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世界・日本一周旅行をせずとも、「暮らしたいまち」に出会える未来へ

この文章は、土木学会がnoteで開催する「 #暮らしたい未来のまち 」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書いたものです。

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私は、新潟県の海のある街で産まれた、らしい。母は里帰り出産だったため、私自身のその街の記憶は大人になって再訪するまで当然なくて、本人は当時暮らしていた北海道の札幌の市街地で育ってゆく。父の転勤の都合で、その後も北海道内にとどまることはなく、東京、中国の上海、新潟県内の山と川の街などを何度か転々としながら過ごした。

繰り返してしまうけれど、産まれた街の記憶は、鮮明にあるわけがない。だからなのか、関係がないのか、私の心はずっと海に惹かれていた。「海を眺めながら暮らしたことがない」と、ずっとずうっと、憧れを抱き続けてきた。

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高校を卒業して、横浜の海沿いの大学へ進学した。けれど、まだ、まだまだ足りない。海の軽やかさみたいなものが、吹き抜ける風の心地よさとか開放感を求める心みたいなものが、全然満たされないと感じていた。

気がついたら20代半ばに差し掛かっていた私は、会社を辞めて、スーツケースをひとつだけ持って、70カ国の世界一周の旅に出た。育った国を離れてでも、青い海を求め続けてみたくて。

「この街でもなさそうだ」

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なんだか長い間、「いま私が暮らしている街は、私がいるべきではない場所ではないのではなかろうか」という、ある種の違和感、肌に合わなさ、みたいなものを抱えながら暮らしてきた。

それを友人は、「街の水が合わないんだな」と表現したけれど、本当にそのような感じだったんじゃないかと思う。

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息がしづらかったのだ。誰かにやみくもに、つい八つ当たりしてしまいたくなるような。私の人生は、私の意思で動いてなんかいないんじゃないか、とついつい誰かのせいにしたくなってしまうような。

「愛せる場所」を見つけるまでの、お金と時間

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……だから、世界と日本をたくさん旅して、違う景色を次から次へと眺め続けたら、さすがに、この中二病も収まって、いつかどこかが「見つけられる」ような気がしていた。

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長い旅をした気はするが、まぁそれもすべて過去のこと。いま私は、巡り巡って、日本に帰国し、沖縄県は本島の岬の端っこで、青い、青い海を部屋から眺めながら、ついぞ暮らすようになっている。おとなになったわたし、その時34歳になっていた。

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沖縄・本島の那覇空港に到着して、飛行機を降りた瞬間から、タラップの風が海の気配をふんだんに含ませて頬をなぜたその時から、「あぁ、ここかもしれないな」と感じていた。

けれどそれは、じつは世界一周する10年以上も前の人生初めての片道切符のひとり旅で感じたことで、世界をそのあとしつこく巡って、「やっぱり、ここだったんだな」と帰ってきた形になった。

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10年前にも、ひとりで沖縄を訪れた

なにも、70カ国、たくさんの時間をかけて、お金も使って、笑って泣いて、時折怖い目に合って困ったりしなくても、よかったのかもしれない。けれど、その経験があったからこそ、納得感を持って沖縄を選べたのだと、強がりではなく思えている。

日本で一番人口の多い村・読谷村を愛してる

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現在暮らしているのは、村だ。「村」と聞いたそこの君、ものすごく田舎を思い浮かべたのではなかろうな? 

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まぁけれど、合っている。私の部屋から一番近い樹木はバナナの木。その向こうにはサトウキビがざわわして、向こうにターコイズと深い青の2層の海が見えている。

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子ヤギが育ち、ベランダにクワガタや大型のバッタが飛び、サトウキビ畑の合間を時折マングースが走り抜けて、ヤブ近くには「ハブ注意!」の看板がかかっている(どうやって注意したらいいのだろう、と今でも悩む)。

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だがじつは、読谷村の人口は4万人を超えており、沖縄県内でもっとも移住者が多い場所。そんじょそこらの街より「栄えている場所」がある村なのだ。

なんといっても、日本で一番人口の多い村が読谷村。

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沖縄の大動脈である58号線が村の端っこを通っていて、世界遺産に登録された沖縄北部=やんばるエリアや、本島の玄関口である那覇空港、泊港までもすぐ行ける。ショッピングタウンもコンビニもたくさんあって、米軍の暮らす街でもあるので異国の香りもたくさんするし、移住者がつくったおしゃれなカフェが点在する。

週末には素敵な宿のフロアでヨガをたしなみ、帰り道に天然酵母の焼き立てパンと村で育ったオーガニック野菜を買い、その足で挽きたての珈琲をピックアップし、PCに向かってzoom会議をするのが私の日課で、リゾートホテルもあれば、沖縄の特産物のやちむんの本拠地「やちむんの里」という観光地や、世界遺産の「座喜味城跡」もあったりする。

沖縄の魅力と、異国の気配、村のよさと、洗練されつつある文化や伝統、そしてほどよい匿名性までもが担保された、私にとって住みよい場所が読谷村だ。

世界で一番、肌の合う場所の見つけ方

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この村の暮らしに点数をつけたとしたら、世界中どんな街と比べても、私にとって平均点がぶっちぎりで高くなる。クロアチアのドゥブロヴニクも、ラオスのルアンパバーンも、オーストラリアのバイロンベイも、ある項目においての最高点は一位だけれど、ずっと暮らす・日々を紡いでいく場所だと考えると、私にとって、読谷村に勝る場所は今の世の中だと見つからない。

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世界は、どこもきれいだったけれど

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読谷村が、好きです

こういう風に、息をするだけで幸せになれるような、日々過ごしているだけで幸せのベースアップが図れるような、心の底から愛せる肌に合う場所を、何も数年単位の放浪・世界旅行をして比較検討せずとも、誰もがもう少し容易に見つけられる世の中になったら、もしかしてずっといいのでは、と時折想う。

恋愛マッチングと同じように、テクノロジーの力で人と街が出会えたら?

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たとえば最近は、恋愛がテクノロジーの力で解決される、マッチングアプリが一般に浸透したけれど(私は、海外で出会ったカップルが、「僕たちはテクノロジーのおかげで出会えたんだ」と表現していてとても好きだった)、10年前にはあんまり考えられなかったし、利用していたとしてもおおっぴらには語られなかった。

「暮らす街を、ライフスタイルの理想に合わせて選び直したい」という人は、それこそコロナをきっかけとしたリモートワークの普及により、いまとても需要がありそうだ。また事実として、旅や移住関連の仕事をさせてもらっている私のところに、その旨の相談がたくさん届いていたりする。

だから、人と人のマッチングがアプリでできる世の中になったなら、人と街のマッチングが、アプリひとつでできるようになっても悪くない。

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自分の暮らし方の希望……たとえば自然の豊かさとか、都会具合、ターミナル駅からの距離やアクセス、本屋の数とか、カフェ・デリの数や、物価や家賃平均とか。

恋愛マッチングは、まずは「自分の希望」を自覚することから始まるじゃない? その流れに似て、暮らし方に対しても理想を自覚・アプリに入力してみて、希望に合いそうな街が、この世の中に存在するのかどうかを、まず確認する、みたいなことができてもいい。

人と街の相性が可視化され、テクノロジーの力で暮らす場所が提案される未来があったら、幸せの種類が増えたりしないかな。占いみたいに、結果を見て、どう受け取るかはその人に委ねるくらいの、軽い指標でいいから。

そうしたら街も、少しずつ変わるかもしれない

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そういう時代には、きっと「肌が合いそうな街」に、まずは短期滞在をして相性を確認してみたい、という需要も増えるだろうから、街側は短期滞在希望者の受け入れ方を、今よりずっと工夫できるといい。

具体的には、その街ならではのライフスタイルが「試着」できるような、特徴的なエリアに素敵な部屋を用意して、交通手段を整えて、地産地消の食事を楽しめ、部屋でも自炊ができちゃったりして、そのエリアで暮らす人とおしゃべりなんかも楽しめたらいい。

さらには、部屋のマッチングまでもが、同じアプリ内で完結したらきっともっといいだろう。

これからしばらく、日本の人口減少は、止まらないだろうと言われている。空き家問題を解消するための「多拠点居住サービス」も登場してきたけれど、それでも間に合わない速度で世界は変わっていくのだから、空き家を未来に継いでいく活動のひとつに、人と街と部屋のマッチングアプリが機能しても楽しそう。

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伊佐知美プロフィール3

長い間旅をして、移住を選んで、最終的に「息をするだけで幸せだと感じられる場所」を見つけて、実際に部屋を決めて暮らせている私の今は、とてもラッキーだと思っている。

沖縄の移住者仲間の間では、暮らしているだけで幸せがベースアップする環境に感謝の意を込めて、「この土地に『住まわせてもらっている』という感覚が強い」というフレーズがよく飛び交う。

そういう風に感じながら、「選んだ場所で暮らす人」がもっと増えたら、その土地の風土、文化や自然、環境を守りたいという気持ちが自然と生まれてくるかもしれないし、そしたらいま世の中で取り沙汰されているいろいろな問題たちの、解決の糸口が見つかっていったりもしないかな。

「本当は、こういう風に暮らしたいのに」と感じている、けれど答えが見えない過去の私のような人の、未来のために。「暮らしたい未来のまち」に、最短距離で出逢えて行動できる世界が、多くの場所を巡らずとも実現できたら悪くないんじゃないかと、沖縄の端っこで、あの頃焦がれていた青い海風に吹かれながら、最近ぼんやり考えていたりする。

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伊佐 知美
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