日文庫、二〇〇九年)に長男が亡くなった時の経緯がある。乳児の息子が風邪をひいた。が、日本は既に太平洋戦争に係っており、薬が戦地に取られて病院まで流通しておらず、息子は病死した。山口は「戦争というのは、死なずに済む人間まで死なせてしまう」とその閉塞的状況の恐ろしさを説いた。後に彼が体験する二重被爆はもちろん恐ろしい出来事だが、このエピソードも印象的だった。敵からの大量破壊だけでなく、社会が停滞し内側から崩壊していくのも戦争の怖さなのだ。
 五月下旬現在、緊急事態宣言が徐々に解かれようとしている。停滞を経て社会が動き出した時、浮かれた私たちは分かりやすいことを言うポピュリストたちに魅了され、神輿を担ぎ、好戦的な社会を作り上げるかもしれない。だが、COVID-19のおかげで閉塞的かつ緊張した社会の恐ろしさを味わった。戦争状況でそこに戻ることはないようにしたい。

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