乳がん日記🌈この3年間のお話②

前回①の続きです😊

手術の次の日は
子どもたちの小学校の
授業参観日だった

教室に集まる他のママたちをみて
子どもたちが
寂しくなってしまうかもしれない

娘は小学校3年生の春まで
行きしぶりが酷く
私も一緒に登校していた
教室に入っても私が帰ると大泣き
娘の気持ちが落ち着くまで
授業中も一緒にいた時期もあった

それから2年たっていたけど
堪らず泣き出したりしないか?
息子もまだ2年生大丈夫だろうか?

事情は担任の先生にもお話して
お願いはしてある
夫と義父母に行ってもらい
同じクラスのママ友にもお願いした

当日のお昼近く
心配を他所に
2人とも笑顔で無事に参観日を
終えることができたと
夫からスマホに連絡がきた!
よかった!

下校は親子ですることになっていて
夫が息子を迎えに行く間は
娘の側にはママ友がいてくれた

子どもたちにも
泣きたくなったら泣いていい
担任の先生もわかっているし
お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん
事情を知るお友だちのママたちは
味方をして、助けてくれるから
無理して頑張らなくていいと伝えた

後から聞いた話では
さり気なく
ママ友たちが2人に気配りと
優しい配慮をくれていたみたい
感謝しかない
今でも涙がでる

授業参観日は土曜日
午後はお休み
夫、娘、息子の3人で
お見舞いに来てくれた

子どもたちはお小遣いで
お守りを買ってきてくれた
まだ少ないお小遣い
2人分足してやっと買える
一生懸命選び神社で祈願して
いただいてきてくれた

このお守りだけは
お返しはしないで
一生私の側にいていただくつもり
神様もきっと赦してくださる

病室は前日までは
大部屋だったけど
個室が空いたので移動させてもらった
高台の病院
その病室の窓からは新緑の森が見え
明るく広さもあり快適
ここなら家族で
のんびり過ごすこともできる

夕方まで子どもたちと
お話しながら
ゆっくり過ごした
帰り際、息子が少し泣いた
ギュッと抱きしめ
「明日も会えるよ」
「待っているね」
泣きながら頷いてくれた
2人と手をつなぎ
エレベーターまで送った

帰りの車は
私の病室からは見えるけど
車から私は見えない
でも3人は手をふってくれた
私も窓から手をふった

平日の夕方も
夫の都合がつく時は
3人で病院に来てくれ
いつも通り宿題をみてあげたり
おやつを食べたり
楽しい時間を家族で過ごした

体調もよかったから
好きな本やDVDを持込み
作りかけだったコットンパールの
アクセサリーも完成できた

時々、実家の母や妹
友だちがお見舞いにきてくれた
一緒にお茶をして
おしゃべりをしていると
いつもどおりに我が家で
過ごしているみたいだった

傷の経過は良好だった
でも身体に水が貯まる量が減らず
ドレーンがなかなか
抜けなかった
治まらないと退院ができない
ゴールデンウィークは
家で家族と過ごしたい
先生にお願いした
病院の開く日は通院する条件で
4月28日に退院

入院前に
家族2週間分のご飯を炊き
おかずを作り冷凍しておいた
まだ少しそのお料理が残っていた
家事は夫と一緒にやり
家族でのんびり過ごした

出かけるのは通院だけ
ずっと家にいたけど
子どもたちも楽しそう
穏やかで楽しい時間だった

ゴールデンウィークの終わりごろ
詳しい病理結果がでた
夫と一緒に病院へ

やっぱり術側の脇に転移していた
ステージ3a
乳がんは
まず俯瞰側の脇のリンパ節に転移し
そこから全身にいく
私のガンは
手術で胸と脇にあったものは
全て取り去ることができた

でも4つのリンパ節に
転移していた
4つ以上になると血液中に
小さなガンが流れだし
全身に行渡っている可能性がある
定着し転移となる前に
抗がん剤で消滅させる必要がある
再びガーンである(ダジャレではない)

抗がん剤って、あの抗がん剤???
テレビや映画で見る
あの非常に辛そうなやつ???
髪が抜けるやつ???
3つの転移ならOKで
4つだと抗がん剤を使うって
どゆこと???
その1つの差は何???
え?え?えっーーー???????

🌟⭐🌟⭐🌟
長くなったので続きは次回にします。
拙い文章をここまでお読みいただき
ありがとうございます!
続きは少しずつ書きアップしていきます。
それではまた😊
🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈

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