乳がん日記🌈この3年間のお話①

私は今53才
2019年3月 50才になる直前に
乳がんが見つかった

乳がん治療のこの3年間
私がどういう想いで過ごしてきたか
その時、小学生だった子どもたちに
知っていてほしい
大人になっても読み返せるように
文章にすることにしました。

もし、私と似た状況の方がいたら
何かのお力になれたら嬉しい
そんな想いもあります。


2019年の1月人間ドックを受けた。
乳がんの触診検査中、お医者さまの顔色が
ガラッと変わった
「このしこり、いつからあった?」と
厳しい表情
びっくりして返事はできなかった

「わたしは乳がん?」とチラッと思った
でも、疑いがあったという話はよく聞くし
大丈夫だろうと楽観的だった

しばらくして要受診の結果が届く
乳腺科のある小さな病院を訪ねた

そこでも、お医者さまの顔色は
ガラッと変わった
すぐに、近くのがんセンターの
予約をしていただき
紹介状を渡された

お医者様の慌てぶり
看護師さんの哀れみを含む視線
がんセンターの予約
疑いは確信に変わった

数日後、がんセンターで
ひと通り検査を済ませ診察
担当医から「乳がんです」と
淡々と告げられた

もっと詳しく調べないと
確定はできないけど
ほぼ間違いなく典型的な型の乳がん

これから色々な検査をして
進行具合を確認し
それにより治療内容を決める
次回は家族と一緒に
来院するように言われた

「わたしは乳がん」と
確信はしていたけど
ハッキリとお医者様に告げられると
金槌で頭をガーンと
思いっ切り殴られたような
気分だった(ダジャレではない)

乳がんの知識が
まだあまりなかった
私は「がん=死」と
考えてしまった

そのとき
娘10才、息子7才
私は晩婚だった
39才と42才で出産
超高齢出産を激しく後悔した。

もっと早く出産していれば!
せめて子どもたちが
成人していたらよかったのに!
まだ小学生の2人を
お母さんのいない子に
してしまうかもしれない!

これから女性として成長する
娘のサポートも
まだまだ私に甘えたい
息子を抱きしめることも
思春期に不安定になる
気持ちを受け止めることも
「全部出来ないかもしれない!」
頭の中は悲しみで
いっぱいになった

でも7年前
生まれたばかりの息子に
疾患が見つかった時ほどの
悲しみはなかった
自分が病気になる方が
ずっとラクだなと感じ
改めていま元気でいてくれる
息子に感謝した

まずは夫に話した
疑いではなく確定になったと
ビックリするほど泣き崩れる夫を
私が慰めた

何やっているんだろう?と考えている
どこか冷静な私もいた
でもその後の夫は
またまたビックリするほど頼もしく
私と子どもたちを
サポートしてくれたのだけど。。

数日後、夫と一緒に病院に行き
担当医に説明を受けた
先生に、坦々と質問をしてくれる夫は
いつの間にそんなに勉強したの?と
思うほど知識を得ていた

子どもたちに私が乳がんで
あることを伝えるか?
伝えるとしたら
どこまで伝えるのがいいのか?
本やネットで勉強し
夫と話し合い
治療方針が決まってから
全てを話そうと決めた

最終的な検査結果と
治療方針が出るまでに
2週間ほどかかった

その間に
私は50才の誕生日を迎えた
こんなことになるとは
思いもしない随分前から
夫が素敵なリゾートホテルの
予約をとってくれていた

「最後の誕生日になるかもしれない」
私はそんな想いをもったまま
そのホテルに家族で向かった
夫もそう思っていたかもしれない

沢山の写真を笑顔を作って撮った
この夜ディナーの時に、突然夫が言った
「アルコールは今夜限りで止めよう」
「2人で禁酒しよう」
私たち夫婦はアルコールが大好き
飲むお酒に合わせたお料理を味わうことが、
週末の最大の楽しみと言っていいほどだった。
そんな夫から「禁酒」しよう?
正直、何事?と思った
乳がんにはアルコール摂取は良くないと
知り夫は決意していた

悲しかった
若い頃から飲みにいくのも大好き
私はアルコールに強く、顔は赤くならない
酔うと明るくケタケタよく笑う私を
友だちや職場の人たちは
面白がってくれていた

これからアルコール無し人生か、、と
かなり落胆した

でもすぐに思い直した
目の前に大切な子どもたちがいる
生きてこそ!天国に行ってしまったら
子どもたちと会えない
そう思ったらアルコールなんて
どーでもいい!と思い直し
夫婦で禁酒をした

この頃はずっと
「わたしは乳がん」
「何故わたしが?」
「もうすぐ死ぬの?」
この3つが頭の中をグルグル回っていた
でも、職場や家族の前では気を張り
見かけはいつもと変わらないままでいられた

一人になると
この先の不安に襲われた
もしかしたら大人になった子どもたちに
会えないかもしれない
家事をしながら涙が溢れた

夫がお誕生日プレゼントを
買ってくれると言っても
もうすぐ死んじゃうかもしれない
私に買っても無意味、、と思い
選ぶ気持ちにはなれなかった

長い2週間が過ぎ検査結果が出た
夫と共に診察室へ
主治医から
「ステージ1か2転移はたぶんない」
手術してみないと確定はできないけど
治療は手術のみで済むと告られた

夫は泣いた日以来
ずっと落ち着いて見えていた
でもそのとき「よかったー」と
安堵の声と共にイスから崩れ落ちそうだった
「がんばってくれていたんだな」
と感じた

ガンの進行によっては
治療も出来ないと言われていた
でも手術だけで元気になれる!
恐れていた抗がん剤治療も必要ない!
何より子どもたちの
大人になった姿が見られる!
もう有頂天だった

その後は治療に向け
猛烈な勢いで準備をした
手術日まで3週間弱

入院前に子どもたちへ
話さなければいけない

未成年の保護者がガンになった時
子どもたちにどう対応するのがいいのか
書かれた本には
子どもたちが不安に思った時に
話を聞いてもらえる
大人が沢山いてくれた方がいい
と書かれていた

子どもたちに話す前に
同じ敷地に住む義父母と
近所に住み子ども同士も仲良しの
ママ友数人に話し
子どもたちのサポートをお願いした

いよいよ話す時がきた
夫が休日の日曜日
子どもたちが春休みの午後
「大切なお話がある」と
私、夫、娘、息子の
4人で向き合い話をした

・私に乳がんがあること
・10日間の入院と手術をすること
・ガンは初期で手術をすれば元気になれること

2人の手を握り
ゆっくり穏やかに
極力わかりやすい言い方で
説明をした

10才の娘は
数年前テレビによくでていた方が
小さなお子さんを残し
乳がんで亡くなったニュースを
よく覚えていた

第一声は
地の底から押し出すような声で
「嫌だよぉぉぉっ…!!!」だった
マグマが吹き出すように泣いた
息子はただならぬ雰囲気に泣き出した

私は
「うんうん凄く嫌だよね」
「お母さんも凄く嫌だ」
「でも治るから」
「治療するお母さんを応援してほしい」
と繰り返し
色々な表現で伝えた

この時、絵本を用意していた
その本が子どもたちの気持ちに
見事に届いた

『ママのバレッタ』
https://peoples-med.com/mamas-barrette/
という
未成年の子どもを持つがん患者の会
キャンサーペアレンツの方々が
作成されたもの

内容は
ママが乳がんになった
辛い治療の副作用で髪が抜けて
大好きなバレッタ(髪留め)は
使えなくなった
でも、髪がなくても
ママはママだし一緒にいられる
しばらくすると髪はのびて
またバレッタが使えるようになった
という内容

ちょっと笑いを取り入れた
明るく優しく描かれた絵本
2人を膝にのせ
これを何度も読んだ

10才と7才の子を膝にのせるのは
ちょっと大きすぎて重かった
でも2人をなんとか抱えて
繰り返し読む
質問や不安があれば
何度でも答える

話しはじめてから2時間程度で
随分と落ち着いてくれた

その後数日間は何度もせがまれ
その度その都度
2人とも膝に乗せ
気が済むまで読み続けた

入院前には2人とも
全くクヨクヨすることなく
私を全力で
応援してくれるようになった

それは3年たった今でも
ずっと変わらない


2019年4月18日
夫と2人で美味しいランチを食べに行った
午後に入院

偶然にも、担当の看護師さんは
高校時代からの友人の
娘さんのHちゃん

生まれる前から愛おしく
小さな頃はよく一緒に遊んだ可愛い子
大人になり立派に務める姿は感慨深く
胸を失う悲しい思いも少し緩んだ

入院手続きを済ませ
息子の下校時間の前に
夫には帰宅してもらった

病院から帰宅した夫から夜電話があった
子どもたちが寂しくて泣いて泣いて
寝られそうにないと

まず息子に変わってもらった
少し話すと眠さが勝って
すぐに寝てくれた

次は娘、電話口で
ギャンギャン泣いている
「寂しいよね、ごめんね
寝るまでお母さんとお話しよう
スマホを持ってベッドに入ってね」と伝え
他愛も無いおしゃべりをした
暫くしたら寝てくれた

たったひと晩でも
寂しくなってしまう子どもたち
私は生きていないといけない
改めて思った

4月19日
手術の日
早朝から夫が病院に来てくれた
手術着に着替え
夫と私、看護師さん3人で歩いて手術室へ
夫に「じゃあ、いってくるね!」と
極力軽く明るく手を振った

手術室は妙に明るく
担当医も私の気持ちを緩めようと
してくれていた
いざとなり逃げ出したい気持ちを抑え
手術台に乗った

4時間程度で済むはずだった
14時には病室に戻れる
でも、転移があれば長くなると
お医者様に言われていた

8時間近くかかった
私は全身麻酔だったから
知らなかったけど
1人で待つ夫の心境は
計り知れない


手術後、
病室で麻酔がきれて目をあける
ボンヤリした視界には
夫がいて
ホッとした表情なのがわかった
手術は無事に
終わったのだなと思った

窓の外が暗く感じ
昼間のはずなのに?と
不思議に思ったけど
夫の優しい声に安堵して
また眠ってしまった

次に気づいたのは21時頃
Hちゃんが夕飯食べられそう?と
聞いてくれた
私は過去2回の手術で全身麻酔後の
吐き気が酷く
食事も2日ほどできなかった
でも今回はそれはなく
身体もラクですごく嬉しかった
食事は少しだけいただいた

術後の不自由な身体に
Hちゃんのしてくれる看護が
温かく嬉しく
ちょっと照れくさかった

だんだんボンヤリしていた頭が
冴えてきて時間が気になった
時計を見て?アレ?
手術後体内出血を外に出す
ドレーンが2本ある?アレ?

転移がなければドレーンは1本
と聞いていた
時間も遅い!転移してたの?!
側にいたHちゃんに聞いた
「先生に聞いてくださいね」
急に業務連絡みたいな口調
よくあるやつだ
看護師さんから言えないやつだ
夫に手術時間を聞いた
ええぇっっ?8時間?転移していたんだ!!!

色々なことが頭の中を駆け巡った
どこまで転移してた?
手術で治療は終わりじゃないの?
抗がん剤?放射線治療?
10年間ホルモン療法?
マジ??!イヤだー!!!

脇のリンパに転移してたとしたら
術側の腕は浮腫などの
危険があるので
あまり重いものは持てない
ケガも、虫に刺されるのも要注意
そうなると体力が回復したら復帰する
つもりでいた職場にも戻れない
イヤだ、そんなのイヤだ

お医者様は
検査では転移はまずないと
言っていた
でも手術しないと
わからないことも多いとも
言っていた

ショックだった

でも色々考えても仕方ない
先生の説明を待とう。。。

🌟⭐🌟⭐🌟

長くなったので続きは次回にします。
拙い文章をここまでお読みいただき
ありがとうございます!

続きは少しずつ書き
アップしていきます。
それではまた😊

🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈

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